『キャプテン・マーベル』最強を、遠慮しない。
女性が主人公の映画ならではの、熱いメッセージがたっぷりだった。
って、書いている自分が男である以上、”男が思う”女性目線でしょ、ってジレンマはあるんだけど。
でも、この映画は性別関係なく、人間の話。だから、物語の主語が「女性」でも、男の自分も置いて行かれずに熱くなれたのだし。
映画『キャプテン・マーベル』の感想。
※以下【ネタバレ】↓↓↓
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できるんだから、やればいい
主人公のキャロルは、映画が始まった時点でスーパーパワーの持ち主。ついついパワーに頼るキャロルに、師匠は「制御することを覚えろ」と教える。
「主人公が最初はむやみに強さを求めるが、心の成長を経てパワーの使い方を覚え、真の意味で強くなる」という物語は、よくある。
よくあるから、このときも何の違和感もなかった。
しかし、映画の中盤でキャロルは、”むやみに”パワーを解放。ほとんどの敵に圧勝する。
制御をやめてパワーを炸裂させた結果が、それ。
それでよかったんだ。
キャロル(女性)の才能を、師匠(男性)が管理しようとしてくるが、無視して思う存分パワーを使えばいい。
映画の「よくあるパターン」を逆手にとって不意打ちのメッセージをかまされ、一気にこの映画が好きになった。
本性がバレた元師匠は、最後もみっともなく、キャロルに「素手で勝負しろ」と煽る。「パワー抜きで勝たないと、おれより強くなったことにならない」と言う元師匠を、遠慮なくパワーでぶっとばすキャロル。
現にパワーがあるんだから、それ抜きで考える必要がない。
元師匠ヨン・ロッグ、長々喋りだした辺りから、きっと『レイダース』されるんだろうなと思ったら、やっぱり『レイダース』されて、痛快。
ヒーローの本分は、不屈
ブリー・ラーソン演じるキャロル/キャプテン・マーベルは、美人でかわいい。でも、何よりたくましさが光る。
終盤、キャロルは敵にパワーを奪われ、倒れる。敵は「パワーがなければ、ただの人間」とキャロルをあざける。
彼女の今までの人生がフラッシュバックする。挑戦して失敗し、倒れ、男性から「出しゃばるな」と言われてきた記憶の数々。
しかし、キャロルは「そう。ただの人間」と、立ち上がる。
ゴーカートで横転したときも、野球で顔面スレスレの球を投げられたときも、砂浜でも、訓練でも、6年前の戦場でも、彼女は立ち上がってきた。
たくさん倒れた記憶は、その分、立ち上がった記憶。
敵を倒す力ではなく、逆境で自分を受け入れて立ち上がる姿が、かっこいい。
楽しく、熱いオマージュ
ところどころのターミネーターっぽさが楽しい。
ビデオ店のシーンで『ライトスタッフ』が出てくる。魔改造飛行機で宇宙に出たときのマリアの喜びの顔に、マーキュリー7やチャック・イェーガーと同じパイロット魂を感じた。
自分たちが間違っていた戦争
宇宙人の二つの種族、クリー VS スクラルの戦争。
キャロルはクリーとして戦ってきたが、物語途中でクリーの悪さを知り、終戦を望むスクラルの味方になる。しかし、スクラルのタロスが「おれの手も血で汚れている」と言うように、どちらも潔白ではない。
その上で、間違いに気づいて終わらせよう、という話。
アベンジャーズを作らせた張本人
この映画の舞台は1995年。のちのアベンジャーズ指揮官、ニック・フューリーが、まだ若い姿で登場する。
フューリーは、今作でキャロルと出会って超人の存在を知る。彼は、ヒーローに矢面に立って何度も立ち上がる心と、スーパーパワーを求め、アベンジャーズの結成を決意する。
一連のアベンジャーズ系映画《MCU》は、来月の『アベンジャーズ/エンドゲーム』でひとまず完結。『キャプテン・マーベル』は、クライマックス直前で”発端”を明かす、最高の過去編になった。
今回の本編後のおまけシーンで、ついに全映画が合流。
自分を救世主だと思っているサノスと、本当のヒーローの違いは何か、見せてくれ。