どこにでも住めるとしたら
私は、春から夏の初めまでヒューストンの郊外に住んで、秋から冬を松阪市で過ごし、夏はどこか涼しいところで暮らすという生活がしてみたい。
かつて、アメリカに3年ほど住んでいた。テキサス州に10か月、ペンシルバニア州を中心に2年と3か月余り。その間に気が付いたのは、私は、家族と呼べる人がいれば、どこでも「住めば都」にできるのかもしれないということ。
そして、今、両国に住む老齢の母たちや育っていく友人の子どもたちや孫たちを見て、定期的にそばにいられる、または何かってときには顔を見せられる場所に住みたいと願っている。
そんなことを考えて、たぶん見果てぬ夢のまま終わるのだろうけれど、少し前から新たな夢を持っている。
テキサス州に、寺子屋の分校を作るという夢だ。
今、学生を対象とした身近な「海外研修」や「留学」と名が付き、英語圏に行くものは「語学研修」、「語学留学」であることが多く、子どもたちが学んでくるもの、吸収してくるものは本当に少ない。
自分のアメリカへの交換留学や大学院留学を考えてみれば、結果的に、英語を身につけることは副産物でしかなく、語学を中心に置く海外留学は、なかなか、本当にもったいない。
そこで、テキサス州の寺子屋のカリキュラムは、ホームステイをしながら、寺子屋分校に通い、アメリカの地理、歴史、政治経済、制度や文化、社会を学ぶクラス(まずは日本語で、習熟、習得度によって英語で)を中心に据えて、アメリカでの生活に必要なことを学ぶ。その上で、ホームステイをし、地域にも参加しながら、必要な会話力や、次のステップにつながる英語の授業も提供して、どちらの国でも活躍できる子どもたちの土台を作りたい、なんて想像を膨らまし、そうすれば、1年のうち数か月、私はテキサス州に滞在できる。そして、日本の受験シーズンと体験講座の時期に合わせて、日本に戻り、寺子屋本校で授業を行うことも可能になる、なんて夢を見る。
そして、夏は、おそらく夏期講習をしながら日本の本校で、または、夏期の短期滞在の生徒たちとともにテキサス州の分校で、エアコンのきいた涼しい部屋で過ごすくらいしか、選択肢はなさそうだなんて、現実的に考えてみたりして、やっぱり、実現出来たら嬉しいけれど、、、まだまだ見果てぬ夢であることを思い知るのだ。
それでも、私は、#どこでも住めるとしたら、テキサスと松阪に住みたい。