七代目・尾上菊五郎 100年インタビュー
一昨日、歌舞伎座の舞台で82歳の誕生日を祝った七代目菊五郎。七代目菊五郎の『100年インタビュー』を振り返って視聴した。
長いインタビューは閉館した国立劇場の舞台を借りて行われた。(※2024年3月12日放送)
七代目菊五郎の腰が低いようでいて、斜に構えたお人柄がわかると共に、頭の中が整理されて何が歌舞伎には大切かを実感できた。歌舞伎の芝居には、役に定められた台詞と動作があり、何度も演じるうちに自然と身体が動くようになる。すると、余裕が出てきて、という話だった。身体に染み込ませてナンボなのね!
大河ドラマにキャスティングしたがるけど、テレビドラマより、むしろ、茶道に近いかな? 役に優劣がない点も、ドラマとは捉え方が違う。
菊五郎さんは「土台が大事」で「土台という意味で、若手には『忠臣蔵』をやって欲しい」とのアドバイス。後は、自分で「歌舞伎は娯楽の王様だ」と誇れる内容になるなら、やり方は好きに選べば、と……。
一年前の寺嶋しのぶさんの歌舞伎座出演の取材で「父は何も言いません」とコメントしていたことが思い出された。
歌舞伎役者には「艶」が大事とも言っていた。
「艶」なら、私、ワカル。先日の三味線の先生方の演奏『秋の色草』は客席に座っていて我を忘れた。あれが「艶」だ。
さて、
インタビューでは自身の丑之助時代や菊之助襲名のエピソード(金田中に関係者を集めて、挨拶)そして、名優たちの個性溢れる指導術が語られるが
どの質問も歌舞伎の知識があってこそ、楽しめるお答えで、例えば『加賀鳶』の辰五郎や『め組の喧嘩』の梅吉において「カッコ良く見せる工夫とは?」というアナウンサーの問いに対し、菊五郎さんはイキな仕草をその場でやってみせてくれたり、『魚屋宗五郎』の奉公人・三吉と『髪結新三』の勝奴を見比べてごらんと薦めたりするのだ。
また、菊之助時代の人気っぷりは「三之助ブーム」と呼ばれていたそうで
他のおふたり……、二代目松緑の子・辰之助(左近くんの祖父にあたる。四十歳で死去)、そして、先代の團十郎こと、新之助の立役ふたりの女形・女房役として菊之助は活躍し、三人は仲が良くて、一緒にグァム島旅行に出かけたそうだ。ちなみに、辰之助の父・二代目松緑は男兄弟が多く、15歳から菊之助に預けられていた菊五郎劇団の重人なのである。
※これが二代目松緑
さて、父・梅幸が生涯女形を勤めたなかで、七代目は立役をやりたい気持ちが強く、祖父の六代目菊五郎の娘婿である十七代目・勘三郎の声掛けで、勘三郎の教えを受けながらの曽我兄弟を巡業でやった。これを機に立役に転身。二代目松緑の家を訪ね、松緑のお三味線に合わせて立役の舞踊(浮かれ坊主)も学んだ。
このアーカイブは結構、掘れそうだ。
番組では大河ドラマ『源義経』や五代目菊五郎ゆかりの演目のお宝映像が流れた。自分の為に演目をメモしておくが、当時の菊五郎は今の菊之助に似ていて、びっくりだった。
『与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)』1978年の『源氏店』。弁天小僧菊之助
『魚屋宗五郎』1989年。菊五郎劇団のチームワークが生きる演目
『髪結新三』
『十六夜』ロンドンでの蜷川歌舞伎
うーむ。歌舞伎というのは知れば知るほど、もっと、観たくなる。年明けには新国立の舞台に立つそうだ。つまりはお金がかかる。まさに、娯楽の大富豪!
これが100本目の投稿となりました!
3日かかって、番号を打ち直しましたが、2本削除してあるので数が合わない。そんなところがまた、私らしい。