卒業生インタビュー(佐野さん)
一年間を終えて感想をひと言お願いします。
忙しかったです。
なんて言えばいいのかな。前にnoteにも書いたけど、五感に入ってくる情報がすごい量だなって。自分はそのスピードに追いつけないなって。処理するのに忙しかったと思います。処理しきれていないところに、また次のことがどんどん起こってくるし。季節が進んでいくのを、一生懸命頑張って追いかけていたなって。そういう忙しさです。
島食の寺子屋へ入塾を決めた頃のことを教えてください。
入ろうと思った理由は、前の仕事では宿で働いたり農作業のお手伝いをしたりしていたんですけど、食事の仕込みとか料理に関わるようになってきた時に、もうちょっとちゃんと学んでみたいなと思って。そんな時に島食の寺子屋を見つけたのがきっかけです。
島で暮らしてみることに興味もあったし、instaで何をやっているのかってチラチラ見えていて。あとは卒業生たちの声とかもHPで見れるじゃないですか。
うーん、考えてみたらあまり理由はないかも、けっこう直感です(笑)
次はここかなくらいの感じで。
実際に来島見学をした時には、「たぶんここに来年いるんだろうな」みたいな気持ちになりましたね。
実際に入ってみて想像を超えることはありましたか?
想像以上だったなと思ったのは、色んなものが突然起こるってこと(笑)
「あそこにあれが生えたから、はい、あそこに取りにいこう」とか。
昨日の籾殻をもらいにいくのもそうだし、突発的な出来事が多いんだなって。
私はあんまりそういうのに対応するのが上手じゃないなと思うから、いつも「はぁ~。。」って驚きながら楽しんでいたけど疲れていました(笑)
恒光:
色んなものが突然起こる予感は、なんであったの?
佐野:
「カリキュラムがない」ってことも、オンライン説明会の時から聞いていたし、毎年同じことをやっているわけでもなく少しずつ変わっていくし、自然相手のことだから出たとこ勝負みたいな言い方を、恒光さんがしていたような気がしていて。そういう言葉で説明されたので、ちょっと覚悟をしていました。
恒光:
苦手な忙しさとは、どのように折り合いをつけられましたか?
佐野:
私の場合は散歩でした。シェアメイトと行くときもあれば、自分一人で行くこともあって。最初の頃は風車のところまで行って夕陽を見たり、あとは崎漁港におりてサンドイッチとかおやつを持っていったり。最近は青谷の方にも行くようになって。
恒光:
歩く範囲が狭い(笑)
佐野:
狭いけど、飽きないですよ。青谷のトンネルみたいなところに座って足をぶらぶらしたりするのもお気に入りでした。あと、第二農場前も星が綺麗に見えるところなので、星を見に行ったりもしましたね、何回か。
散歩以外だと、家で休日の朝とかにひとりで料理すること。忙しくて疲れていたりするけれど、梅のジャムをつくるとか、餡子を作るとか、そういうほったらかしにしてもいいけど、それをあえてじーっと見ながら、心を静めていたかもしれないです(笑)
恒光:
傍から見ていると、ぼぉーっとしているように見えたんだろうね、きっと(笑)
佐野:
でも、そういう時間が必要だったんです。
恒光:
「忙しさ」の言葉の意味って、島に来てから変わった?
佐野:
あぁ、ちょっと変わったかもしれないです。なんていうか、都会にいた時は予定が沢山あるのが「忙しい」でした。あの人とご飯だとか、友達と約束だとか、仕事だとか。こっちだと、そういうことじゃなくて、目の前のことに対応していく忙しさ。
恒光:
佐野さんが前にいた美瑛は美瑛で、自然が目の前にあって、同じく自然相手で忙しくなりそうなのにね。
佐野:
それは本当に不思議で。まだちゃんと分かっていないけど、これは予想ですけど「島のコンパクトさ」が忙しさの理由かな。
徳之島に行った時も同じ感覚で、毎日が目まぐるしくて。それは働いていたわけじゃないんですけど、なんか毎日すごいカラフルで。本当に一日一日が短編小説みたいな毎日を過ごしていて。離島っていう、ぎゅっとコンパクトな中だと時間の流れが違うのかなって。
恒光:
普段顔を合わせるのは、同じ人も多いのにね。不思議。
佐野:
美瑛でも自然を感じながら暮らしていたのは変わらないけど、気持ちの余裕の違いはなんだろうって。まあ、海士でも落ち着くんですけどね。それは、このあと研究してみます。
恒光:
短編小説というワードで思い出したけど、「みをつくし料理帖」という小説にはまっていたよね。それは海士に来る前からだけど。みをつくし料理帖と海士町での出来事を重ねることはありましたか?
佐野:
沢山ありました!
