駒大生と哲学してみる・コミュ力?コミュ障?
1. 今回の哲学講義
第三回目である今回は、城戸理恵『「コミュ障」の社会学』青土社、2018年、を題材に哲学講義を行いました。
この本は、不登校や引きこもりに寄り添いながら、学校や職場を支配する「コミュニケーション至上主義」の背景を社会学的に明らかにしていく、という内容です。
空気が読めなくても人とつながって生きていける。そんな勇気がもらえる、みんなが抱える"生きづらさ"と向き合える一冊でした。
2. 実際に出た意見
以下、実際に出た意見の要約です。
「コミュ力というのは、いかに大一番にその力を発揮できるかという事だと思う。自分自身も普通に友達と話すときは話せるが就活の面接などの大一番ではそれができない。」
「人前に立つと頭が真っ白になって何を言えばいいのかわからなくなる時がある。自分的にはそのようなところをコンプレックスに感じたこともある。発揮すべき場所で、しっかりと力を発揮し相手との関われることがコミュ力が高いという事につながると思う」
「著書の中の『野ブタ。をプロデュース』の主人公のセリフで「今日も俺を作っていかなくては」という部分に共感した。相手を気にして生きるという事につながる。」
「相手や場面によって求められるコミュニケーションがあって、例えば大学と社会の中では全く異なるコミュニケーションが必要となる。そして、よく私達が考えるコミュ障とは友達とうまく交友できない事を一般に指していると考える。」
「自分にとってコミュ力が高いというのは『誰とでも等しくかかわれる人である』という事だ。小学校の時とかは、容姿の些細なことですぐにいじめが起きてしまったりしていた。なかなか、『誰とでも等しくかかわれる人である』というのは簡単なことではない。」
「コミュ力のある人とは、自分の言いたいことを相手に正確に伝えられる人のことだと思った。空気が読めてその場を盛り上げることが得意な人がコミュ力があると思っていたが、これを読んで、ただ面白いだけで真面目な話が出来なかったり、大事な時に笑いで誤魔化すような人をコミュ力のある人とは言えないと思った。」
「コミュ力というのは、いままで過ごしてきた環境によって大きく変わるものであると思う。さらに、ある場所では、コミュ力を発揮できるけどほかの場所で発揮できないようになってしまう人もいると思う。」
「コミュ力と悪ノリというものを、はき違えている人が自分のコミュ力は高いと思い込んでいると、とても厄介であると思った。自分がコミュ力が高いと思っている人も、ほかの人にとってそうであるというのは限らない。」
「コミュ力はこれまでの環境で形成されていくもの。生まれ育った場所、周りの人の良しあしで左右される。」
「コミュ力というものは、言葉を発する側にフォーカスされがちな能力であるが、実際には聞き手の話を受け取る能力も必要であるといえるだろう。相手あってのコミュニケーションだと思う。」
「触れてきた環境や人によってコミュ力というものが変わっていくというのは、相手に流されやすいという日本人によくみられる考え方だと思った。」
「今までは、誰からも好かれていたり、だれとでも話せるというのがコミュ力が高いという事だと思っていた。しかし、お互いの間で良好な関係を築けるのがコミュ力が高いという事だと最近は思う。一見、明るくふるまっている人も実は無理をしているだけで、本当は家で一人の時は静かになっているかもしれない。」
「コミュ力が高いという事は、時と場合、相手によるものだと思う。実体験として、意識していないときはスムーズに相手と関われるが、意識してしまうとかえって、関わりづらくなってしまうときがある。」
「大人になってからのほうが、頭で考えてから意見を発するようになった。小学校など小さかった時は、何も考えずに意見を言っていた気がする。就活をしていて気が付いたことだが、人とかかわるのには会話が必要不可欠であるから、コミュ力が高いということはとても大きなアドバンテージ。」
「そもそも、学校内と社会に出てからのコミュ力というものはとらえ方が異なる。学校内では、自分の基準で動いていて、立場が高い人のノリに合わせるイメージ。社会に出てからは、相手の基準で話したり行動するのが大切。」
3. まとめ
日常生活で、自分を自虐したり、誰かを面白半分で揶揄するときに「コミュ障」という言葉を使うことがあると思います。
しかし、私たちが笑いながら「コミュ障」という言葉を発しているのを、本当にコミュニケーション障害を患っている人が聞いたらどう思うのでしょうか。
自分自身、軽い気持ちで「コミュ障」という言葉を使っていましたが、その表現が本当に正しいのか、きちんと考える必要があると思いました。
自分たちの日常生活で、普通に受け入れてきた言葉でしたが、その基準について改めて考えることができたいい機会でした。
何をもってそう判断するのか、その基準は人それぞれであるという事を念頭に置いて考える必要があると思いました。
次回のテーマは、調査される迷惑についての予定です。
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