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労働学生生活2 博士課程。When one door closes, another opens
宙ぶらりん博士課程、予想もしなかった形で決着を見た。
博士課程に入ったものの、転学か入学取り消しになるかもしれなくなった11月。この一カ月間、机にへばりついたままのおでこはなかなか上を向かなかった。
先日、M先生から返事があった。
3人の先生にCCがついている。
ざっと次のようなことが書いてあった。
研究計画書を読み、話し合った。あなたのプロジェクトは、独創的で新鮮かつ興味深いものであるという結論に達した。また、今回、あなたが理論的な視点を変えたことにより、あなたが研究の中心としている二つの軸に影響はない。何度か話し合った後、次のような提案をしたいと思う。
・主任指導教官:F先生
・副指導教官:P先生とK先生
この3人は、あなたのプロジェクトのテーマ的な側面と理論的な側面の両方をカバーするのに最適だと言える。既にF先生はあなたの提案書を熟読しており、この決定に同意している。
今後のさらなる熟考が必要だが、あなたのプロジェクトは出発点として非常に興味深く、想像力に富み、人類学における最新の理論的革新に通じるものがある。
この提案に魅力を感じてもらえれば幸いである。
M先生のメールの書き方が難解で、十分に理解するのに何度か読まなければならなかった。
これは、博士課程を続けられるということか。
A先生が「あなたの考え方と手法には正反対の立場をとる。あなたの言う内容を支持しない」と言い、自分でもいささか狂気じみているかもしれないと思った計画書が、今回は受け入れられたことに驚く。
また、修士論文アドバイザーのK先生が残ってくださった。手法や視点は変えたがテーマと領域は変わらないからだろう。
そして、理論的側面(今回加えた新たな手法)からF先生とP先生が入ってくださるという。F先生とは、私が落としたペンを拾ってくださったときにお礼を言ったことぐらいしか接点がない。P先生は最近着任した欧州出身の先生で、英語圏で勉強、研究されていたようだ。過去の論文はタイトルからしていい意味でかなりあれだった。そして、私の計画書と何かしらつながるようなことを書いていらっしゃることから、もしかするともしかするかもしれないと思った。実際にもしかしてくださったことに感謝する。
数日前、K先生からメールが来た。
「もうすぐいい知らせが届くわよ」
それが何を意味するのかわからない私は、待つしかなかった。
受け止めてもらえたのか。
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自転車売り場にて。
TOKYOと書かれていたのでつい立ち止まる。
翌晩、M先生からもう一通のメールが届いた。私にだけあてたメッセージで、次のようなことが書いてあった。
F先生が興味を持ち、主任指導教官として立候補してくださったこと。その結果、M先生自身は私を直接担当しないことになったが、いつでも相談に来たらいいということ。
複数の視点や領域を横断するテーマのため、指導教官をかえ、新たに3人の教官を置く妥当性は十分あり、大学からも反対されないはずだということ。
教官を変更することで、事務処理的な側面から、このまま1年生続行可能か、来年再スタートになるかは大学の委員会が判断する。そのため、あなたがこの提案を受ける場合、できる限り早く書面での教官変更を行うこと。
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興奮した。当たり前だが、日本で買うより高い。
そしてここでもTOKYOの文字が。
「たたいた扉は開かれたと言っていい」
日本で心配してくださっていた先輩に報告したところ、返ってきた言葉を読み、一気に緊張がほどけた。
そうか、やめなくていいのか。
パソコンの画面を前につぶやいた。
この一カ月、ひんやりしていた心がじわじわとあたたまってくるのがわかった。
そうか、扉は開いたのか。
捨てる神あれば拾う神あり
暑苦しいと一生懸命は届いていた。
実をいうと、この際もうマドリードあたりまで遠征しようかと思っていた。しかし、今の大学が私を見捨てなかったこと、先生方が真剣に向き合ってくれたこと、計画書の内容に興味を持ってくれた先生方がいることはとても大きい。そして、K先生が残ってくれた。
この大学でやろうと改めて思った。
よくわからない妙ちくりんなテーマと手法だけど、いっちょやってみなさい!
