RADWIMPSナイト(新宿二丁目)で聴いたヒキコモリロリン
RADWIMPSが好きだ。ただただ好きで、もうかれこれ10年くらい好きである。本当に好きなものは詳細に言語化できない。ロジックではない。感情的に好きなのである。説明など不要になってしまう。
高校生の頃、部活の先輩が「聞く?」と有線イヤホンの片方を僕に差し出した。右耳だったか左耳だったかは覚えていない。僕は丁寧に音に意識を向けた。
電車は二両、三両くらいしかなくて、窓からは田舎の街並みが覗けた。ふと音が流れてきた。それがRADWIMPSの曲で、たしか当時、「ふたりごと」や「最大公約数」を初めて聴いた。
「好きだな、これ」と思った。あれから10年経って同じようなアーティストはたくさん出てきてるのに、今でも変わらず同じ感情で。多分さらに10年後も好きなんだと思う。これからどれだけいいアーティストが出てきても、僕がこれまで重ねてきたRADWIMPSへの愛の時間の体積を凌駕することはできないので、リプレースはもう不可能だろう。これは恋人や強固な人間関係にも言えることだと思う。リプレースが不可能な時、もう多くのモノが縦に重ねってしまっているのだ。不可逆性。それは時に僕らを地上に縛りつけるが、同時に非常に尊いことだとも思う。
この前、新宿二丁目のクラブハウスでRADWIMPSナイトというものがあった。RADWIMPS好きのゲイが集まり、みんなで飲みながら歌を浴びようという最高のナイト。僕は当然行くことを決めた。当時よく絡んでいたゲイの友人かつ取引先と共に。
RADWIMPSナイトは最高だった。「最高」と表現するとどこか安っぽいのだが、「最高」としか言えないので仕方ない。RADWIMPS好きが会場に集まり、みんなで合唱したり踊ったりした。
途中、「ヒキコモリロリン」が流れた。「あぁ、来た」と思った。あまり知られていないマイナーな曲だが、とても好きだ。これを聴けたらもう十分だった。十分すぎるほどだった。
このラストのサビ部分が流れて、、みんなで聴けて、共有できて、本当によかった。ただそれだけ。
そう・・・「ただそれだけ」なのである。
「ただそれだけ」なのに胸がいっぱいで、ほのかに甘くて、切なくて。
あの頃、先輩とRADWIMPSの曲を有線イヤホンで聴いていた時、先輩は、僕は、一体どんな表情をしていたのだろうか。だいぶ時が経った。先輩が(先輩たちが)今どこで何をしているのか、僕は何も知らない。
しかし僕は今でもRADWIMPSを愛している。もちろん、ヒキコモリロリン以外の曲も。