見出し画像

サイコパスな夫の高すぎる自己肯定感。めったに感情を表さない理由。

もうすぐ父の日。

互いの父に何をあげようか、夫に相談したのが間違いだった。

夫が言い出したのは、ジャンパー。

ただのジャンパーではない。

夫が去年自分に買った、高倉健が着ていたという5万円のジャンパー(超お気に入り)。

画像1

つっこみどころがありすぎて、開いた口がふさがらない。

まず父の日ごときで一人に5万円も出せるはずがない

そして、俺が着ている素晴らしいジャンパーをあげたいという自己中心的な発想。

相手が欲しいものを想像しない。俺があげたいものをあげる派か。

それにもうすぐ夏になるのにジャンパーはあげたくないわ。頭悪い。

しまいに、俺が金出すわ、だって。

呆れた〜〜〜痛々しい。

私の誕生日にはアマゾンで5千円の花をポチるだけなのに腹立つわ〜。

そんな金あるなら、食洗機買ってくれよ!

埒があかないので姑にメールした。

「父の日に何か欲しいものありますか?〇〇くん(夫)は自分の着ている高価なジャンパーをあげたいなんて言ってます汗」

すると、「高いものはいりませんが、夏に使えるものがいいです。○○の気持ちはありがたくうけとめます。」という返事。

なんだろうこの違和感は。絶対に息子の味方という空気をうっすらと感じさせる。

義母は夫を否定しないんだよね。私が産後、夫の非協力に疲れ果てて相談した時も、夫婦なんだからわかりあえる、助け合ってくださいとか。さらに、主人(舅)はとてもイクメンだったとか、義母の父は家庭的だったとか自分の過去の自慢を付け加える。

そう、私の気持ちは想像しない。私は複雑な家庭環境で普通より苦労して育ったはずなんだけど、なぜか楽して生きてきたと思われていて、親の面倒をみてあげてくださいとか言ってくる。私が幼少期から今までどれほど実家に貢献してきたか、想像できませんかというようなことを言ったら、ハッと気づいたみたいで謝られたけど。

つまり、私には全く興味がないんだよね。自分の見たいものしか見ない。夫にそっくりなの。

この人たちはたぶん自己肯定感が非常に高いんだと思う。他人にどう思われるかとか、あまり気にしない。

義母はかなり空気は読める。話もおもしろいし、プレゼントも気が利いているし、気遣いがうまい。ただ、嫌いな人や臭いものにはフタをしてうまく逃げるタイプ。女の最強の部類だと思う。

夫もよく似ているんだけど、男だからなのか、気遣いがまったくできない。というか気遣いなんて無駄だくらいに考えていそうなくらい、自己中心的。しかし美女にだけは弱く、めちゃくちゃ気を遣ってるんだけどやっぱりヘタくそ。そしておばさんにはとても厳しい。

ネットで調べると、自己肯定感が高いとは、『倫理観』の影響下にないこと、という定義が色んなところで引用されている。私は夫をサイコパス的だと思っていたが、そういうことだったんだと納得。

夫の高すぎる自己肯定感は、仕事では役に立ち評価されているようだが、家庭や友人関係では致命的な欠点かもしれない。

一言で言うと、温かみがない。

感情の起伏がないので、表面的な関係しか築けない。相手のために我慢しない。いちいち相手の気持ちを察するのが面倒くさいみたい。その場が楽しければいいという感じ。

私は自己肯定感の低さに悩んできたので、夫の飄々とした素直すぎる態度がカッコ良く、羨ましく思うこともある。でも冒頭で書いたような、相手の気持ちを想像しようとしない部分は人としてダメだと思う。

自己肯定感の高すぎるサイコな人間はどういう子育てで造られるのかと考えると、やはり義母が夫を否定しないところに行き着くのかなと思う。

幼稚園にもいろんなタイプの子がいるけど、3歳とか4歳にしてすでに自己肯定感が低い子がいる。繊細で、空気を読んで周りに合わせる子。意地悪された自分を嫌いになっちゃう子。そういう子のママは感情の起伏がはっきりしている。

そうなると、反対に自己肯定感が高すぎる子のママは、もしかしたら義母みたいにあまり笑わない、怒りもしない、感情の起伏が平坦なタイプなのかもしれない。いつも心の中が湖面ように安定していて、安定しすぎて感情を出すことに抵抗があるのかも。そうだ、怒りをあらわにする人間は未熟だみたいなことを夫がよく言っている。

自己肯定感を高く、思いやりのある子にするには、ママがいつも笑っていればいいということか。。怒らない子育てかつ、よく笑っていなければいけないのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!