意志の弱さについて
私には意志がない。これと言って努力したこともない。また覚えようとして物事を覚えたこともない。概ねまぐれで現状があると思っている。そう思うと社会に対して感謝の気持ちを持たざるをえない。なぜなら何の努力もしてこなかった私をある程度許容してくれているからだ。
世の中の範囲で特段負荷もなく楽に過ごしているという自覚がある。けれど気力はない。ねらって能力を身につけることができた記憶がないからだ。
社会はピラミッド構造だと知人が言っていた。「僕らは底辺なんですよ」とのことだった。「底辺ではなくひし形の下方頂点ですよ」と言い換えたところ妙にウケた。これも自嘲になるのだろうか。わりと的を射ている気もするのだけれど、笑っているだけで特に改善する気も起きず、やはり言い得て妙だったと思う。
意欲があればより良い日々を送っていたのではないかと思わないこともない。人並みに社会適応できていたのではないかと思う。一方で気だるさがなかったら私ではないなとも思う。思考に重さがなくなり思慮深さも減退するのではないか。
私には妙な直感がある。一つは時間が分断されていない。切り替わりが弱く、一度眠っても昨日が続いている感じがある。
二つ目は道に迷わないと言われることがある。内実は道の立て札に貼ってある地図を遠目で見て方向を定めているだけと思う。
三つ目がわりと記憶力がある。覚えすぎると相手に引かれる印象もあったので、この何年かは意図的に忘れるようにしている。意図的に忘れるとか器用なことできるのかという気もする。思い出そうとせず、想起をスルーしていくとやや忘れる気がする。
私は直感に頼りすぎる部分もある。何となくで正しそうだったり出典がはっきりしないけれど面白いと思う情報を収集する癖がある。誰かを納得させるためには根拠がいるし、常識を批判するなら相応の説明が必要と思う。
ということを気にしていなかったので、脳内はもはや情報の虚実が入り混じっており、まともに思考できていない気もする。一方で弱さが強さになるときもある。まともに思考できないというバッファ(ゆとり)があると、多少のミスは誤差とカウントできる。おかげで根気を維持できていると思う。
あとがき
今年はトピック数が多い一年でした(まだ二ヶ月ありますが)。これはこれで楽しかったというのかもしれません。戯言に限りなく近い作文かと思います。こんなのでも思考しているのだと、笑っていただければ嬉しいです。読んでいただきありがとうございました。
利用者S・K