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バレーボール女子と「ゲームモデル」の行方(Week3) #VNL2023

(写真FIVB)

FIVBバレーボールネーションズリーグ(Volleyball Nations League)女子タイ(バンコク)大会第4戦となる最終日(予選ラウンド12戦目)。世界ランク7位の日本代表女子は、昨年大会優勝のイタリアにセットカウント1―3で惜しくも敗れた。しかし、タイ戦での勝利の時点で7勝をし、既に上位8チームによるアメリカでの決勝大会にへの進出を決めています。予選ラウンドを7勝5敗で終えました。

次戦はアメリカ・アーリントンで行われるファイナルラウンド準々決勝となり、現地時間13日19時30分(日本時間14日9時30分)、開催国であるアメリカ代表と対戦することになっています。

バレーボールに対する「とらえ直し」が今必要ではないだろうか

近年、バレーボールの考察や練習、チームづくりにおいても、バレーボールというものが、パズルのピース合わせや、プラモデルの部品組み立てなどのような、分解できる構成(要素還元的)で成り立っているものではない、「複雑系」としての「とらえ直し」が始まっています。
この「複雑系」というとらえ方においては、バレーボールという集団によるチームプレーが、個別の要素(個人、タスク、パターンなど)で分解して説明しきれないことを、無秩序、放任的なものとしてとらえるのではありません。すべてを規定し、予測することが困難な非線形的な性質やカオスなものであるものを前提として、いかにその機能やパフォーマンスを成長させたり強化したり、維持していくか。その試みの入り口になるものだと考えます。

集団プレーとしてのインテンション、ゲームプロセスとしての「ゲームモデル」は、ゲームの様々なフェーズやシチュエーションにおいて、チームに示し、要求し、規則的かつ体系的な組織化、チームとしての行動を形成していくためのものです。
バレーボールでも、ボールコンタクトする者と、ボールに触っていない者での集団行動、ポジショニング、動きを組織化、構造化することが必要です。ゲームモデルはチームを組織化する原理原則(定義は慎重でなければ)のような共通理解なようなものですが、それにはプレーの状況における優先順位が必要となります。
例えば、ひとつの基準として、バレーボールの対戦相手のシステムや機能を低下させつつ、自チームのシステムや機能、パフォーマンスを発揮につながる、チームや組織としての考え方を決定していくことになります。そこから、実際の試合のプレー状況に最も近い、個人(ポジション・エリアや・ゾーン)、選手どうし、6人の集団の動き方や行動におけるタスク(役割)を決定することに派生していきます。

いかにしてバレーボールを構造的にとらえて意図的にコントロールし、ゲームを有利に優勢にもっていくか。という点が重要になってきます。
そこで重要なポイントの一つとなっているのが「ゲームモデル」というものです。

「ゲームモデル」は、バレーボールを複雑系の集団によるチームプレーであるととらえ、多種多様な個性や能力をもった複数人が協働している集団が、組織として意図的に強化していくために必要なキー(鍵)となるものでもあります。プレーヤー個人の集合体ではなく集団化、しかも構成する個々人の自律的集団化のために必要なものです。バレーボールでも、焦点化されるべきものです。

女子バレーボールで「ゲームモデル」に着目する

これまで、一般的なバレーボールのとらえ方としては、
・選手個人に焦点化して考えるとらえ方
・チームとしてどのように戦いたいかというとらえ方
ざっくりとした視点が出てくると思います。

チームは選手(個人)たちから成り立っています。その個々の選手の特性、能力等のステータスを抜きにチームは成り立ちません。また、チームというのは単なる個人の集合体ではなく、チームそれぞれに目標や方針等があるはずです。それを実現するための能力やスキルを選手たちに要求していくのだろうと思います。そして、これらの視点から個人やチームを見つめ、それを「言語化」しようと試みるわけです。

このあたりから「ゲームモデル」の試行錯誤や構築の糸口がうまれるわけです。ボールの保持ができず、かなりの球速でボールが往来するバレーボールでは、待ったなしの瞬時の意思決定を、個人としても複数人間での判断においても行わなければいけません。
しかし、チームを構成する複数人間の判断や意思決定がバラバラだと、チームとしての機能は成立しません。展開が予測仕切れない不規則な集団プレーの中で、メンバーが共通の理解のもとで同じ方向性で判断できるようにすることが、「複雑系」の中で非線形的性質やカオスの性質をもつバレーボールでは必要になってくるわけです。

