卒業生インタビュー(岩崎くん)
1年間終えて、ひと言感想をお願いします。
楽しかったこともありましたし、すごい大変なこともありましたけど、総じて楽しかったです。
島食の寺子屋に入塾を決めた頃のことを教えてください。
色んな理由があるんですけど、シンプルに島暮らしを体験してみたかったというのが一つあって。漠然と「どんな暮らしなんだろう」って気になっていて。
あとは、大学4年の就職活動の時期に寺子屋に見学に来たんですけど、職人の仕事に憧れていて、サラリーマンとかじゃなくて、なにか手に職をつけたいな~って。「私はこれができます」っていうのがひとつは欲しかったです、昔からこれといった特技があったわけでもなかったので「こういう人間」じゃなくて「これが出来る人間」みたいな感じで仕事を見つけたくて。
その中で、料理が好きだったので、知り合いからの紹介でこういう学校あるよと聞いた時に、「島暮らしで職人技が身に付いて、しかも自分の好きな分野なら行くしかないな」って感じで来ました。
1年間を経て、島食の寺子屋の見方は変わった?
岩崎:
思ったよりも自分の生活の延長線上にあったなと思います。授業の日も休みの日も変わらない生活を送っていたような。
校舎に来ても、自分でやることを決めないといけない日も多くて。桂剥きの練習をやってみたり、盛付のチェックをしてもらったり。そういうことは、家でも割とやっていたので、家も学校も同じような感じで毎日が続いていて、それが生活リズムになっているのが自分の中で心地よかったりもしました。
恒光:
自習が好きなタイプなのかな?
岩崎:
自習してみて、気になることがあったら先生に聞いてみるとか。
島食の寺子屋の授業リズムは、けっこう放り出されることが多かったので、自分の中ではけっこう合っていたなと思います。
「ここにある食材で好きなことをやってみて」っていう、授業として課題がなんもない日が好きでしたね。
島食の寺子屋を人に説明するとしたら、どういう説明をする?
色んな側面がありますけど。「海へ山へ里へ」。本当にそんな感じでしたね。
卒業製作にはどんな想いを込めましたか?
生産現場って本当に時間がかかるんだなって、食材の生産に。特にみかんの現場に個人的に行くことが多かったんですけど、収穫の時期が11月頃から始まるんですけど、やっぱり1年かけてみかんを育てていて。ついこの間の土曜日にみかん畑行ったんですけど、その日は土壌改良をやっていて、みかんの木の周りに穴を掘って土壌改良を加えたり。
夏になれば青みかんの状態のものを摘果して、美味しいみかんがなるようしたりとか。それぞれの作業が、長いスパンをかけてようやくその結果が見えるみたいな。3月にやった土壌改良も、それが木が育っていく何年後とかに結果が出るみたいに、本当に時間がかかるし、実験もそんなにできないし、年単位でできていくというのが印象的で。この1年だけで、生産現場のことを学びきれたとは、逆に言えないと思えて。長いスパンのこともそうだし、出荷とか収穫のところでも手が込んでいたりとか。
あとは加工食品を作っている場所もありますけど、料理をする人のもとに届くまでに、すごい時間と手間がかかっていて。それに対して感謝の気持ちも込めて、こちらも手間と時間をかけてお返ししていくというものでした。
生産者とか生産現場と関わりながら料理をするってどんな感覚?
勿体なくはなりますよね。
やっぱり顔見知りの方のものを使って作りますし、すごい手間をかけて作っているのも知っていますし。素材の味が壊れるような、美味いタレをぶっかけて焼いて食べるようなやり方は、その素材のせっかくの味が活かされていないというのは、やりづらいなって思います。こっちもちゃんと食材に向き合わないとなって。そういう意味では現場を見れたのはすごい良かったなと思います。
島食の寺子屋で学んだことを、今後どのように活かしていきますか?
「かけるべき手間はかける」ということは、先生からも生産者の方からも学んだことで。先生もよく横着するなよってよく注意していて。やっぱりかけるべき手間って、それをするからこそ美味しくなったり、綺麗な盛付になったりして。包丁も濡れたまま使うんじゃなくて、しっかり水分をとってから魚を捌いたりとか。味に直結したりとか、お客様が骨を食べたりしないとか、すごい基本的なことなんですけど、かけるべき手間は丁寧にやりつつも手早くできるようにする大事さは、授業で凄く感じたことで。かけるべき手間は、ちゃんとかけていかないといけないというのが先生から一番学んだことですね。
世の中のことをめっちゃ知っているわけじゃないですけど、自分が知っている部分ではなるべく効率化みたいな工場に頼ってみたいな部分が多いと思うんですけど、それで世の中から手仕事というのが減ってきているという印象があって。美味しいものを目指すだけだったら、省ける手間は省いてもいいんですけど、その手仕事自体の美しさというか、手をかけること自体に物語的なものがあったりとか意味が生じると思っていて。
将来は妻が畑をやりながら、そこでなにかできたらいいなと思うんですけど、そこでなにでもって付加価値をつけるかっていうと、ただ美味しいものであれば沢山いると思うので、ここで手間のかけ方を学んだからには、すごい手間をかけて味以外のところでも感じてもらえるものを作れるようになったらなと思います。この切り方にはこういう意味があってとか、味以外での喜びも大事だと思いました。
お昼休みに料理雑誌を読んでいるのが印象的だったけど、どういう時間だった?
