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ひかりさす

一週間後にせまっていた崎フェスと、まるどや卒業制作にまつわるあれこれ。やるべきことがたくさんあって、いつも頭がいっぱいだった2月。 
自分の中に余白がほしくて、エスケープした先は隠岐窯だった。 
 
かたい土をやわらかくしようと、つい力まかせに練ってしまうわたしとは対照的に、勇木さんの所作には力みがなく、どこかやわらかい。(机とけんかしないように、という言葉がそのあと崎フェスで担当した肉まんの、生地をこねるときのお守りになっていたのはここだけの話。) 
やがてやわらかくなった土をさらに練りつづけ、またかたくなってきたところで、ろくろを回してみる。せっかく練った土がちぎれやしないかとびびってしまい慎重になりすぎていたけれど、勇木さんの手の中で土は、細く長く上にのびたり横にふくらみながらちぢんだり。やわらかく、自在に形を変えていく。土が踊っているみたいで、ずっと見ていたくなる。 
 
なんのために料理しているのか、どんな自分で料理に向かっていたいのか。 
うつくしい光が差し込むあの窯で、何をつくるでもなくただ土にふれる静かなひとときを、最後のひと月のあいだ本質を見失いかけたとき立ち返るための羅針盤のように、いつも心の深いところに持っていた。くわしいことは、いつかご本人に会って話せたらいいなと思っている。 
 

3月最初の土曜日は、天気に恵まれながらまるどマーケットに初出店。隠岐誉の酒粕を使った三品を提供した。 真摯に書き込んだアンケートで応えてくれる留学弁当とはちがって、シンプルな反応をその場で受けとれるのが新鮮だった。粕汁が、今年食べたものでいちばんおいしかったと伝えにきてくれた方や、ふきのとう味噌でふるさとの味を思い出したと、おにぎりをもうひとつ買いに戻ってくれた方。ああでもないこうでもないと試作をかさね、自分たちで値段をつけて差し出した味が、こんなふうに誰かに届くこともあるのかと、ひっそりと胸をあつくしていた。

翌日には島に住む友人へ、お弁当を作った。 土鍋で炊く玄米の水加減を間違えたせいでとても小さなお弁当になってしまったけれど、その日の彼女にはそれがちょうどよく、ひとつひとつを大事に食べてくれた。その姿に、どうかすこやかでいてほしいと祈りのような想いがふっとうかぶ。なくなっちゃう、といいながら最後のひとくちを食べ終えて空になったお弁当箱に、わたしの方が満たされていた。 もともとプロの料理人や一流の料理店で働くことを目指していたわけではない。寺子屋のその先も、家族や友人のような近しいひとたちに愛のあるごはんを作っていられたら、それでいいと思っていた。

たくさんのひとに向けて作る料理と、大切な誰かへ、そのひとだけを想って作る料理。 卒業したいまは、そのどちらも自分の料理として、わたしらしいやり方で、ゆっくりと育てていきたいと思う。

怒涛の卒業制作と大掃除を終えて、いつのまにやら札幌にいる。 
大敷の定置網には、今頃たくさんのイワシがかかっているのか。あの家では鍋を囲んで、今夜もにぎやかに飲んでいるのか。 
いけばほっとするあの商店も、海を眺めるお気に入りの場所も、目を閉じればいつもの風景はそこにある。寺子屋には先生がいて、恒光さんがいる。遠い空の下でたしかに流れているもうひとつの時間は、想うたび、心を照らしてくれるだろう。 
 
最後に、いちばんに支えてくれていた家族と、海士町でかかわってくださったすべての方へ。一年間ありがとうございました。 

(文:島食の寺子屋生徒 佐野)