先生が関西の人で、主人公のお澪さんも関西の人で。最初に感動したのは、木の芽で。
山椒って北海道にぜんぜんなくて、木の芽味噌とか出てきて、それがあまり想像つかなくて。でも、こっちに来て「あぁ、これのことだったんだな~」とか。想像するしかなかった食べ物に出会えたというか。そういう発見にこっそり喜んでいました。
旬の食材もあれば、規格外の色んな食材にも出会うのが島食の寺子屋。どのように食材と向き合いましたか?
佐野:
食材のことを、ちゃんと見るようになったなと思います。
同じ魚とか、同じ野菜でも、状態を見るようになりました。生で食べられるようにしたかったけど、火を通した方が美味しいかなとか。
なんていうか、これが作りたいから絶対にこれにするとかじゃなくて。今の時期のラディッシュはこうなんだなとか、今の時期の魚はこうなんだなとか見ながら、じゃあどうしたらいいのかなって考えるようになったと思います。
卒業制作弁当の時でいえば、まだ木になっていると思っていた甘夏が、カラスに全部食べられてしまっていて。じゃあ、その代わりに白石さんのところに最後のみかんが残っていたのを頂戴するかってなったり。
あと、苺が余っていたから1日目は苺を入れてみたり。それ以外は、たまたまマルシェでお隣が「しゃん山(野菜の直売所)」のブースで、八朔をその場で仕入れたりして、結構いきあたりばったりで対応していくというか。
手毬寿司も最初は2種類の予定で、でもたまたま大根を沢山もらうことがあったので、じゃあ大根使おうってなってスライスして、椿の手毬寿司にしたのは大根が沢山入ったからです。そういうことができるようになったのは、成長したところかなって思います。
初めて留学弁当を作った時の反省点として、「自分がこれを作りたい」っていう想いが強すぎて、ちゃんと食材を見れていなかったな~っていう反省をしていたから、進歩できました。
卒業制作弁当と留学弁当の違いは?
渡す人の顔が全員浮かぶところは違うかな。
実際に食材を作ってくださっている方の食材を使って食べてもらうので、そういう意味で緊張感はありました。この人はこういう食べ方は知っているだろうなとか。
例えば福井さんだったら、椎茸は焼いて食べるじゃないですか絶対。
だから、福井さんの椎茸も焼くだけですごく美味しいんだけど、そういうのも岩崎君がつくった南禅寺蒸しみたいに、がんもどきと合体させて炊くとか。生産者の方が、絶対にやらないであろう手間のかけ方で、料理をしました。
生産者とか生産現場って、どういう存在ですか?
出身地の北海道だったら、なんでも規模がでかいから。
こっちに来たら、もっと気軽でラフな印象。柿谷商店でもローリエとれたからあげるとか。大海さんの畑とかも好きで、こじんまりしているんだけど、自分の作りたいものを色々作っていて。こじんまりしていて、自分と自分の周りの人が食べていけるくらいの畑でいいなって思います。憧れです。
あと、顔がわかるなっていうのはやっぱり大事に感じます。あの人から預かった食材ってわかって料理をするのと、そうじゃないのとでは、食材に対する愛着は違うと思います。
1年の中で印象的だった出来事はありますか?
佐野:
中指事件はびっくりしました。鯛のヒレごときで、指の腱が切れてしまうとは。ゴム手袋をしっかりとつけるように、気を付けないと。
恒光:
この事件があった時は、正直もう佐野が途中でリタイアしてしまうのかなと思ったんだよね。傷口が水に濡れちゃいけないとか、リハビリに時間がかかるとか、化膿したらまた病院行かないといけないとか、色んな制約をお医者さんから言われて。
佐野:
一年しかないのに、こんな制約があって、ちょこまか授業に戻って、みんながどんどん進んでいくのを横で見ていたらどんな気持ちになるのかなって思ったら、もう北海道に帰っちゃってもいいかなと一瞬思ったんですよね。
でも、お母さんに電話したときに、「何もできなくてもいいから、いなよ」って言われて。それもそうかってなって、そのあと病院の近くの遊覧船に乗っている3時間で色々考えて、授業に戻ることにしました(笑)
恒光:
そのお母さんの「何もできなくてもいいから、いなよ」って一言が大事だったんだね~。
佐野:
シェアメイトの真希ちゃんにも、「なんもできなくても良いからいて、たえちゃんいないとダメだ~」って電話で言われて(笑)
ともかく、「何もできなくてもいいから」っていうのは、料理を学んでいるだけじゃないなって思ったから。料理の技術だけを磨いているわけじゃないんだよなって思い直したから。
結局、なんでもできましたよね、包丁も持てたし、濡れちゃいけないのに水雲を見に海にも潜っちゃっていたし。中指を立てながら泳いでいましたね(笑)
恒光:
他に印象的だったことは?
