祖父への最初で最後の手紙
2021年11月12日に逝ったじいちゃん。94歳まで生きた。
告別式でよませてもらった尊敬するじいちゃんへの最後の手紙を綴る。
じいちゃん
いや、じいちゃんはハンパじゃないよね。僕の憧れでライバルだよ。80を過ぎて、家の裏の土地を買ってさ、木を切って、開拓して、畑にしたって聞いたとき、度肝ぬかれたよ!
田舎では、地面なんてただでもいいからもらってくれって時代に
じいちゃんとイノシシとのバトルも面白かったし、家族にはこっそり内緒で屋根に登って、修理をしようとした話とか。じいちゃん、ほんとレジェンドだよ(笑)
家族からしたら、あぶなっかしくて、しょうがないけど、僕にとっては、そんなじいちゃんが憧れで、「さすが、じいちゃん負けてらんねぇなっ」って思ったよ。昨日はさ、鳥肌立ったよ!何かって、この会場の入り口の写真だよ。じいちゃんと2人で稲わら縛ってて。嬉しかったよ。直々に農作業学んでたんだなって。
僕が小さかったころ、じいちゃんは怖い印象だった。早口で何しゃべってるかよくわかってなかったし、その職人のオーラが怖かったのかも。そんなじいちゃんとも、昼飯の後にしていた将棋はいい思い出だよ。
中学に入ると、足も遠のき、高校、大学と過ぎて、社会人になって、富山で農業してからよく話すようになったね。僕もわからないことがある度、じいちゃんに質問攻めしてたね。
「イチジクにはハチがつくから、」「じゃがいもの植え付け時期は」
「イノシシがきたら、こうだ」とか。
僕はじいちゃんから多くを学んだよ。
そして、農業を通して、じいちゃんという人を少し知れた気がしたよ。じいちゃんの仕事の先には、誰かの喜ぶ顔がみえていたんだよね。じいちゃんの心ある仕事は、ここにいるみんなの心に響いているよ。
あとは、話をしていて、単純に、「じいちゃんマジ気ぃ合うじゃん」って思ったよ。僕のやりたいことは、じいちゃんがすでにやっていたからさっ。じいちゃんの話聞いてると、僕も何でもできる気になっちゃうよ。じいちゃんが「やってみたらいいべぇ~」って簡単そうに言うもんだから。そりゃ、突然、畑に小屋を建てだして、80を過ぎて、対イノシシでタイマツたこうとするんだから(笑)
僕もその話を聞いたあと、「富山で、仲間とじゃんけん負けたやつ、今晩僕と田んぼの進入口でテント泊!!」とかやりだしてさっ。これがまたおもしろくてさっ!!
いつも僕がじいちゃんを質問攻めするばかりだったから、聞いてもらいたいことがあるんだ。僕の話を少しだけするね。
富山での暮らしも13年になる。米作りを中心にその都度やりたいことをして、愛するファミリーと元気にやっているよ。もうね、めっちゃ充実してる。当初3年働いたらいわきへ戻ろうって思ったけどさ。
転機は、「東日本大震災」。
震災直後、いてもたってもいられなくて、いわきへ戻ってきた。「いわきのために」って帰ってきたんだけど、ほんと何もできなくて、何もしなかった。一か月いたけど、結局何もしないまま富山へもどった。
情けなくて、何も行動できない自分がすごく嫌になった。富山に戻っても悲惨な状況を知る度、涙が出てきて。
でも、富山の仲間に励ましてもらいながら、少しずつだけど、自分のできることしようってなってさ、
まずは、「目の前の人を笑顔にしよう」って。目の前の人を元気に。
そしたら、その隣の人が笑顔になって、その笑顔の連鎖がつながって、いわきまで笑顔を、元気を届けようって。そう思ってまた動き出してさ、それから地域の頼まれごとはこれまで以上に、応えようって思ったよ。
一人暮らしのおばあちゃん家に行って、電球の交換や、カレンダーの張替えだとか、ちょっとお手伝いがすめば、おしゃべりしてさ。その人の笑顔のために。
そんなことをしてたら、自分も元気になって、仲間と一緒に次はコレしよう、あれしようってやりたいことをやりたいようにしてきたよ。
地域行事の復活とか、村の作物集めて、直売所作ったり、行商したり、焼き芋屋さんつくったり、地域の素掘りの用水路の工事を進めたり。。。
もちろん素人集団だから、失敗も多くて、走りながら修正していくんだけど、離れてしまう仲間もいたよ。
目の前の人を喜ばせるためにうごいてきたけど、逆に自分のせいで、困る人もでてくるという、なんか、自分のしてることに不安も生まれてきた。いっつも元気でいられるわけじゃないんだなって思ってるよ。
そんなときだよ。じいちゃんが、裏の山買って、開墾して畑作ったとか、屋根登って、修理しようと計画してる話とか聞いて、「それ、周りからしたら絶対、てか、チョー迷惑なやつじゃん(笑)」って。土地買っちゃうって、残るから、家族めちゃめちゃ困るでしょ(笑)
そんなエピソードに笑えてきて、エネルギーがあふれてきたんだよ。”僕はそんな佐藤忠の孫だ”
こんな大人になりたいんだっ!
負けられないって!!
もう僕の動きは「血だからしょうがない」って、富山の仲間にはじいちゃんのせいにすることにしたからよろしくね(笑) 今富山では、僕の奥さんを中心に、「小室哲平の元気による被害者の会」が生まれようとしています。なんかおもしろそうでしょ(^^)
それからさらにスロットルあげてさ、今は古民家購入して、山も買っちゃったよ!
農村には、豊かさがつまっているよね。だって、じいちゃんが楽しそうなんだもん。
僕もまだ見ぬ仲間と農村をいかに元気に遊びつくすかって考えてる。
僕はこれからの未来にワクワクしてるし、どうなるかわからないハチャメチャな予感ありきで、楽しみにしてる。大変なこともあるかもしれないけどさっ。
じいちゃんっていう前例がいてくれてるから。僕もあと50年走り続けるし、90になって、屋根に登りだす、かっけぇーじいちゃんになりたい。周りに迷惑をかけるけどさ。
そんときはじいちゃん、頼むよ。
「てっぺいだからしゃあねんべ。
おおめにみてやってくれな!!
おれの自慢の孫なんだ!!」ってさ、
これから先も見守ってくれたら嬉しいな。
じいちゃんは色褪せない。
じいちゃんの孫であることを誇りに思うよ。
じいちゃんがいてくれて幸せだったよ。
ありがとう!!
孫代表 小室哲平
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