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「わざわざ」帰ってこれる場所

一人暮らしを初めて、実家が「わざわざ」帰る場所になった。

都内から神奈川の実家まで大した距離ではないけれど、「ついでに寄る」というわけにはいかず、必要な荷物があるとか、郵便物が届いている、家族の誰かの誕生日、など何かしらの目的のために「わざわざ」家に帰る。

実家で暮らしている時は連休にずっと家にいることは罪悪感を感じたけれど、今は連休に「実家に帰る」という行為が立派な予定で、むしろ良いことをしているような気さえする。物理的距離がもたらす心理的効果はとても大きい。

実家に帰ると気付くこと。鳥の声がよく聞こえる。チュンチュン、カァカァ、ホーホケキョ。都内でも鳥はいるけれど、車の音よりも人の声よりも鳥の声が1番聞こえる、というのはなかなかない。

実家に帰ると気付くこと。両親の優しさ。一緒に住んでいた時は喧嘩も多かったけれど、久しぶりに会うとなんだかめちゃくちゃ優しい。というか、こんなに自分のことを心配してくれる人って周りにいないよなあと改めて思う。身体を大事にした方がいいとか、ちゃんと湯船につかったほうがいいとか、今までうるさいなあと思ってたことも、離れていると心に染みる。大人になって、1人で暮らしていて、こんなに自分のこと心配してくれる人なんてなかなかいないもんね。ちょっとした言動に愛を感じて胸が苦しくなる。

実家に帰ると気付くこと。家族のあたたかさ。まず家に誰かがいるということがすでに新鮮に感じられるし、自分では見ないテレビが流れてるとか、聴かない音楽が流れてるとか、他人の要素が生活の中に入り込んでくることが嬉しい。1人は自由だしなんでも自分の好きなものを選べるけど、新しいものとの出会いとか、知らなかった話題とか、自分の想像の範囲外の出来事が普通に起こるって、結構偉大なことだったと気づく。そもそも家にいてみんなで話して笑いが生まれるというその空間が、こんなにも平和で心温まるものだとは思わなかった。

家族って、いいものなんだなあ。
家族がいるって、幸せなことなんだなあ。

自分のことを理解してくれていて、心配してくれて、愛してくれる人がいることがこんなに心強いなんて。簡単に離れてしまう不安定さのある恋人や友人とは違って、なにがあっても迎え入れてくれる(と、思える)居場所があるということが、とてつもない安心感を与えてくれる。

と同時に、家族がいなくなったらどうなるんだろう、と怖くもなる。

これから両親はどんどん年老いて、いつかは必ずいなくなってしまう。今度は自分で新しい家族をつくっていかなければならない。結婚なんてできるかわからないししないといけないわけでもないし、と思っていたけれど、やっぱり家族がほしいかもしれない。ずっと1人は寂しいかもしれない。

1人でいることの自由さと楽さから抜け出して、誰かといることの難しさや煩わしさを乗り越えながら、かけがえのない絆をつくっていく。家族という存在は、自然にできるものではなくて、ものすごく得難いものなんだと改めて気付く。

わたしにも、家族ができるのだろうか。見通しはまったくないけれど、こんな家族になれたらというイメージを持てることは、たぶんすごく幸せなことなんだと思う。

一人暮らしの家に帰るとき、必ず駅まで車で送ってくれる父と、「いってらっしゃい」と声をかける母。「いつでも帰ってきていいんだよ」という優しさに背中を押され、わたしは立派に生きねば、と前を向いて家に帰る。

いつでも帰れるけれど、いつまでも帰れるわけではない大切な場所に、これからもできるだけ「わざわざ」帰ってこよう。と、ガラガラの上り電車で強く思う。








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