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あの街を生きていた~阪神大震災を神戸で生きた軌跡 『プロローグ』

『あの街を生きていた』~震災神戸を生きた軌跡


◎プロローグ

『1995年1月17日、震災当日』


「カタカタカタカタカタ…」

 高岸鉄平は寝静まっていた早朝、寝ていた部屋に異様な音が響き渡り、ハッと目が覚めた。

 その部屋は神戸の東灘区にある海に面した南側の7階建てのマンションの7階で、3LDKの一般的な分譲マンションのリビングに接してふすまで仕切られただけの8畳が2つの部屋が並んだ南側の部屋だった。
部屋には中学1年生になる鉄平と弟である小学5年生の勇人が布団を並べて寝ていた。
8畳あるが、子ども用の勉強机が南側に背を向けるように2つあり、 南を向いて左側には漫画やら雑誌などが並んだ大きな本棚が勇人の寝ている足先に設置していた。


午前5時46分だった。

まだ、窓から差し込む日の明かりはなく、部屋のカーテンの隙間から見えた外は日の出前の真っ暗な空だった。


 目を開けたその時に見えた部屋の天井が細かい振動で横に揺れているように見えた。いや、明らかに動いている。寝ている布団の床から背中に伝わる振動も体中で感じた。

 何かと思った、何かの前触れのように頭の中は何も考えられず真っ白になった、その時から悪夢の1分間が始まった。


 カタカタとした振動はほんの数秒だった。その後すぐに、大きな音が部屋中に響いた。



「ドドドドドンドドドンドン!!!」


どうしても文字では、決してどう表現しようとも書き表せないかもしれない、この衝撃破的振動。

 映像や地震体験コーナーであるあの揺れも、実際この時に体験したものとは違っていると思う。あの地震のど真ん中にいたのは、神戸の東灘区に家族4人で住む中学1年生の高岸鉄平だった。


 背中が物凄い振動幅と振幅で上下に突き上げられるのを感じると、脳が揺らされる勢いで目から見えるものも上下に激しく動いており、見ているものと感じているものとで目が追い付かない状態が続く。


「さっきの揺れとは違う。これは地震か?いや、こんな地震あるわけない…」


「ガラガラガラガラ、バリンパリン、ガシャンガチャン」

「ドン!ドンドン!ドーン!ドドドドーーーーン!!!」 


 視覚からの目の振動が追い付かないのと共に、聴覚からの耳から伝わる音が更に脳を激しく刺激し続ける。この時に外から響き渡る大きな衝撃音の正体は、少し時間が過ぎてからわかることになる。


 部屋にあった唯一の明かりである天井の豆電球はすぐに消え、真っ暗になった。目の前が闇となり、背中から伝わる揺れと部屋の中と外から響き渡る音だけが聞こえ、鉄平の脳は混乱状態になっている。

 家の中のリビングにあったガラス戸の食器棚から、入っていた食器やコップが揺れに耐えられずにガラス戸を何度も叩き割り飛び出していく。


 いつまでこの地獄は続くのだろうかと思った。

体験したことも想像したこともない超常現象が今この身に起きている。

 何が起こっているのか全く分からなかった。

  これは映画か何か、夢でも見ているのか、混乱した状態でその時本当に思ったのは、ゴジラが襲ってきて家ごと7階建てのこのマンションごと手で持ち上げて、思いっきりシェイクされているのかと思っていた。

いや、そんなわけはない、地球ごと揺れているんだ。世紀末のこの世の終わりなのか?世界が滅亡するのか?頭の中で想像もしていなかったことがぐるぐる回る。


 このマンションだけなのか、地球丸ごとなのか、その時は神戸を含む関西の街全体で全世界に衝撃的なことが起こっているなんて、この想像もしなかった激しい環境の中では考えもしなかった。この家だけが取り残されて、僕は終わってしまうのか、地球丸ごと終わってしまうのか、ここでもう死んだんだと思った。


 走馬灯。頭の中で考えていることがぐるぐる回る。と同時に身体全体に起きていることが頭の思考を刺激し続ける。身体の背中から感じることも、目から入る揺れの振動も、耳から伝わる音の衝撃も。地獄とはこういう世界なのか。

 

 長かった1分間、いや2分間は続いたのか。でも感覚では1時間くらいあった衝撃的な時間だった。


 揺れが次第に収まり、小刻みに振動が少し続く中、やっと目が覚め、意識がハッキリとし始めて、さっきまでの走馬灯や金縛りのような感覚は解けてきて我に返ってきた。

 現実だ。夢ではない。


「僕は生きている。」


第1章へ続く


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