本当に純粋に読んでいて楽しかったというか。島にいると世の中の情報のインプットが少ないなと思って。例えば留学弁当の時とかに自分でレシピを考えようとかなった時に、自分の引き出しがあまりにもないなってなって。それで先生から料理雑誌を借りて、片っ端から読んでみようと思って。こういう料理にはこういう理屈とかやり方があるんだなって、ひとつひとつ勉強していきました。
折角、色んな経験ができる場所なので、その分そういう情報は自分で仕入れていかないとという焦りはありました。でも、ともかく楽しくて、料理のクッキングサイエンスみたいなものがすごい好きで。これとこれは、こういう組合せにすると、こういう理屈で美味しくなるんだなとか。こういう切り方とか焼き方をすると、こういう反応が起こっていくんだなって。そういう理屈をひとつひとつ仕入れていくのが個人的に好きだなっていうのがあったので。
岩崎くんはnoteを書くのが得意だった気がする。noteを書いていて感じることは?
シンプルに書くのが好きなので。
最近は少し思うことがあって、ちゃんと自分の思っていることを文章なり形なりで、ちゃんと伝えて余計な誤解を生みたくないなって。
例えば、さっきの話にも繋がるんですけど、料理って色んな美味しいの要素があって、楽しみとか文化とか生活とか歴史とか、色んなものを包括したものが日本料理なんだなって感じているんですけど、やっぱりそういうことを知らない人に提供した時に、ちゃんと伝わっていないことがあるともったいない気がして。
自分がこういう想いで料理を作っているっていうのは、最低限なにかしらの形にして出していれば、そういう誤解は防げるのかなとすごく感じていて。最低限の料理の方向性だけでも伝わらないと、お互いにとってよくないなって。例えば、こっちは会席を出しているのに、向こうはラーメンを求めていたら、ミスマッチな訳で。すごい極端な話ではありますけど、ミスマッチを防ぐためにも文章にしておくっていうのは、大事なんだなって思います。
1年の中で1番印象に残っていることは?
シンプルに景色でいうと、松島の延縄漁ですね。夜の延縄漁で出航して、漁船の上で真っ暗で静かな海の中で、ライトが照さんに当てられて、照さんが餌の鯖を針に巻いてひたすら海に投げ込んでいくっていう、あの光景が誇張なしで今までで一番きれいな景色だったなって。映画のワンシーンの中にいるように錯覚するような。明かりと暗さのコントラストというか。そこで行われている手際の良さとか。漁師さんにとっては日常のはずなんですけど、普段のこういう生活の中にこんな綺麗な景色が入っているっていう美しさというか。特別なことでなくても、こんな美しいことがあるんだなって、自分の中でも嬉しくて心の中に残っている光景で。
お話を聞いたものでいえば、勇木さんのアトリエ(隠岐窯)での見学のことが印象に残っていて。
あそこに住んでいて、その土地のなるべく周辺の土とか、釉薬も栄螺を使っているとかで。本当にジャンルは違えど、寺子屋での学びをそのまま体現しているかのようで。
勇木さんとの話で思い出すのが、「求められることに対して」ということで。求められることに対して応えすぎないというか。自分の個性を出すんじゃなくて、自分が住んでいるところだからこそできることに寄り添うみたいな話をされていて。
そこにすごく共感していますし、そうなりたいなって思いますし。自分もこう表現したいなって思う時に、求められていることに順応しすぎてしまうと、自分が寄り添おうとしていたことを裏切ってしまうことになるっていうことに、そうだなって思って。ただ、そこで何にも応じないとなると、社会と隔絶してしまいますし、そこのどこで折り合いをつけるかだとは思うんですけど。自分が寄り添うべきものを見失わないことはすごい大事だと思います。
まったく別の話になりますけど、包丁の使い方とかは、本当に最初上手くいかなくて。緊張しちゃって、お刺身を一枚切っては置き、一枚切っては置いて休憩し。いつ終わるんだってような切り方をしていたんですけど、つい最近の離島キッチン海士の仕込みの時に、お造里を切った時に、まだまだではあるんですけど、柵を出してすっすっと切って、すぐに終わっちゃったんですよ。で、その後に「あ、普通にやれているな」っていうことに気付いて。魚を捌いたり、野菜を切ったりとかいう料理人の技が、日常的にもできるようになっているのが当たり前になっているんだなっていう実感したのがこの間ですね。
次はどんな進路の予定?
妻が1年間農業研修をしているので、場所としてはそこに一旦は移ります。さらに別のところに移る予定があるので、アルバイトをしながら過ごそうと思います。1年経ったら、愛媛県の島で大三島というところに妻が移り住みたいそうなので、僕がついていく形になりそうです(笑)
そこで、妻が少量多品種の農園をやりながら、僕が料理の担当をして。
近江島には、日本料理店とか、手間暇かけるようなお店がある場所ではないので、こちらで学んだことを修行する場所がないのは残念ですけど、勇木さんの言葉に立ち戻ってみると、そこでできることをやっていけば、自然と自分の個性は出てくるかなと感じているので。一流のお店で学ばなかったとしても、そういう風にしていけば自ずと自分の料理ができていくんじゃないかって思うので、そこはこの一年できっと大丈夫なんだろうなっていう安心感を持てるようになりました。
これから入塾してくる生徒の皆さんにひと言お願いします。
この一年については自分のやりたいことをやって、自分を大事にできた一年だと思うので、本当に良い思い出だなって思います。
たぶん、島という環境で色んな新鮮な光景であったりとか、人との出会いであったりとかがあって、色々学べるものが沢山広がって山のようにあって、何から手を付けていいのか分からなくなってしまうかもしれないですけど、やっぱり自ずと自分がやりたいことっていうのは自ずとあると思うので。普通に暮らしていれば必要なものって出会えるなって思うので、貴重な機会なので頑張ってほしいとも思いますけど、あまり焦らないでもきっと良い出会いがあるんじゃないかなって。
なので、気長に楽しく授業を受けて暮らしていけばいいんじゃないかなって思います。
一年間お疲れ様でした!
(収録:2023年3月13日 @離島キッチン海士)