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懺悔したいこと

今日は大晦日です。
折角なので、
今年一年を振り返って色々と反省してみたいと思います。
僕は夢想家であることが多かったのではないか、
と感じられます。
現実とか現実性をあまり理解していなかったように、
受け止められます。
妥協ということを嫌って、なんでも徹底的にやろうとする傾向がありました。
その結果、悪化したことはなくはないのですが、特にありません。
でも、精神状態がよくないことは普通にありました。
自分は間違っていないはずと自分に言い聞かせ、
少し過激な妄想に浸ることが多くありました。
それは現実的ではありませんでした。
その結果が悪かったのではありません。
ただ他にそうする余地が自分もして考えられなかった、という非が残ります。
これは改めた方がいいです、と感じました。
改めて自分の未熟さを悟りました。
所詮、頭の中だけの話なので、
恐らく人に迷惑をかけていないはずですが、
思い返すと本当に夢想に耽っていました。
先に上げた善の概念は自分にとって快さは何だろうか、と考えてみるよいきっかけになりました。
胸に引っかかるところごある、胸につかえるところがあるのは、やはりそれが小さいといえど、悪であったからでしょうか。
小悪を重ねて、善を思わない、自分を反省しない、そんな側面が自分に認められたと感じました。
精神状態が思わしくなくて、
先の予定を考える暇に不足していました。
自分から積極的に用意しなければ、
それは用意されるはずもありません。
そうした要素にかなり欠けることがありました。
そのために時間を無駄にしたとも言えます。
まあ、無駄にしたとはいえ、こうして反省できるようになったので、それはそれでよかったかもしれません。
全体として、大きな災難もなく、無難に過ごせたとも言えます。
神仏について、考えることも多くありました。
自分の人生とは世界全体から見てみれば、大したことのない、ほんの小さなことです。
でも、それを支えていくことにはそれ相応の努力が必要だと言えると思い知らされた感じがあります。
もっと自分自身を知るべきだと考えさせられたこともあり、noteを再開して、書きまとめるようにしました。
そうすることで、反省の色を出せればいいな、
なんて感じました。
自分が確かに思ったことを後に残しておけるのは非常に意味深いことです。
できればやっておくに限ると感じられます。
だから、こうして思いを綴っています。
どちらにしろ、大して悪いこともなく、
今年一年を送ることができました。
神仏に感謝します。

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吉谷匡将
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