今回、女子バレーボールを観ていて、「複雑系」とか「ゲームモデル」という、少し難解そうで小難しそうな話題をしたのは、男子バレーに比して、バレーボールの戦い方(戦術やプレーなど)に、ポジティブに言えば試行錯誤、ネガティブに言えば迷走感を感じてしまうからです。
このモヤモヤする印象がどこからもたらされてくるのか。そう考えていったときに、個人的な仮説として
「バレーボールの構造のとらえ方とゲームモデルの在り方」
に原因があるのではないかと考えるようになりました。

私は、試合の様子を見ることでしか推し量れないので、個人的な感想、観測になってしまうのですが、「とらえ直し」が必要だと思う要因として、

・個別のタスクの数字(確率、パーセンテージ)が目的化している
・セット(トス)の傾向に、球速の速さへのこだわりが見られる
・アタック(攻撃)のパターンや傾向が限定的
・抽象的なスローガンにプレーの具体や原則が見えにくい

などの伝わってくる情報の中に見受けられる要素が断片的なものによって、コート上の選手のプレーにフレキシブルさが発揮しきれていないというか、何かに拘束されている堅苦しさみたいなものが感じられて、戦い方にダイナミクスを感じにくい印象を受けています。

個人的な見解としてですが、
バレーボールというものを「ゲームモデル」という側面からとらえ直そうとする場合、

「ゲームモデル」は、バレーボールを構造的にとらえ、その構造上に位置づけられなければならない
「ゲームモデル」の内容は、バレーボールの性質である「複雑系」を阻害するものであってはならない。
「ゲームモデル」は、個別要素や特定のデータよりも、ゲーム中のプレー全体の「考え方」を示す、個別具体よりも概念的な共通理解であるべき。
「ゲームモデル」は、意思決定の基準となるものでなければならない。ゆえに、パターンや位置の指定ではない。
「ゲームモデル」は、要素還元主義によらず、選手に選択判断を委ねるもので自己組織化できるものであること。
「ゲームモデル」は、誰にとっても、共通の理解として、可視化され評価できるものでなければならない。

という点はおさえるべきだと考えます。

ですから、バレーボーるにおいて、ゲームモデルを構築・設定していくためには、コーチや一部の選手の主観や感覚、経験則などの暗黙知に依存した情報が含まれると、メンバー全員の共通理解にはなりにくいです。また、バレーボールの全体像に迫ることのできないデータの不足や不適切な採用などがある場合、ゲームのディベロップメントを読み取る能力が低下する可能性が非常に高いです。

日本の女子バレーボールは、間違いなく、日本男子代表が30年以上にわたる低迷期においても、ロンドン五輪での銅メダル獲得に代表されるように、近年でも成果を挙げている時期もあります。特に、眞鍋監督は、選手やスタッフとの連携やコミュニケーション、組織マネジメントなどで素晴らしい手腕を発揮しているとの高い評価も聞こえてきます。

もしも、加えて、バレーボールの構造的な側面からの考察を見直し、チームのプリオダイゼーションやゲームモデルの再構築をすることで、現状を打破できるのではないか。そういう期待をもっています。

そこで、今回話題にしたかったのが、そういった閉そく感や迷走感を打破するためにも、バレーボールというものを、「複雑系」というとらえ方をすることにより、そのコントロール(機能や推進)のためには、今一度バレーボールの構造的な視点をもって、取り組むことが必要だと考えるわけです。
そして、このプロセスは、すでに日本代表男子チームが、わずか数年で飛躍的なアップデートと進化をしているという、参考となるモデルが身近にある
わけで、改善は現実的なものにできると思います。


改善のフレームワークと試行錯誤のサイクルを止めてはいけない

バレーボールは非常に複雑なスポーツであり、分解してパーツ化できるようなほど単純なものではありません。それでいて、対戦相手の予測不能な戦い方にも対応し、チームの中には構成メンバーのパフォーマンスがいかんなく発揮され、しかも相互作用的な調和のもと連携やアイディアを出し合いながら、フレキシブルでクリエイティブな集団プレーを成立させなければなりません。
様々な制約やパターンをチームや個人にかけ過ぎると、自由度は奪われ、アウト・オブ・システムが肥大化し、簡単に対戦相手に攻略されてしまいます。かといって、何のディシプリンや基準や共通理解がないままでの集団プレーは、単に無秩序からくる混乱を生むだけになってしまいます。
バレーボールにおいても、他の集団プレーを成すサッカーやバスケットボールと同様に、チームとしての組織の機能やディシプリンを発揮する共通理解は明確にもたねばなりません。しかし一方では、選手自身による主体的で自由度のある創造的なプレーヤ行動も保障しなければならないのです。
この両面の狭間で混乱し迷走しないためにも、目指す戦い方にブレることがないよう、ゲームに何らかの方向性や目的、意味を与えるものが必要で、そのためには構造的な理解が不可欠なのです。個別のマテリアルや要素を切り取って語ることはできないのがバレーボールなのです。

