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憂き身を窶したい
【お節研修を経て活かしている事】
辰巳屋さんでの約1週間に亘るお節研修が終えて、もう1ヶ月が経った。
まだお節研修で感じた事は鮮明に覚えている。
結論の部分からにはなるが、寺子屋は普通では中々ない体験や経験をさせて貰えてるなと感じました。
というもの、自分たち寺子屋からそれぞれお節作りのお手伝いをさせて貰うという立場である事は分かっていたので自分達が同じ作業を延々と続けたり、味付けや重要な仕事をさせて貰えないのは分かっていたが、辰巳屋の従業員の方々1.2.3年目でも同じ様な作業をしていた。技術や速度は自分たちと違った。けれど、そんな人たちですら味付けなどの重要な部分は任されていないんだなと、。寺子屋では当たり前のように自分たちで味付けやレシピを決めたりしているなと思った。勿論先生が調整してくれたりするが、調理素人も同然の人間が1年目からそういった事をしている寺子屋の存在意義を理解した。変な言い回しになってしまっているけれど、とにかくこの1年間は良い経験をさせて貰っているんだなと初めて実感というか理解する事が出来た。
辰巳屋さんで感じた事は技術的なことやスピード感の違いも感じたが、それ以外の自分の置いている環境との照らし合わせが出来た事に今後の起こり得る事象に対しての捉え方に、幅と尺度をもたせてくれる良い機会だったと思えて、日々の授業にも活かせています。
お節作りの一連を体験させて貰えた事は良い思い出になり、1週間の殆どの時間を厨房に籠って皆で過ごし、共にした仲間たちと頑張った事は凄く楽しかったです。
【就職に向けて意識している事】
島食の寺子屋の1年間が3月で終わり、4月からは新たな場所で皆がそれぞれの進む道を決めている。自分は島の唯一のホテルであるEntôで働く事が決まった。本当は不安や焦りなど危機感を持たないといけないのに不思議とワクワクというか社会人としてはやく自立した自分になりたいという漠然とした思いでいてしまっている。
和食ではなくイタリアン
生徒ではなく従業員
このギャップを4月には痛感する事になると思う。『 一念通天 』 強い信念を持って努力すれば、どんなことでも成し遂げられる。
父親から持たされた言葉。父親らしいなと思った。辛く苦しく逃げたい時でも成し遂げる人。子供の頃は親の苦悩や凄さって分からないけど社会人になる自分にはそんな背中で魅せる父親は偉大だと感じる。
今、意識出来る事は、そういった心の部分かなと思いました。
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あとは、文字に残す必要は無いけど、誰かに話す前に忘れそうだから文字に残しますが、最近自分の中でずーっと腑に落ちない事象がある。
『料理人として一流にならなさそう』
って思う。今現状は、
なんかこう興味が無いわけじゃないけど熱がなくて「ただやっているだけ」状態になっている。
例えるなら、興味がないスポーツを惰性で続けているような感じ。
《憂き身を窶す》 苦労しながら熱中するさま。
今自分が求めている事かなと思う。先生もよく言うように、『もっとこうしたら良かった』とか『こういったのが作りたい』とか反省や次への活かし方や意思を持つなど考えることが大事って言ってた気がする。分かっていても、今の自分はそれが出来ない。
四六時中、夢中になって考える事は大事だし楽しいし。そうなっていけば多分一流を目指せると思うし、楽しくなってくると思う。
まとめるのが難しくなってきた。けど、また2月号でもこれについては触れると思うから、1ヶ月後に心情に変化があるのか楽しみでもある。
(文:島食の寺子屋生徒 魚谷)