米津玄師の新曲が出るとちょっと死にたくなる
若い頃、僕はロックミュージックをやっていた。
仲間とバンドを組んで、毎月、渋谷やら新宿やらのライブハウスでライブをした。メジャーデビューを目指して、誰にも負けねえぞという気持ちでやっていた。当然、周りのバンドマンも、ちょっと売れてデビューしたやつらもみんなライバルだと思ってやっていた。
米津玄師がデビューしたときのことは今でもよく覚えている。
ロッキンオンというバンドマンの聖書のような雑誌に何ページにも渡って特集が組まれ、100年に一人の逸材などと大袈裟なことが書かれていた。
んなわけあるかい、と思いながらも僕は米津玄師のデビューアルバムを聴いた。確かに良いけど、まあ、すぐ消えるだろう。自分も頑張ればこれくらいの曲は作れる。当時はそんな風に思っただけだった。
それから、僕がミュージシャンになるのを諦めて全然違う仕事をしているときも、久しぶりに会った音楽仲間とは「米津の新曲聴いた?」みたいな会話を交わした。その頃には米津玄師は消えるどころか、国民的アーティストになっていた。
別段、悔しいという気持ちはない。僕が音楽を離れてからも、米津玄師はずっと音楽を続けていた。彼が積み上げてきたものの大きさに愕然とするだけだ。呆れかえるほど沢山の曲を書いているにもかかわらず、いまだに新しい音を追求している。本当に凄い。いま僕が気まぐれでギターを手にしたとこで到底作れない曲を常に作り続けている。
それに比べて自分はどうだ?
僕は米津玄師の新曲を聴くたびに何も積み上げてないふがいない自分を目の当たりにする。やるせないを通り越して、ちょっと死にたくなる。どこかに消えてしまいたくなる。
先日、友人に「なんか全てがどうでもよくなって、消えたくなることとかありませんか?」というようなことを訊かれた。その時は、「ないかなあ」と答えたように思う。でも、よくよく考えたら、米津玄師の新曲が出るたびに、僕はちょっと死にたくなっていた。まあ、別に死ぬことはないんだけどね。
新曲も相変わらず良い曲です。