私と祖父。
私の祖父が亡くなってもう15年になる。
住んでいるところがもともと遠かったので、頻繁に会えるわけではなかったがそれでも1年に2回くらいは会えていた。
中学高校になると大型休みも部活動が入って、行く日数が極端に減った。
当時は携帯やスマホがこんなに普及している時代ではないから、手紙や電話でたまにやり取りをするくらい。それでも十分だった。
祖父が癌になり、闘病生活が始まった。
それでも物理的な距離と予定に追われてあまり会いに行けなかった。
最後に会った時は祖父が入院している病室だった。
久しぶりに会う祖父は面影はあるものの、思っていた以上に痩せていた。
腕時計が肘を超えて二の腕まで通るようになるくらいまでは。
外見が多少変化しても、中身は祖父そのままでテレビのリモコンを握らせてくれたし、冷蔵庫にプリンが入ってるから食べなさいと言ってくれて優しい祖父のままだった。
私が来たことを知った祖父は、外泊許可が欲しいと主治医の先生に言っていて、駄々をこねている子供みたいだなーと思ったことを覚えている。
小学生からのイメージは優しいけれど頑固でしっかりしてたのでギャップを感じた。
私と祖父以外の大人がみんな院内の売店へ行ってしまったので、2人きりになる時があった。
口数はあまり多い方ではなかったので2人でテレビをぼーっと見ながら過ごしていたら、ぽつりぽつりと祖父が話しかけてきた。
その中で私が忘れられない一言がある。
「僕は籠の中の鳥や。」
これまで祖父と関わってきた中でそんな弱音を聞いたのは初めてでとてもびっくりした。
高校生ながらに上手い返事を探したけれど見当たらなくて、手を添えることしかできなかった。
程なくして祖父は病院から自宅に帰り、家族に見守られながら天国に旅立った。
祖父はずっと自宅に帰りたかったけれど、自分のために尽くしてくれる先生や看護師さん、そして家族の事を思うと言えなかったんだろうな。だからあえて2人の時に言ってきたんだろう。
孫にそう伝えるくらいしんどかった祖父を思うと今もたまに苦しくなるけど、最後は安心できる自宅でみんながいたから寂しくなかったかな。
告別式も終わり火葬をしてお骨を拾って喉仏を最後に仕舞う時、葬儀社の方がこの仏様は笑ってますね。僕は今日いい眠りにつけそうです。と言ってくれて何かがふわっと軽くなる気がした。
今度お墓参りに行く時はたくさんのお花を持って大好きなお酒も持っていこう。
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