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感性の違い
前回、いつまでもここじゃない感が抜けずにいる事について書いたが、一昨日のアメリカ独立記念日に、そのことについて考えさせられる出来事があった。その日、特に用事もなかった私は夫と友達と3人で今まで行ったことのない近隣の小さな町に出かけた。昼時だったので軽く何か食べることにしてダイナー兼パブに立寄った。昼食メニューはハンバーガー、この辺の人がポークテンダーロインと呼ぶとんかつサンド、手羽元フライの3種のみ。友達はビールを頼み私と夫はダイエットコーラを注文。食べ物は三人そろってカツサンドにした。改めて室内を見回すと壁には色あせたレーガン大統領の写真、古い新聞記事の切り抜きや、歴史的な白黒写真が額に入れられぎっしりかけられている。額の一つ一つが微妙に傾いていて落ち着かない。それから鹿の半身の剥製ふたつ、釣具、多数の魚の模型、雉子の剥製、ジュークボックスにダーツ、そうしたもので店内が飾られていた。すぐそばのバーカウンターの頭上には銃が掛けてあり、その銃ホルダーは剥製の動物の脚が折り曲げられて銃を抱える構造になっていて両隣には雉子の剥製が舞う。何でこうなるのという飾り物は日本でも地方の温泉などにいけばゴマンとある。だけどこの銃ホルダーを眺めていて、自分を無理に合わせてこれで良し、この土地が私の心の故郷だって腹を決められる?と問えば、それは無理、と私の感性が言ったのだった。