佐野:
福井さんのところで、原木の担ぎ出しの準備を手伝いにいって。その時の景色とか、原木の山のこととか。ちょうど立春の日で、季節の境目で空気が変わったようなのを感じていて。
この出来事が、というよりかは色んなことがあった中で、残っている景色があるんですよ。こないだ、勇木さんのアトリエで話しているときの、窯の中に日が差している感じとか。私の場合はそういう印象の残り方をしていて。
すごい忙しい中にも、その中に美しい瞬間が沢山あって、そういう景色とかをこれからどこかでも思い出すんだろうなって。
逆に、美瑛に綺麗な白樺林があるんですけど、そこを歩いているときの風景を逆に島で思い出すこともあります。光の入り方とか。椎茸の原木担ぎの時も勇木さんのところでの光とか、そういうことも思い出していくんだろうなって思います。
言葉にならない美しいものって感じかな。
あと、自分が作ったものを色んな人に食べてもらえるっていう経験がシンプルに嬉しいことなんだなって思って。留学弁当だと、自分たちで味付けとかも考えて作ったものを食べていただいて、アンケートとかで美味しいって書いてくれていたり。
その後の、崎フェスとか、まる土とかで、自分たちが目の前で作ったものを目の前で売って食べてくれて、「美味しい」ってシンプルに返ってくるのがすごい嬉しかったです。
料理人を目指して寺子屋に入ったわけじゃないけど、そういう気持ちはこれからも持っているんじゃないかなと感じました。食べ物を作って喜んでもらえたらいいなって。それは入った時からもこれからも、その気持ちは変わらないなって。
離島キッチン海士での実践授業はどのような感じでした?
プレッシャーでしたね。
色んな事を同時にするのが苦手なので。夜も遅くなることがあって、眠たくなってしまうことも。。(笑)
でも、10月頃位かな、ちょっと余裕をもって楽しめるようになってきました。最初は本当に自分が仕込みしたこと以外のことを分かる余裕もなかったし、この料理をどうやって作ったのか聞かれても分からなかったりとか。
そうなると、ちゃんと説明できなくて、お客様に対して申し訳ない気持ちになって落ち込むじゃないですか。まあ、回を重ねるごとに楽しむ余裕というか、わかることが増えてきて、お客様にちゃんと伝えられて喜んでもらえたら嬉しくなってくる。
ちゃんと自分の言葉で料理のことを伝えられてきたことが、離島キッチン海士での実践を楽しめるようになってきた理由だと思います。
恒光への質問があればどうぞ。
恒光さんってタフじゃないですか。最初からそういう風に生まれてきたわけではないじゃないと思うけど。
この間、海の人間と大陸の人間の違いの話をした時に、恒光さんは海の人間のような気がして。海の人は予想外のことに対応して生きていかないといけなくて、大陸の人は割と決められたことの中で生きていくって話で。大陸で生まれたはずなに、いつから海の人に変わったんですか?(笑)
恒光:
この島って遊ぶ場所もないし、なんか楽しもうと思ったら自分で動かないと始まらなくって。楽しむ為に、崎地区の青年団でバンドやるってなったら、今まで楽器やったことないけど、とりあえずドラムを叩いてみるとか。
ドラムってどう叩くんだ?ってところからのスタートだけど、やってみないと始まらないから、やるしかない、みたいな。やってみよう、やってみるにはやるしかない、やるしかないならどうやろうかの精神は、崎地区で教えてもらったことかな。
あと、都会でバンドやるってなったら、なんか最初からそれなりのレベルを求められてしまう気もする。人の評価を得る為に頑張るみたいな。こっちだと、自分が楽しむ為に頑張る感じかな。
これは仕事に対しての考え方でも一緒で。例えば、観光の仕事をして、接客のことを労働と思いながらお客さんと一緒にいると、一緒にいる時間長くてしんどいなとか、負荷に感じやすくなるけど、「お客さんと一緒に自分も楽しもう」みたいな感覚でいると、仕事のような遊びのような気持ちで過ごせる。もちろん、責任感をもって仕事はするけどね。島食の寺子屋の仕事も同じような感覚でやっている。
あとは新しいものが好きなのかも。「去年と同様に」というのは苦手で、継続であったり積み重ねもすごく大事にしているけど、新しい案件のオファーがあったらまずは前向きに検討してトライアルまでは必ずしてみるとか。
佐野:
とりあえずやってみる、みたいなのがやりやすい環境ですよね海士町って。ヨガ教室とか、まる土マーケットへの出店とかも、そういうのを受け入れてくれる懐の深さというか、おおらかな場所に感じます。
最後に。これから入塾する生徒へひと言お願いします。
なんやかんやで、振り回されたり巻き込まれてみるのも楽しいですよ!
心をオープンにして楽しんでください!
1年間お疲れ様でした!
(収録:2023年3月14日 島食の寺子屋校舎前)