繋がる交差点
1年の振り返りは、いつもであれば年度末に生徒が入れ替わる時期にしてきた。そのタイミングで、くっきり割り切って区切って、「よし、気持ちを切り替えて次年度の生徒だ!」と気持ちを切り替えるようにしていた。余りにも現役生に感情移入し過ぎると、上手い具合に新しい生徒受入に向けて気持ちを切り替えられない実体験があったからだ。
それが今年は少し違う心持ちになっている。今まで区切ってきたものが、連なってしまっても良いと思えてきた。これまでとは違う繋がり方が出てきた。
島で初めての酪農が新規事業としてスタートしていて、ふとしたご縁から昨年度卒業生が島に残ってチーズやヨーグルト作りに関わっている。
実際に今年の4月から乳製品加工に関わり始めてから、初めての搾乳まで予定より時間がかかって、新規事業ならでは苦労や心配を抱えたこともあったんだろうなと。本人の口から聞いたわけではないけど、やっとこさ出てきた島で初めての牛乳を、卒業生が寺子屋へ届けにきてくれた時は、心待ちにしていた牛乳を得た喜びとは別に、なにか温かい感慨深さのようなものが溢れてきた。
他にも、3年前の卒業生が島に遊びにきた時に、無茶振りで「授業やってみてよ」と言ったら、実際に挑戦してくれて結果として本人が一番楽しんでくれたことも。
そして、その授業で伝えられたことを、現役生がしっかりとバトンを受けたかのような形で、後日に控えていた仕出し弁当のメニュー考案に活かしてもいて、嬉しくなった。
帰る時には「また遊びに来ます!」と残していった卒業生の言葉を意外に感じながら、無理をしなくても再びいつか交差する時が来るんだろうなと、送別会後の寝不足と飲み過ぎで、ぼんやりした頭のなかで、根拠のない安心感を覚えた。
現役生が新たな出会いを作ってくれることもあった。
入塾前から「茶懐石を学びたい」と言っていて、「寺子屋は会席料理であって、茶懐石は教えられないんよね」という前置きがありつつも入塾してくれた生徒。
その生徒から、茶懐石やりたい茶懐石やりたいって言葉を幾度か聞いているうちに、やってみようか!となって。でも、実際に茶懐石なるものがいかなるものかをゼロから調べていくうちに、そもそも特殊な道具が必要であったり、えっなんで?と思うような独特の食事ルールもわんさか出てくる。
こんなに無知であるのに、お茶の世界に失礼ではという考えも一瞬よぎったけど、何も始めずに待っているだけの方が勿体ない気もして、まずは出来ることからやってみようと、島内の神社でのお祭りに合わせて野点でお茶を出してみた。
正直なところ、茶懐石が自分にとってこういうものだと思える時が来るのかどうか分からない程に深い世界。でも、言葉では知っていても、実際に知らないことと巡り合えたことには感謝しかない。
他にも書きたいことは沢山あるけどキリがない。書いているうちに年を越してしまう。
いつも出会っていて、それでいて大切に思えるのは島の風景なんだということで締めくくりたい。
夏場に窓を開けると家から少しだけ海が見える。
縁側に椅子を置いて、足を延ばしながら本を読む。本を読むのに疲れたら、ぼんやりと海の方を見る。
少し風の強い日で、山の岩肌に波がぶつかって白いしぶきが上がるのがたまに見えて、その数秒後に波のぶつかる音が耳元に届く。
普段から漁港での仕入れとかで海を見ているつもりなのに、ドタバタしていると、どうも海のことを感じ取れていない自分に気付く。島の風景を逃さないように、島の中を寒くてもたまに走るようにしているけど、まだまだ一部の景色しか見れていない。
島で今年の最後の最後に会いにいったのは、放牧されている馬。
いつなんどき会いにいっても、変わらず癒される。変わらないものもがあるのも嬉しいこと。
(文:島食の寺子屋 受入コーディネーター 恒光)