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プラタナスのある公園
通学で横切る公園が実家の近所にある。
ここは、私とおばあちゃんにとってのお決まりのコース。
犬の散歩や、買い物の帰りの休憩にほとんど毎日立ち寄るスポット。
この日も、おばあちゃんとおじいちゃんと一緒に、フラッと散歩にでかけた。
「お花もいいけど、この大きな木も季節を教えてくれるなあ」
公園の真ん中に黙って佇んでいるプラタナスの木を見上げて、小さな声でおばあちゃんが言った。
茶色の枝にポツリポツリと緑が色づく春。
隙間が見えないくらい緑の大きな葉っぱが広がる夏。
風が吹くたびにカサカサと大きな枯れ葉の雨が降る秋。
葉っぱひとつない剥き出しになった茶色の巻が寒そうな冬。
春夏秋冬と顔色を変え大きな幹を持つこの木が、プラタナスと名前だと知ったのは、大人になってから。
花に詳しいおばあちゃんだけど、木の名前は知らなかったみたいだ。
小さな子供の私にとって大きなプラタナスの木は、近づいたら吸い込まれてしまうんじゃないか、と不安になるくらいパワーを放っていた。
「この木は、でかいだけて花が咲かんなー。」
「花は咲かんわよ〜、立派な葉っぱがあれば十分だわ。」
おじいちゃんのふとした発言に、おばあちゃんはやんわり答える。
「昔はこんな木に登って遊んどったなあ。」
「やんちゃな男の子は、だいたい木に登っとったもんなあ〜。」
今度は、おじいちゃんの思い出話。
大人になってから出会った二人なのに、おばあちゃんも同じ時間を過ごしていたかのような会話が続く。
私は、ただただ、プラタナスの下で会話を楽しむ二人を見ている。
当時は、正直何の話だからよくわからなかった。
でも、何気ない会話をする2人から漂うおだやかな空気感が好きだった。
あれから20年以上が経った今。
おじいちゃんが亡くなって、施設暮らしが続くおば。
あのプラタナスの下で会話を交わす2人の姿を、もう見ることはできない。
それでも、ときどき、あのプラタナスの木のある公園に散歩にでかける。
あのころの私に近い年の子供たちと一緒に。
プラタナスの下で遊ぶ子供たちを見ながら、
あのころのおじいちゃんとおばあちゃんを思い出す。
思い出も振り返る瞬間、突き刺さるような悲しい気持ちは一切ない。
むしろ、真逆だ。
少しだけ鼻の奥が冷んやりするけど、心の中はただただ温かい。
おじいちゃんとおばあちゃんがポカポカ陽気の腹のような、優しい気持ちになる思い出を残してくれた。
一緒に過ごした時間が温かいと、もう巡り合えない風景ですら、ぬくもりしか残らないんだなあ。
どうしようもない真っ黒な気持ちが押し寄せていきたら、プラタナスのある公園に行こう。
どうしようもなく自分を否定してしまう時は、プラタナスのある公園に行こう。
プラタナスの木の下で温かい気持ちに触れれば、自分を見つめ直せるはずだから。