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どこに行ってもどこまで行っても、隣の芝は青かった。

人の人生を知れば知るほど、人の人生を尊敬すれば尊敬するほど、自分の決断の一つ一つは疎か、歩んできたこれまでの人生まで、ちっぽけに見えてしまうことがある。

これでよかったんだろうか。
もっと他の道があったんじゃないだろうか。

人様の人生と比べる必要なんてまったくないとわかっているのに、それでもなぜか、心のどこかで比べてしまう。無意味だと理解しているにも関わらず、不覚にもうらやましいと思ってしまうのだ。

ロンドンに来て、1ヶ月半ほどが経過した。

わかる。わたしのこの生活と状況が、それはそれは青く見えてしょうがない人がたくさんいるだろうことは、とてもよく理解している。

しかし、だ。
わたしはわたしで、周りの芝が青く見えて仕方がない。今もなお。

ロンドンに来る前は、わたし自身、これから始まる自分の生活に期待していたなと思う。

ロンドンという街に行くんだ。新しいことに囲まれる。想像もできぬことが起きる。きっと毎日刺激だらけで、それを乗り越える度に、わたしは大きくなれるんだ。誰にもマネできない、唯一無二の人生を送ることができる。だから仕事だってきっと、大丈夫。

しかし、どうだ。

こちらに来てから知ったのだが、ロンドンには、どうやら約3万人もの日本人が住んでいるらしい。そっか、別に珍しいことじゃないんだ。

そしてSNSを開けば、知り合いたちの活躍が目にとまる。新しい仕事をゲットしている人、着実に自分のビジネスを大きくしている人。それだけじゃない。出産をしてママになった子、すでに数人の子どもを育てている子。

今の自分に持っていないものを、みんなが持ちまくっている。そして、焦る。ロンドンに来たにも関わらず、あまり何もできていない、今の自分の現状に…… それでも誰かから見れば、わたしの芝は青いはずで。

どこに行ってもどこまで行っても、隣の芝は青いものなのだな。人様の人生と比べてしまった瞬間、隣の芝は必然として、青く見えてしまうものなようだ。

隣の芝の青さを、なくすことは不可能だ。不可能だと割り切りながらひとつずつ、少しずつ、自分の芝を誇れるなにかを見つけていくことが、大事なのでしょう。

いや、当たり前なんだけど。海外に住むという大きなチャレンジをしてみて改めて、実感した気がしたのでした。

青くなくていい。キレイな花を咲かせるもよし、一層のことピンクに染めてしまうもよし。自分の色に染めていくことを、もっともっと貪欲に考えていくべきですね。

育てていこう、自分らしく、自分だけの芝を。

と、頭でわかっていても、きっとわたしはまた、誰かと人生を比べては、隣の芝が青く見える。

人生、そういうもんだよな。とほほ。

ほな、また。


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