国内外を旅する中で最も痺れた場所、宮古島
数年間、国内外を旅していた。目的地は決めていない。その時の気分で東北をまわっていた時もあれば、九州をまわっていた時もある。ふと次の瞬間、東京に戻りたい時は東京に戻ってきた。翌日の行動計画はなし。飛行機だと気分によってはフライトのキャンセルをしなきゃいけないため、基本は新幹線での移動。旅先でホテルのアプリを開き、泊まりたい場所に泊まっていた。合わない土地では最短1日で離脱し、逆に合う土地では連泊をした。
日本に飽きてきたら国外に出た。仲間内でタイに行ったり、ヨーロッパを周回したり、ある時には過去の恋愛の呪縛から逃れたいと願い、シンガポールのセントーサ島でバンジージャンプをした。結局、あの呪縛から逃れることに成功したのかは分からない。もうだいぶ時が経った。
特に深い意味はないが、ある時期、宮古島に1か月ほど滞在することになった。結論から言うと大好きな場所で、終始全てが美しすぎた。あの頃、まだビジネスも駆け出しの頃で、今より傷心中でもあって、そんな中の宮古島だったので胸にくるものがあった。とにかく自然に触れた。言葉にできないほどに全てが規格外の美しさだった。
その時に宮古島に住んでいた起業仲間と色々な海に遊びに行った。太陽が僕らをジリジリと照らす。海の中に潜ると、大きな海亀が泳いでいて、ふと空を見上げると大きな虹がかかっていた。僕はぷかぷかと浮かんだ。このままずっとこうしていたいなと思った。
やがてレンタカーを借りて、1人でドライブにも出かけた。17エンド。そう、宮古島を語るとしたら17エンドを外すことはできない。国内外を旅する中で、マイナーな島にも訪れたりしたのだが、どの海も17エンドには勝てない。ため息が出てしまう絶景。水の中に広がる一面の砂浜が目に飛び込む。
思わずその場に座ってしまった。遠くを眺め続けた。海の端っこは一体どうなっているのだろうと思った。空には雲1つすらなかった。どこまでも海が続いていた。
宮古島のゲイバーでできた友だちは、亡くなった愛犬の骨をこの17エンドに流したらしい。犬は海と一体になる。その瞬間、永遠になったんだろうなと思った。この海はどれだけのものを飲み込んだのだろう。果てしない。果てしなすぎて、言葉で形容することができない。
こんな天国のような場所なのに、もう隣に君はいないんだな、と思った。一緒に見たかなった、とも思った。感謝と後悔が渦巻き、それらの感情から目を逸らすかのように海を見続けた。波の音が聞こえてくる。平日だったせいか、観光客は少ない。
あれからもう3年以上が経つ。宮古島。一生忘れないであろう神聖な場所。しかし神聖すぎて、また訪問するのが非常に怖い。記憶は美化される。僕の中で神聖化されすぎているのだ。美しい記憶のまま冷凍保存をしている今、上書きするのが恐ろしい。120点で保存されているのなら、そのままであってほしい。変に上書きをして点数を下げたくない。
「そんなにお気に入りの場所ならもう1回行けばいいじゃん」と友人は言う。でもそんな簡単な話ではないのだ。あの頃の自分は宮古島という場所が、人が、救済そのものだった。そこに上書きをする行為は、神聖さへの冒涜であるようにすら感じてしまう。
またいつか時が来たら足を運ぶのだろう。その時は17エンドは僕の目にどのように映るのだろうか。果てしない景色。言葉にできない空間。いや、言葉なんて不要になる。ただ全身で感じることしかできないのだ、あそこでは。