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初めて分数の足し算をする子どもに「納得」してもらうための演劇教育

どうも小堀です。森だった陽平のほうです。(どちらにも配慮してペンネームはmokoboriです)。

年度が変わってから、それこそあらゆる人たちから「元気にしているのか」「仕事はどうしているのか」「いつまで西和賀にいるのか」と問い詰められる日々が続いています。どうもご心配をおかけしております。

元気ですし、西和賀にはしばらくいるつもりです。仕事のほうはご存知通りの西和賀町教育委員会には解雇されたものの(そのわり「銀河ホールをこれからもよろしく」みたいなこと言ってくるので何が何だか)、bridgeとして着手しつつあることもあるし、新しくスタートしたものもあるし、継続して関わっているものもあります。

とはいえ「何でも屋」になるのも嫌だし無理だし、そう思われるのはこわいので、一応表明しておくと、「ひとづくりとしての演劇づくり」みたいなことを軸にして、劇場や行政や高校演劇部や企業などなど、フィールドを広げている感じです。

まあ一般的に演劇というと、劇団四季とか宝塚とか、最近なら2.5次元ミュージカルとか、あるいはマイナーな部活の筆頭?……みたいな、「文化」「芸術」「サブカルチャー」といったイメージを持っている方々が少なくないような気がしますが(まあ必要に応じて自分もそう形容したりしますが)、僕にとっては「人間固有の営み」としか言いようがないもので、学校でも人材研修でも、もっとみんなの人生に活用したらいいのにと思ったりしているわけです。

そんなこんなで生活がちょっと変わったこの春、何の奇遇か元号も変わって生じた「令和の連休」に東京をぶらぶらしてきました。

そこで見つけたのがタイトルに引用した某中学受験塾の車内広告。原文は「初めて分数の足し算をする子どもに対して 1/3+1/4 の計算方法を説明してください」というものでした。

リンク先には「解答と解説」に加え、この問題を広告に選んだ理由も掲載されていまして、僕自身もここにリンクを貼るにあたって初めて読んだのですが、広告を見た時に思った通りのことが書かれていて、とてもイマドキな出題と広告へのチョイスだなとあらためて思います(ついでにいえば、一種の証明問題でもあり、僕はとても優れた出題だと思います)。

ただやっぱり、この2つの課題を【算数の問題】でカバーしようというのは盛り込みすぎというか、先生たち大変すぎるんじゃないだろうか……と思うし、何より僕の立場としては「これこそ演劇の授業としてやればいいのに」と思わざるを得ません。

この問題が演劇的であるのは、「初めて分数の足し算をする子どもに計算方法を教える」というシチュエーションが設定され、そのストーリーを演じ切る手立てとして【算数への理解力】を用いることが求められている、という回りくどい構造にあります。

つまりは目的が「問題を解く」ということから「仕組みやなりたちを誰かに説明する」ということに仮定されているわけですが、この回りくどさによって、学んだ知識を使って何かをしている自分や他者とのかかわりをイメージするという体験がもたらされていたり、それによって「自分が問題をこなせればそれでよい」という学びの意義の矮小化を防ぐ効果が生まれています。

こうした問題がつくられているということは、すなわち「演劇的なアプローチの有効性が暗黙のうちに認められ、求められている」と言い換えることができるとも思います。にもかかわらず、演劇が学校教育で必修化される様子はあんまりなさそうなのですが(苦笑)

ちなみにこの問題、僕は「初めて分数の足し算をする子ども」を相手に、「理解してもらうための理解力・説明力」というより「納得してもらうための説得力」を試している問題だと表現したほうが適当なんじゃないかと思っています。なぜかといえば、たぶん実際に世の中が求めているのはそっちだと思うからです。

例えば、何らかのプレゼンをして投資でも何でも誰かに協力を仰がなくてはならない……といった場面は誰にもあることです。そういった場面で、相手が動いてくれるかどうかの決め手は、だいたいの場合「理解」よりも「納得」です。同じように内容を説明して交渉しても成立させられるひととそうでないひとがいることは誰でも分かることだと思いますが、その差はやはり「相手に納得してもらえる説得力」ということになるでしょう。

ただ、論理的に筋が通っていることで納得する相手もいれば、感情的に共感して納得してくれる相手もいれば、こちらには全く想像もつかない事情から納得してくれる相手もいたりと千差万別。人間どうしのやりとりにおける可能性の問題です。

相手が何者で、どんな事情を抱えていて、どんなことを考えているのか。その相手にとって自分は何者として存在しているのか。それを見極めて、コミュニケーションを成立させていくこと。演劇づくりはまさにそうしたやりとりを検討し、確認しながら、台本(セリフとト書き)と身体をよりどころにして再構築していく作業です。よく「自己表現の世界」みたいに思われがちですが、自己表現は二の次で、まず相手があってこその活動なのです。

話を少し戻して教育的な観点からいえば、演劇が教科化されとしたら、人間を教材とした、人間という存在についての科目ということになると思います。先の問題はペーパーテストだと思いますが、そこにはやはり誰かの用意した「正解」が付きまといます。そこはどうしても演劇教育に及ばないところで、現在の日本の教育に欠如していて、だからこそ求められているものだと感じます。

今後、bridgeとしてはそうした教育・研修プログラムを開発して提供していきたいと考えています。もう少し方法論なども検討したり整理しながら、コミュニケーションの面から社会を豊かにしたり、他者とかかわりやすくなることでみなさんが可能性を広げていけるようなプログラムをつくっていく予定です。

というわけで、今後ともよろしくお願いいたします。ではでは。

一般社団法人bridge理事,NPO芸術工房レギュラー会員 演劇作家|文化事業デザイナー|演劇によるひとづくりコーディネーター|岩手県文化芸術コーディネーター 岩手県西和賀町という山奥に在住