北の果ての鉱山開発10(独身貴族)

 日用品の入手はどうしていたか、というと、許山事務所の一隅を仕切って、供給所としていた。
 どうせ、物のない時代の事、中身は知れたものであったが、それでも敷島という口つきタバコや、ラム酒のビン詰めがあったのは、意外な気がした。
 
 タバコは、昔も今も専売局の力で、取り扱いできる業者は限定されているから、当時は下川市街の権利を持っている業者から、鉱山に品物が入り、供給所で代行販売していた。
 
 市街地では売れない高級タバコを、鉱山に押し付けてきていたのかも知れない。

 ラム酒は、鉱山に対する特配であったが、一般に、ドブ(密造)が横行していて、高価なこれを買う人が少なく、自由販売に廻っていたのであった。

 この二つに記憶が鮮明な事は、当時金の使い道が無くて、こうした物に金をつぎ込んだからだ。
 
 家族持ちは家族に食料を届けるために、汲々とし、ぜいたくは全く許されなかったから、独身者の強みといえたようだ。
 独身貴族という言葉は、何も近頃だけのものではない話なのである。

 この鉱山の初期の発見から、開発の歩みに触れて置きたい。

 昭和8年頃というのが、正確なように思われるが、下川村の市街からペンケの沢に入って、少し歩いた所(鉱山の呼び名で、中間と言われる場所の近くであったから、4キロはあると思う)に住んでいた浅沼 某氏が、山女魚(ヤマメ)釣りに、落合沢に入ったところ、流れの中から、赤茶色の何か
いわれの有りそうな石を見つけ、持ち帰ったことから、鉱山の歴史が始まることになる。

 でも、浅沼氏は専門の知識を持っていた訳ではなさそうだった。川の中で見つけた石が、キラキラしているので、彼には、それが普通の石ではないと思えたくらいであったらしい。
 山気は有ったというか、農業だけでは生きて行けない生活の厳しさの為か、この人は、鉱山に夢を賭けた。
 
 だが、鉱山の開発は、専門的な知識と、大きな投資が必要であって、千三つと言われるほど、外れの多い、いわば冒険であった。

 それは現代でも同じことであるが、鉱山が、うまく当たれば、とてつもない財を生み出すから、開発しようとする者は夢中になってしまうのである。

 専門知識も、資金の応援も無かった浅沼氏は、意欲に燃えながらも、敗退して行く。
 大概の鉱山が、そうであったように、最初に鉱石を見つけた人とは、結びつかないし、むしろ、その人の人生を大きく変えてしまう魔性を、鉱石自体が持っているように思う。

 浅沼氏は、貯えを使い果たして、病に倒れる事になり、彼は、恵まれずに
この世を去るのだ。
 娘の としちゃん は、鉱山に働いていたことがあったが、「父ちゃんが、しっかりしていれば、私も女学校を出て、お嬢さんになっていたかも」と、しんみりと語った事があった。

 彼女は女学校を出ていなかったから、事務所に勤める事は出来なかった。
 物品供給所の売り子だったのである。
 その彼女も、いつとはなしに、鉱山を離れて行ったし、その母親も世帯持ちの男と結びついて、家を捨ててしまう。

 戦争が終わって、海軍から帰った彼女の兄も、鉱山の下請け業者の下で働いているうちに、病死してしまった。
 
 何かしら、気の毒な悲運が浅沼一家を、この世の中から押し出してゆくような感じさえするのである。

 ともあれ、浅沼が倒れたということで、鉱山探しを仕事とする 山師 が乗り出してくること事になる。そして、鉱区の設定をするのだが、最初の発見者ともいえる浅沼氏は、鉱区の設定さえしていなかったように思える。

 だが、鉱区を設定した山師さん達も、鉱床の本体をつかんではいなかった。簡単には、しっぽをつかませない、したたかな鉱床だったと言えそうである。

 北海道でも、当時一流と言われる山師の今堀さんが、この地に興味を持って、鉱区の共同権者として、割り込んでゆくことになる。

 この人が書いたと言われるものを持っているが、それによると、鉱区を自分のものとする過程は、大体次のような事らしい。

 彼は、共同権者となるのに、当時の金で二万円差し出したが、そのことによって、下川の現地を探っている。

 道案内を募ってはいるが、鉱床に知識の深い彼は、落合沢の流れの中で、有力な鉱徴を見つけ出す。そこに、彼の抜群な能力を感ずるのであるが、共同権者には一切伏せてしまって、教えないどころか、相手が手を上げるのを待つのである。町の鉱山師は、資金に恵まれてはいなかった。

 予想した通り、仲間は金に困って、申し入れてきた。
「金山を買うので金が要るから、下川の鉱区を引き取ってほしい」と。
 今堀さんに異存はなかった。思惑通りに進んだ。

 一切を手にした彼は、今度は人手を集め、本格的な探鉱に力を注ぐ事になる。当時彼は、配下として十人近い人を抱えていたらしい。身内に近い人達だったようだが、この態勢で鉱床の解明に当る。

 以前の山師達が、落合沢の左岸を中心として進めていた探鉱から、右岸へと方針を転換した。

 彼の読みは、次のようなものである。
 鉱床は落合沢の流れの左岸で、大きく落ち込んでいるから、左岸では地表から相当に深くて、簡単に捉える事は出来ない。川で浸食されて途切れているが、右岸の斜面のどこかに鉱石が眠っていると確信した。
 
 そして川岸から数十メートルは離れた斜面の表土はぎを配下に指示した。

 指示を受けた配下達は、何故こんな所と不思議に思ったが、表土の下には赤茶色の岩盤が顔を出し、それが銅を含んだ硫化鉄鉱であることを知る。


今堀氏の考えイメージ


 

続く



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