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5月の再会で考えたこと ①
先週末、東京で大学時代の友人たちと会ったとき、話の流れの中で
昨年訪れたアメリカでは、コロナ禍で傷ついた産業の復活のために、結構現金を使うように戻っているところがあったという話をしたら、
ーアメリカは遅れてるんだよ、アジアじゃぁ、もう現金なんて・・・
という発言があって、首を傾げた。
ー 遅れている ー
確かに、技術の普及の面では遅れていると言えるのかもしれない。
35年以上前に初めてアメリカで暮らしたときも、びっくりするようなところで、日本より不便を感じることが多くあった。
でも、技術の普及の面で遅れていること=社会として劣っているということにはならないし、人間社会としての成熟は、満たされている人が多い社会のはずで、皆が、最新技術を使っているということではない。ある意味、進んでいるとも言えると思う。
できるだけ多くの人が満たされることを目指すか、
多くの人や大事なことを犠牲にしても技術を進歩させるかー
その選択を迫られたときに、どちらをとるかの差に過ぎないと思う。
同時に、私は後者を選ぶ国には住みたくない。前者を選ぶ国に住みたいと願う。
GWに会ったドバイ在住の幼馴染とも少し話をしたのだけれどー
私は、アメリカを訪れる度、この国には勝てないと思わずにはいられない。アメリカの方が優れているとか、進んでいるとか思うからではなく、ただ、その社会の人間臭さに打ちのめされることが多いのだ。
そう言うと、
幼馴染は、ドバイの前にいたイギリスで、同じように思ったと言っていた。
社会制度を含めいろんなことが破綻している国なのに・・・
なんだか悔しい
と、思ったのだという。
私も、このところアメリカに行く度「トランプさんを大統領にしてしまうような国」なのに、、、やっぱりいつまで経ってもこの国は、とても魅力的な人たちが暮らす国だと思うのだ。
そして、2人で、
それは、多分、彼の国では、多くの人々が自分たちの国、社会のことを、先人たちの努力への感謝も視野に入れて、考えて行動しようとするからで
それに比べて、日本では、今目の前の自分たちしか考えていないことが多いーそんな気がするからではないかーという話になった。
そんなことを思い出しながら、
アジアと比べて「技術」の授業がものすごく少ないという日本の中学校の問題の話に移っていた話題に耳を傾けた。
科学技術との付き合い方は私たちの永遠の課題かもしれない。
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