そう言って背中を押してもらったような気持ちになった。
1人、またはせいぜい2人だろうと思っていた指導教官が3人とは結構めちゃくちゃだ。でも、これも私らしいめちゃくちゃだと思えば、いいではないか。3人中2人の先生を知らないのも不安といえば不安だが、おいでよと手を広げてくださったのだ。思い切って飛び込んでみようと思う。
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左上の猫と「にゃ」の文字がじわじわくる。
そんなわけで、M先生の提案を正式に受けることにする。
明日メールを送ろう。
でも、その前に。
いつも一緒にてんやわんやしてくださるnoteの皆さんに、私を「こいつあほやろ」と呆れ笑うどころか逆に熱くそして温かい言葉をかけてくださるnoteの皆さんに、お伝えしたかった。
◆
アンダルシア田舎にいるからか、家で仕事をしているからか、気がついたら今日は誰とも話してないなという日が少なくない。外出すらしない日もある。外に出るのは、ロバに会うときかスーパーに行くときぐらい。修士課程を終えてから、再び私の生活は家から徒歩30分以内のところでまわっている。そのせいか、たまにとてつもない1人感を覚えることがある。そんなときはきまって、「これ、私ここにいる必要ある?」、「私は一体ここで何をしてるんだ?」などと無駄に悶々としてしまう。
今回も、先日の1時間半のチュートリアルから今日まで、結構な時間を1人感と闘っていた気がする。
しかし、私は1人ではなかった。
大学の友人、先輩、noteの皆さん、日本の友人たち、直接話はしなくとも陰で見守ってくださっている先生方が見ていてくれた。私の空回りとAkioさんのいうところの「ノンブレーキで、顔面からぶつかっていく」様子を。
M先生からメールが届いた後、何人かに報告をした。この1か月、口に出さずとも「あいつ大丈夫やろか」と心配していたであろう人たちだ。すぐに返事が届いた。
博士課程の先輩ダンテから届いた「やったー!!!これで一緒にやれる」の言葉。
修士時代のクラスメート、ペルーの友人から届いた「その3人で行け!博士課程自体が大変なんだから、今そこでそれ以上苦労しなくていい。まずは冬休みらしいことをしなさい!」のメッセージ。
試験前のロシオから届いた「友人としてあんたを誇りに思うわ!博士号をとって、あなたのおかげでとれましたとA先生に証書を見せてやるわよ!」の音声メッセージ。
日本の友人から送られてきた「とりあえずやる、それから考えたらいいわ!」のLINE。
大学時代の恩師(箕面在住)から突然届いた「あんた、そろそろ学会に入るやろ」という愛の脅しと、夏は温泉に連れていくから予定を空けておくようにというメール。
これらを読みながら改めて思う。
全然、1人ではなかった。
これまでも今も、そしてきっとこれからも。
1人ではない。
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風邪ひきだったので、一番小さいものを頼んだ。
◆
そんなわけで、どうやら続けられるようだ。
そもそも、博士課程と書いて、「はかせかてい」なのか「はくしかてい」なのかもわかっていない。
そんな人間がやるものだから、この後の道のりも暑苦しく険しくしっちゃかめっちゃかなことこの上ないものになるに違いない。私を受け入れてくれる3人の先生方は、早々にお前もういい加減にしとけよとなるかもしれない。
ともかく、やってみることにする。
A先生からは、何のドアも開かないと言われたが、そもそもドアを開けるためだけに勉強するわけではない。
20年前の私に、大学卒業後もう少し勉強したかったあのときの私に言ってやりたい。相当時間はかかったけど、そしてなんでか場所はスペインだけど、できないことはなかったで!と。また勉強できるで!と。
先日、修士の時に課題の締め切りを延ばしてくださったハビエル先生から、おーい唐草元気か博士課程入ったかとメールが来た。
もにょもにょとした返事しかできなかった。
いっぱいがんばるんやで!と返してくださったハビエル先生にも、今度はきちんと報告をしよう。
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◆
「Perseverenceですね」
今回の顛末を隣で見ていた夫が言った。
粘り強さで困難を乗り越えるという意味においてだろうか。
最大級の賛辞として受け取っておこうと思う。
皆さま、ずっと並走してくださりありがとうございます。
この1か月を乗り切れたのは、皆さんがいてくださったから。
しんどくてnoteが書けないときは、皆さんのnoteを見に行って癒してもらっていました。
皆さんの力はとてつもなく大きいです。
そして、改めて思う。
暑苦しく泥臭く、ときに空回りしすぎるかもしれないが、一生懸命はどこかに通じる。たたき続ければ開く扉がある。
アンダルシア田舎から、最大級のにゃー!と愛をこめて。
にゃー!!!