俺のはなし
人生43年目に突入
最近の口癖は
早く死にたい
だけど
上は中1の長女
から
下は2歳の次男
育てるべき
こどもたちがいるから
生命保険ガッチリ降りる
死に方以外はだめなので
とりあえずやれることを
日々やるしかない毎日
あの日以来
ずっと
何故、俺はここにいるんだろう
何故、俺は生かされてるんだろう
と
酒を浴びるほど飲まないと
眠れない日が続き
朝になったら
また
はじまる惰性の日々
毎朝くっついてくる
4歳の長男と
舌たらずでペラペラ喋り出した
2歳の次男が
可愛いし
最近色気づいてきた
中1の長女と
男顔負けのイケイケ
小4の次女が
心配だし
なんとか生きてる
でも
こいつらの姉妹で
3歳になる数日前に
永遠に会えなくなった三女のことを
思いだして
死にたくなる
俺の責任で
永遠に会えなくなった三女の顔が
毎日フラッシュバックして
ずっと前に進めないので
子供を死なせたバカな親の人生を
振り返って晒して
誰かの目にとまって
共感されたり
批判されたりしたら
少しでも前に進めるようになる気がしたから
ちょっと書いてみる
俺のはなし
昭和54年
暮れも押し迫った12月に
どうやら生まれたらしい
俺も大好きなガンダムが始まった年
…そんなことはどうでもいいが
1979年12月
俺は岡村って苗字で戸籍に記録された
その一年後には
今の苗字になってて
岡村テッペイだったのを知ったのは
全然、後だったけど
岡村と別れた19歳の母は
1歳の俺を
おじいちゃんおばあちゃんに預けて
北新地ホステス開始
おじいちゃんをお父さんと呼び
おばあちゃんはお母さんで
母ちゃんはママって呼ぶ
とりあえず不思議な幼少期がはじまった。
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