見出し画像

苦しみはどこから来るのか(四諦八正道の復習)

人生には苦しみがつきまとうものでしょうか。
だとしたら、その理由は何でしょうか。
苦しみとは避けたいものです。
しかし、起こってしまえば避けることはできません。
ではどうしたらいいでしょう。
分からないので、仏教の教えを転読します。
先に四諦を勉強しました。
そこからさらに理解を深めていきたいです。
①苦諦は四苦八苦を含みます。
四苦は生老病死です。
ブッダは生きることには苦しみが付随すると説いたようです。
生きることとは極端には苦しみであると説いたのです。迂闊には受け入れられない説です。
また、苦しみのない人生とはどんなでしょうか。
やはり苦しみは避けられないのでしょうか。
ここでは置いておいて、先に進みます。
2.老についてですが、老いることは苦しみと言えば、苦しみです。
しかし、その程度は知れていると思えます。
老化は逆らえない現象です。
生きている以上は老いは避けられない宿命です。
3.さらに、また、生きている限り、病気になる可能性があります。実際に病に罹った時の苦しみは相当のものがあるでしょう。
それは言うまでもないかもしれません。
4.死も苦しみです。何故に自分が死ぬのか理解できなければ、これも相当な苦しみであり、避けたいことだと思う人もいるでしょう。
しかし、死ぬことも避けられないことです。
だから、諦めというか、不可避であることを悟れば、それは苦しみは軽減されるかもしれません。
でも、問題は自分のことではないかも知れません。
四苦は親しい人にも訪れます。
その時、自分は何ができるでしょうか。
実質、何もできないとは言えるはずです。
他者の人生を変えるのは難しいことです。
他者の運命を変えることは不可能かもしれません。
それは仏教的には業というもので説明されると思います。自業自得であり、因果応報であり、仕方のないことといえば、それまでです。
そう考えてみれば、生きること自体が苦しみとされるのも納得はいきます。
残りの八苦は愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦があります。
5.愛別離苦については既に触れてしまいました。
親しい人、愛しい人との別離も仕方のないことです。
6.怨憎会苦は憎い相手と出会うことが多いのを苦しみであると説かれたものだと思います。
何故にその相手と出会わねければならないのかと嘆くなら、それが苦であります。
7.求不得苦は求めても得られない苦しみです。
欲しいものがあっても手に入れられないことが苦しみの原因とされるようです。
駄々を捏ねる子供みたいなものですが、大人でのこの苦しみから解放されるにはどれくらいの修練が必要になるでしょうか。
難しいところです。
最後に8.五蘊盛苦があります。
人間には本能があります。精神はそれを求めなくても、食事などは摂らなくてはなりません。
その他、本能からくる苦しみはこれに当たると思います。
②集諦も不可抗力なのでしょうか。
業は嫌でも積もり積もっていってしまうものです。
そのことを言っているのかもしれません。
私は専門家ではないので、確言はできませんが、
そんなところでしょうか。私的には納得できます。
やめたくてもやめられないとか、
分かっちゃいるけどやめられないとか、
そんなこんなで苦しみの原因は積もっていくのだと考えることができます。
それは渇愛とか欲望とも表現されるようです。
ほんの少しの甘えも積もり積もれば相当になるでしょう。
③滅諦についてです。
これはいつか苦しみからは解放されることは可能であると説いたもののようです。
希望の湧く話しです。
いつか苦しみがなくなるなら、それに耐えることも可能と言えるでしょう。
その苦しみがなくなるメカニズムはよくわかりませんが、やはり経験が集積すれば、それがきちんとしたものに基づくなら、と言う条件がつきそうですが、
苦しみは消えると説いているのでしょうか。
それはありがたい話しです。
救いを感じます。ブッダの偉大さを感じさせます。
苦しみの元を作るのが本人なら、それを滅ぼす元を作るのも本人だと言うことでしょう。
仏教らしい自業自得的な解釈だと思います。
④道諦についてです。
苦しみから解放されるための方法だそうです。
道とは名の通りのみちです。道を通って行くことで、経験が適切なことで、苦は滅することが可能だと説かれ、その方法が八正道です。
その方法は何事にも適正に対処することです。
具体的には、1.ものの見方を正しくすること、
2.思うことを正しくすること、3.言葉遣いを正しくすること、4.正しい行いをすること、
5.適正な宿命を感じること、6.正しく努力すること、
7.願うことを正しくすること、8.正しい教えを守ることです。
正しい教えとしては五戒があると思います。
1.不殺生戒は他者の命を断つことはしてはならないというものです。
2.不偸盗戒は他者から盗みをしてはならないというものです。当たり前のことです。
3.不邪淫戒は姦淫を行ってはならないとの教えです。
これも当たり前ですね。
4.不妄語戒は妄語してはならないとの教えです。
これも当たり前です。
5.不飲酒戒は酒を飲んではならないとの教えです。
個人的には酒くらい、いいのではないかと思えなくはないですが、酒は余計なものとは言えます。
余計なものを身体に摂取しない方がいいと思えば、
納得はいきます。そうなると余計なものは酒だけではない気もします。余計に豪華であったり、無駄な食事をしてはならないという意味も生じてくるでしょうか。それはそれで気をつける必要があります。
余計な栄養は病気の元ですから、当たり前と言えば、当たり前ですね。
戒にはさらに追加要素もあるようですが、
ここでは触れません。
ここまで結局、四諦八正道と五戒の繰り返しになりました。
でも、自分でできれば、自力でできれば、考えてみたかったのですが、
ブッダの教えにもうあるので、自分で余計なことはしない方がいいのかもしれません。
少し整理していて心が楽になりました。
でも、自分で考えたかったなんで我欲が出ます。
しかし、勉強には師匠が必要です。
道元禅師もそう説いています。
だから、多少の不服はあるにしても、先達の教えに従いましょう。
仏教の偉大さを改めて感じさせてくれる回でした。

いいなと思ったら応援しよう!

吉谷匡将
もしよければサポートお願いします。 頂きましたサポートはクリエイターとしての活動費用に用立てます。さらにクオリティの高い記事を書けるようサポートよろしくお願い致します。

この記事が参加している募集