男子バレーとの対比で言えば、今の女子バレーは、少し迷路に迷い込んでいるような感もありますが、それは日本代表女子だけではない、世界の女子バレーに言えるのではないかと思います。
ですので、今からでも女子バレーにおいては、まだまだ混とんとしている世界女子バレーの中で、日本代表がいちはやく、バレーボールというものを構造的にとらえ直し、ゲームモデル起点としたチーム作りの試行錯誤と改善のサイクルを止めないことが、現状打破に間違いなくつながると考えています。
したがって、日本代表は、男子以上に、女子の方が世界のトップとの差を縮めるチャンスがあるのではないでしょうか。


女子バレーこそ勝利の階段をいちはやく駆け上ることができるのではないか

日本のバレーボールは、男子同様、女子も「いい選手はたくさんいる」宝の山にあると思います。競技人口やチーム数の話題になることもありますが、「バレーボールをどのようにとらえ考えていくか」も大切な視点としておきたいです。女子バレーボールのアンダーカテゴリーからトップカテゴリーまでにいたるさらなる発展を願います。

(1)要素還元主義から複雑系思考へ

サーブをどうする、レセプションをどうする、ミドルをどうする、セッターをどうする・・・。
もちろん個別の分析や研究も欠かさず探究しつつ、「複雑系としてのバレーボール」というおさえは忘れないようにしたいです。コート上の選手が、自律的に自発的に、主体性を発揮して起こるシチュエーションに対応し最適化していく判断力をどうもたせるか。

(2)「問題指向的アプローチ」から「目標指向的アプローチ」へ

Aパスの確率が悪い、サーブミスが多い、キル・ブロック本数が少ない、被ブロックをカバーできていない・・・・。
これも要素還元主義的な見方にによってバレーボールの全体像に迫れていない一例になると思います。個別の問題にばかりに意識や注意がフォーカスされてしまうと、バレーボール、バレーボールのゲームという全体像をとらえきれず、他に必要なスキルやセンスが除外されてしまう危険性も大きいです。

(3)数字の取り扱いと、選手の嗅覚や感性を生かす余地を

数字などに代表されるデータの取り扱いも、かねてから「インフォメーション」ではなく「インテリジェンス」であるべきだということは指摘されています。数字が目的化しまったり、数字に手段が過度に依存すると、複雑系としてのバレーボールのチームや選手のパフォーマンスや機能は、低下していくことが予想されます。

(4)「ゲームモデル」によって、個人依存からの脱却を

強調しておきたいのは、「ゲームモデルありき」でもなければ、「ゲームモデル特効薬」「必殺ゲームモデル」でもないということです。
ゲームモデルというものをバレーボールでとらえていく場合、バレーボールを構成するもの、それに関わるすべての要素と、それらの複雑な相互作用について、絶えず観察し、考察し、ディスカッションし・・・試行錯誤を止めてはいけません。そうやって生み出されるゲームモデルは、これまでのバレーボールでなされがちだった、ゲーム分析における個人への焦点化や要素還元的な思考、問題指向的アプローチからの脱却につながると思います。
逆に、そのサイクルを止めてしまうと、ウイルス的なゲームモデルと化してしまう危険性もあります。「はやいバレー」「スピードで勝つ」「うまさで勝つ」「コンビで勝つ」・・・こういった世界観を打破していくことにも資すると考えます。

どのチームもそうですが、日本代表女子チームも世代交代や新しい選手を強化してのチャレンジが続きます。これからの活躍が楽しみな選手がたくさんいます。個人的には、日本の女子バレーボールの「ゲームモデル」とそれに基づくタスクがどのように表現していくのか、その変化に注目していきたいです。これからの変化や進化を期待して観ていきたいです。応援していきましょう。

(2023年)

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