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アート独り言。(支援者としての関わり)

秋に開催される展覧会用の撮影が今日無事に終わった。
今年は3ヵ所で各1名の利用者さんを撮影。
全て福祉施設で、2名は「ことば」のコミュニケーションが出来ない方だった。

ただ話さないだけではなく、意志疎通も難しく、声掛けしたところで伝わらない。
カメラ2台を抱えた知らない人はきっと怖いに違いない。出来るだけ刺激しないよう、少し離れた所から見守り、少しずつ距離を縮めていった。

施設の方々は、せっかく撮影に来てくれたのだからと、一生懸命促してくれたが、制作出来なくても良い。無理に作品を作る必要はない。そんな思いで見つめていた。

もちろん、展覧会で一生懸命制作してる姿のビデオがあれば良いのかもしれない。
でも、描きたくない時も含めて制作の姿だなと思う。楽しいもの、美しいものだけがアートではないのだから。

訪問が2回目になると、慣れてきた感じがした。今日はカメラの人が来る日だからと楽しみにしてくれていたのがとても嬉しかった。

一番最後の施設では、ちょうど新聞社の取材が入っていた。
1人はお話が出来る方。
記者の方は記事にするべく、制作に関する質問が誘導的に感じた。答えないことも先に答えを言って「はい」「いいえ」の選択肢から言葉を引き出そうとしていた。
そんな誘導に惑わされず、自由に答えて欲しい・・・そう祈りながらインタビューを無言で見つめていた。

帰り際、施設の方と少し話をした。
最後の撮影の方は2年前に訪れた時とは別人のようで明るく制作に励んでいる姿が印象的だった。

悲しい過去があり、大人に対する不信感がずっと拭えず大人になった。
今こうして沢山の人に誉められ、認められ、ようやく自己肯定感が育ってきたとの事だった。
偶然の出会いから沢山の人に出会い、作品の商品化や展覧会の話が沢山来るようになり、支援の大切さを改めて実感されていた。

その話を聞いて、支援側として関わらせていただく事に感謝する気持ちと同時に支援する難しさも実感した。

障がいを持つ方の自立とは、一人で生活する力を身に付けるだけではだめだと思い知らされた。
一人でも多くの支援者と関わる事が必要だと強く感じた。

しかし、障がいを持つ方が支援を求めないケースもある。
一人一人の個性に合わせて支援の仕方も変わる。あまり難しく考えすぎるのも良くないが、何度関わらせていただいても次から次へと課題が降りかかる。

改めて支援の仕方を考える貴重な機会となった。

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