箱根で叶う 世界一ロマンティックな「オリエント急行」の一晩
好きなものを好きと言い放つ
これが自分の特技だと繰り返し豪語してきたが、またしても、血が沸騰しそうな体験をしたのでここに記す。
時は1883年、パリとイスタンブール間で運行を開始した世界最高峰の寝台列車“オリエント急行”。乗客には、「ミステリーの女王」と言われたイギリスの推理小説家アガサ・クリスティなど著名人が名を連ね、名探偵ポアロが不審な殺人事件を解決するベストセラー「オリエント急行殺人事件」の舞台としても有名。(映画版大好き)
そんな、人々の羨望の的としてヨーロッパ大陸をひた走っていたオリエント急行の、「本物の車両」が、なんと現在 日本は箱根のラリック美術館に展示されており(!)、そ の 車 内 を 貸 し 切 っ て お 食 事 が で き る!??!?という、聞いただけで胸やけしそうな、たとえこれが夢でも笑っちゃうような、この世の人間が発明して実現したとは思えない、贅沢で太っ腹な、企画を発見したのである。
「思い立ったが吉日」がモットーの私は、このプランを知るなり いの一番に私の片割れこと親友をおびき出し、急行・オリエント急行プランを提案。すると、この片割れもここをマークしていたことが判明し、瞬く間に予約にこぎつけた。
ちなみに、なぜこのオリエント急行が箱根のラリック美術館に来たのかというと、この列車の室内装飾を手掛けたのが、フランスの工芸家ルネ・ラリックだからである。
当日。
17:15~予約していた私たちは、ラリック美術館に17時前に到着、一番乗りだった。受付で名前を伝えると、早速列車から20m前くらいの距離まで通された。ここから約30分近くお預けタイムが発生するがそれはもうよい。
この日の箱根は警報級の大雨だったが、列車は館内に設置されているので無問題。たっか~~いガラス屋根の天井、壁と床が白色で統一された明るい室内に、ひっそり列車は停車していた。
予約の時間になり、待合スペースには既に5・6組のペアが集合していた。乗客←は40-50代以上の方が多く、私たちはとりわけ若造だった。
ようやく列車の目の前まで通された。「まずはお写真でも」という号令どおり、各々写真撮影。一番乗りだった私たちは、どこで撮っても後続の皆さんの視線を浴びるという若干のお恥ずかしタイムが流れた。
つづいて、「オリジナルカクテルを作って飲む」というレクリエーションが始まった。
オリジナルカクテルと言っても、入れるものは決まっており、ノンアルコールの青いジュレ(何味だっけ)に、さわやかな柑橘系の黄色のソースを重ねて、白いクリームで蓋をするという内容物だった。
さあ、カクテルを手についに念願の車内に移動!と思いきや、一旦ここでカクテルを飲み干すよう車掌←から指令。乗客、一気飲みである。
頑張って飲み干してもまだ車内には入れてもらえず、車両扉の目の前で、「いかにしてこの列車が遠い海を渡り日本へ上陸し、この箱根の山々を越えてやって来たのか」が分かる、平成初期に作られたであろうビデオを見た。確かにすごかった。レッカー車の後ろに括りつけられたオリエント急行が、箱根のくねくねした山道をゆっくり進み、大事に大事にこの美術館に運ばれてきたことが手に取るように分かるVTRだった。
さて、いかにこの機会がありがたいものかを、腹の底から理解したうえで、車内にいざなわれた。
落ち着いた色合いの木材やファブリックで統一された車内は薄暗く、しかし温かいライトが灯って心地よく、一瞬でここが箱根であることを忘れさせた。なるほど、これが昼夜の光を巧みに操るラリックの仕業。
座席もさすがゆったりとしていて、お隣り様の会話がちょうど聞こえない距離感。ここで多くの特権階級がヨーロッパ大陸を縦断していたのだなと想像すると、やはり期待以上の高揚感だった。
そして、特徴的な絵柄のソファ。座ると結構大げさにミシミシッと音がして、片割れと「このソファの耐久性が心配」と話した。どうやら中には藁が入っており、元々こういう音がするものなのだと教えられた。
窓辺に目をやると、フランス語らしき言語で何か書いてある。読めないなあ、と諦めていたら、片割れ側の席には英語で「開けたら危険!」みたいなことが書いてあった。謎の数字が書かれたボタンや、用途不明の出っ張り、かつて本当に列車だったことが想像できて楽しかった。人が通ると結構揺れる。
そして、食事。
今回の主たる目的は「このオリエント急行に入ること」だったので、正直そこまで期待していなかったのだが、思いがけず超美味しかった。
地産地消の野菜をつかった前菜、冷製ジュレ、魚料理に肉料理、パン、フォアグラ、チョコレートケーキ…と、30歳大食いの女性の胃袋でも、わりと限界突破するコース料理。お金持ちは完食しないのかしら。パンはおかわり自由で2個。
しこたま食べ、写真を撮り、大満足。
入口と反対側の扉から、当時使われていたお手洗いをチラ見しつつ、下車。すっかり暗い外から中を覗くと、私たちがいた車両だけぼんやり明るくて、なんともロマンチックだった。ここで食事したんだぁ…
きっと100年前、この列車に乗るには、法外な資金が必要だったに違いない。『オリエント急行殺人事件』に出てくる乗客たちも、資産家や貴族など、上級市民ばかり。
それを、一晩1万5千円で堪能できると思えば、安くはないが高くもない体験料である。
そしてなんと、来年2025年に、この豪華列車が時を経て復活するらしい。
いつか、本当にヨーロッパの地を走る、本物のオリエント急行に乗車できる日が訪れることを、願わずにはいられなかった。
📝プラン再掲📝
※注意
移動手段について。
我々以外の乗客は皆お車でお越しだったようで、あの土砂降りの中でも皆さん難なく帰路につかれたようでしたが、車を持たざる者どもは、市バスを待つほかありませんでした。私たちは、美術館前のバス停から何とかホテル徒歩13分のバス停までたどり着き、ホテルに送迎車を懇願して(なにせ土砂降りだったので)、無事戻ることができましたが、あの真っ暗な山道を歩くのはあまりお薦めできません。また、20時すぎに山奥に放り出されるので、安全面的にも気分的にも日帰りは適さない気がします。近隣のホテル、お車での移動がベスト!
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