誰がために言は成る
御縁に感謝です。
「自分はいったい、誰に向けて、メッセージを放っているのだろうか?」
☆ブーメラン
特定の方に向けて綴ることは、ほとんどありません。
ただ、不特定多数の、縁あって記事を御覧いただいた方に、少しでも心に響くものを感じ取っていただければという想いが強いです。
ところが、ある時に気づいたのです。
「自分の発した“ことば”に、自分自身が目覚めさせてもらっている」と。
☆舞台裏
記事を書く時、だいたいの流れを組み立てます。
しっかりとメモ書きするというものではなく、頭の中で構想することがほとんどです。
散歩しながら、流れを組み立てることもあります。
その構想をもとに、記事に織り込む作品を描き降ろします。
あるいは、以前に公開した作品を土台として、記事にすることもあります。
しっかりとメモ書きするのではなく、だいたいの流れを頭の中で組み立てるので、実際に綴り始めると、構想していなかった展開になることもあります。
構想の時点からは心境も変わり、ある意味では「考えが発展した」とも捉えられるので、その“想定外の展開”をまとめ上げます。
☆誰がために
こうして仕上がった記事を読み返してみると、それは、読みに来てくださる方々に向けてのメッセージであることは確かですが、自分自身に向けて語られていることも少なくありません。
先日の投稿にも綴りましたが、ふっと心に浮かんだ想いを“ことば”にすることによって、自分の未来のシナリオになることもあります。
また、パソコンのキーを打ちながら、解決しなかった問題、抱え込んでいる問題の突破口が開けることもあります。
☆公平無私
ある意味で、自分に対して“説得力のあることば”を発することができることは大事なことと思います。
「自分は、他人を教化している」、「他人は気づくべきことである」という気持ちで綴っていると、そのことばには色がついていることもあります。
自分が感じ、気づき、自己改善のヒントになることが、他の人の気づきになるのであれば、そのことばは“自我”を離れ、“公平無私”の力を発しているのかもしれません。
☆循環の過程で
僕の拙い記事を観てくださり、「心が癒された」、「気づきをいただいた」、「励まされた」という感想をいただくこともあります。
ほんとうにありがたく思います。
他に向けて発信した想い、愛のことばが、めぐりめぐって、自分のもとに返ってくる。
その流れの過程で、他の方の喜びの想いを乗せて、ことばが返ってくる。
こうして、自分も成長させていただける。
これからも、慢心することなく、謙虚にかつ前向きに綴っていきます。
引き続き、よろしくお願いいたします。
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今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
皆さまの心に、キラッとしたものをお届けできれば幸いです。
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