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「したい」がないは、努力の証。
出かける直前に、洗濯機を回す。
入れられるものをとことん詰めたら、電源ボタンを入れて、画面を数回タップ。洗剤すら入れない。自動投入の設定をしていたから。ドアを閉めたら、あとはドラム式洗濯機くんにお任せだ。
それだけで、わたしが家に帰ってきたころには、ホッカホカ、ふわっふわの洗濯物が完成していた。
自分が家を空けている間に洗濯を完了させられるとは、なんと効率的な時間の使い方だ。何よりも、とてもラクだった。乾燥まで、約2時間半で完了させてくれるので、「あ、これ今洗っちゃいたい!」と思い立った時も、最高に便利だったなと思う。そんな生活を、3年くらいは続けていただろうか。
とにかくわたしは、洗濯が苦手だ。料理以外のすべての家事が、得意ではないし、好きでもない。中でも洗濯が、とにかく苦手なのだ。
なんで苦手なのかはよくわからんけど、なんだかもう、すべてがめんどくさいと思ってしまう。干すのは腰が痛くなるし、衣類によって干し方を変えるのは大変だし、畳むのってアレなに? なんであんなにめんどくさいんだ。
そんなわたしが、ロンドンに来てしまった。
ロンドンには基本的に、乾燥機がない。いや、物理的にはあるんだけど、日本で思い浮かべるような完璧な品があるわけじゃないのだ。使ったところで乾かない、みたいな先人たちの言葉を何度も目にした。
生地が痛みやすいので、すべてをネットに入れる必要がある。
洗うだけで約2時間かかる。
そしてもちろん、一つ一つ丁寧に干す必要がある。
干すまで外出ができないから、洗濯機を回し始めると、約2時間+干すための数十分、家待機が確定。少し前までは、外出前の恒例となっていたが、できなくなってしまった。
別に、できないことはない。わたしにだって、丁寧な洗濯はできる。しかし、「できる」と「したい」は大きく違う。
人はそうなのかもしれない。これでしか生きていけないと思うと、なんだかんだで順応していく。ロンドンに来てから約2ヶ月が経過し、このとってもめんどくさい洗濯ライフが、もはやわたしのスタンダードになってきているわけだから。
いつだってどこだって、環境に順応し、生きていくことは可能だ。しかし、それが「したい」かと言われると、話は別で。
環境に慣れ、時間が経てば経つほど、「できる」に身体が慣れていく。そして少しずつ、心の中にあったはずの「したい」が棲みつく場所が、侵食されていってしまうのかもしれない。
『「したい」ことがわからない』と、よく聞く。その事実に思い悩んだことがある人も、多いんじゃないだろうか。でもそれはきっと、環境に順応しようと、努力に努力を重ねた結果だ。環境に順応するための努力を、必死にしてきたからこそ、「したい」がわからなくなってしまっただけだ。
恥ずかしがることじゃない。
「したい」がないは、努力の証。
居場所をなくしてしまった「したい」を、再び住ませてあげられるように、少しずつ。「環境に順応しなければ」という鎧を、外していけたらいいですね。
あ、洗濯が終わった。
……干すか。めんどくせえ!
ほな、また。