家の色
他人に言われて気づくことは多い。
例えば家具の色。人を自宅に招待したときに「この家緑多いね」と言われて初めてああ、確かにこの家には緑の物が多いなと感じることがある。
逆に言えば他人に言われることがなければ気づかないことも多々あるということであろう。
仮に自宅に虫が多かったとしても、その数がむしろ意識することができないほどに多く、かつ日常的には意識に入らないような場所にいるのであれば、全く気付かないとしても違和感がない。
何であれば違和感を生じるのか。それは自身が何を異質としているかの現れであり、何を異質としないのかの数としての分水嶺でもある。
これは異質さがその気づきの正体であるとする一種の妄信であり、最後に死体でも普通に撫でていれば凡庸さの証明にもつながる。
いっそのこと自宅以外の世界が存在しないのであれば、差異などという一見無価値でしかし重要な価値に気づかないこともできたのかもしれない。