塾を始めたこともそうだけど……
こんにちは!
寺子屋ペンギンです(*'ω'*)
今回は「自分で選んでよかったこと」を書いていきます。
私はやっぱり寺子屋ペンギンを始めたことです……と、それはそうなんですが!
今ここに至るまでを振り返ってみると、このままの私で生きてて良かったんだなって思うことだらけでした。
それをちょっとお話ししてみようかなって思います。
「先生」になりたかった私
私の子どものころからの夢は、大体が「先生」でした。
保育園の先生になりたいと思っていたころがあります。
お医者さんになりたいと思っていたころがあります。
作家になりたいと思っていたころがあります。
今は、
保育園ではないけれど、寺子屋ペンギンでは小さなお子さんのご利用もお待ちしています!
お医者さんではなけれど、悩みや相談を聞いたり、他愛のないことただ話したいときの話し相手になります!
作家先生ではないけれど、自身の創作活動から得たもので皆さんにお力添えする先生になりました!
資格はないけれど、日本語を上手になりたい外国のかたに伝えられる「美しい日本語」を学んできた先生でもあります!
そうそう、デザイナーとして生きていきたいという気持ちもありました。
先生とはちょっと違うかな?
でももちろん、デザインも現役です!
寺子屋ペンギンと白黒ペンギン囲碁の会のチラシやイラスト、販促グッズなどは私が手掛けます(`・ω・´)キリッ
ものづくりが好きな私
創作活動が大好きで、小説を書いたり、イラストを描いたりするのが好きです。
小学生のとき、親からもらったワープロで文字を打ち出したのが、私の小説の第一歩だったと思います。
絵本をぽちぽちと打って、それが楽しかったんですね。
いろいろ打ち込んで遊んでいました。
それから、いろんな物語を打ち込むうちに、
「私だったらどんなお話を書くだろう?」
「この話、私ならこんな最後にするかなぁ?」
と、考え出しました。
そしてそれを打ち込んでみるんです。
これって、いわゆる二次創作でしょうか?(笑)
たくさんの物語に触れながら、自分の物語を考えて。
拙いながらも、自分の物語を書くようになっていきました。
同時に、イラストを描くことも好きでした。
マンガの模写をしたり、イラスト投稿雑誌を買って読んだり、それを真似したりしていました。
自分の描きたい絵を考えて描くようになったのは、小学5年生くらいでしょうか。
それから中学生のとき、イラストを描く友だちができました。
学校で一緒にノートに落書きしたり、リレーマンガを始めたり……そして、そのご縁で同人活動も始めました!
これが私の創作活動はもちろん、人生に大変な影響を与えましたよ。
中学生のお小遣いでやりくりして、友だちが教えてくれることやイベント会場で得てきた知識、情報をもとにグッズをつくっていきました。
友だちとお金を出し合って買ったラミネート機でラミカをつくったんですが……ラミカってわかるかなぁ(笑)
印刷業者に依頼して便せんやペーパーを刷ってもらったり……と、語りだしたら止まりませんね!
またの機会に記事にしようかな(*´ω`*)
どれも中途半端だった私
やりたいことがたくさんあって、そのどれにも手をつけてきました。
だけど、どれもすごく中途半端で……挫折もたくさんしてきました。
何があっても創作活動だけは手放したくありません。
だから何よりも大切にしたい! そんな気持ちはとっても強かったんですが、どれも思うようにはいきませんでした。
うまくいかない原因を考えると……うーん、やっぱり執着と慢心でしょうか。
今でこそ思うことですがね。
創作関連でやりたいことを見つけて、同人活動も始めて、仲間も増えて、知識もつけて。
つくることが楽しくて、それを見てもらうことが楽しくて、見てもらえて、評価してもらえて。
なんか「これでやっていけそう」と思っちゃったんですね。
すごく甘い見通しでプロを目指しちゃったんですよ。
まぁ当然ながら撃沈です(笑)
それでも創作活動や創作関連での仕事がしたい願望は捨てきれずに、あれこれ手を付けました。
そして、同人も、マンガも、イラストも、小説も、デザインも……すべて中途半端に終わったのです。
いえ、終わってませんでした!
私が人生で「先生」と呼ばれた時期が、今のところ3度あります。
1度目は大学時代、塾講師をしていたころ。
2度目は大学卒業後に努めた塾で講師をしていたころ。
3度目は今です。厳密には現在「呼ばれている時期」ですね。
でもこの人生、塾の先生ばかりしていたわけじゃないのです。
その間にも、いろんな仕事をしてたんですよ。本屋の店員とか、飲食物の販売員とか、フリーライターとか、事務員とか、デザイナーとか、いろいろ。
そうなんです。
仕事が長続きしないんです、私。
仕事が続かないこと、職歴がとにかく弱いことは私のコンプレックスでした。このままで大丈夫なのか、私……。仕事を辞めるたび、めっちゃへこみました。
そんな私に、母が言いました。
「じゃあ、起業したらえぇねん」
……目から鱗が落ちるとはこのことですよ!
その手があったか! と!!
単純な私はすぐさま起業家セミナーに申し込みました。
それからとても良い先生についてもらって、ビジネスやマーケティング、集客などを学びます。
やっとスタート地点です!
私がここに立っているのは、とにかく運が良かったのだと思います。
とにかく周囲の人たちに恵まれすぎました。
こんなフラフラな人生に心がへこむことはあっても、へし折れたことはありません。
私が選んだことを、しっかり応援してくれる人でいっぱいだから!
私が強いわけじゃないんですよ。
冷たくされたり、「なんでそんなことができないの?」「もっとできる人だと思ってた」みたいに言われただけで、へこたれるくらいのメンタルですし。で、すぐ逃げますし。
こなくそ! 見返してやる!! とか思えません。やられたやりかえす度胸もありません。ケンカなんて無理無理! そんなことしてる間に、さっさとそんな場所からおさらばします。
逃げ帰った私を甘やかして、守って、支えてくれる環境があったのは、私の最大限のラッキーです。
根には持つので、されたことをなかなか忘れないんですが、思い出してはへこみ直すとかはなく。立ち直るのが早い……というか、楽観的でのんきなんでしょうね(笑)
自分で選んできたものが正解になる
人生、何が正解で、何が良かったのかなんて結果が出るまでわからないものなのですが。
だけど今、私がこれまで中途半端にこなしてきたものすべてが役に立って、実を結ぼうとしています。
先生も、創作も、仕事も本当に中途半端でした。
熱意はあったけど、それだけでした。
でも今はそのいずれも活用して生きています。
一瞬でも学校の先生を志したから。
かつて塾の先生だったから。
プロになるために創作活動をしていたから。
ものづくりに携わりたくてデザインを仕事にしたから。
やってきたからこそ、今できることがたくさんあります。
これまでお世話になってきた人たちにやっとお礼ができると、すごくワクワクしています(それはまだまだ、頑張らねばなりませんが!)
あきらめなくて良かったです。
選んできて良かった。
「私、このままではダメだ!」という気持ちと、
「あなたらしく頑張りなさい」という周囲の見守りが、
私の選択を正しいものにしてくれたと思います。