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映画を観るようにたんたんと今日

猫の胴体を持った蛾がベランダに横たわっていた。
右の羽根の三分の一が折れ曲がっているように見える。
これは完全に人間界の見え方、考え方。目の前の生き物の体の部分、大人の男性の親指分位の大きさを支えられる程の羽根なのだから、雨風の激しいこの季節に現れたのだから、普段見ない大きさの蛾だから、と戸惑っている。体は猫のような滑らかな黄金色の毛並みで羽は荘厳な絨毯の見本のようで、この模様一つ一つが手作業で編み込まれているのか?と感心してしまう程の作りをしている。すっかり見惚れてしまうのだがキミは苦しんでいるのか?休んでいるのか?休んでいると羽は修復するのか?何かしてやりたいと思う自分は現状の情報から手段を見つけ出し一番良い方法を取ろうとして必死で考える。良い方法?それも一番?自分のエゴに慄く。
しゃがみ込んだ体勢から起きあがり小声で「じゃっまた」と呟き目線を上げた。目線が空を求めて急上昇する間にベランダの植木たちの緑が色だけで挨拶する。と、その中に見たことない紫色が一点混ざっているのに気づき、空まで行き切った目線を急いでその中間ほどに戻す。まだ咲き切らないが体を後3割もねじりきれば咲ているくらいの状態の紫色の花がひとつ一番地面に近い植木鉢に咲きかけている。なんの植物も居ないはずの平たい植木鉢。砂だけを入れて他の植木に水をやるついでに水を撒いていた植木鉢。花が咲いたか。見たことない花も咲くのか。もう一度しゃがみ込んで花を見ていたつもりが、奥のレモンの木の植木鉢に去年ベランダでびわを食べてそのタネを植えたその子が二〇センチは伸びている。その葉にピントがあったり合わなかったり。黄色い蝶々が横切っていく。無目的から無目的へと目線が動くと、自分の身体は脳にいっさい主導権を渡してはいないことに気づけてついつい頬がほころぶ。そんな心の声とは真逆に、うっすらといつも目線に入る洗濯物をどのタイミングで取り込もうか?と考えている。この気持ちは考えているのか?感じているのか?
タオルが気持ちよさそうに風に吹かれている。もう完全に乾いているのが見ているだけでわかる。昨晩娘とお風呂上がりにタオルで髪を拭きあった映像がまぶた裏のモニターに映る。瞳は開いているのに。
いつもより元気にヒヨドリが頭上を鳴きながら飛び去っていく。顎を上げる。紫色の残像に戸惑うことなく空まで視線を上げる。遠くに入道雲が見える。七月に見た入道雲より遠くに感じる。ベランダの塀の向こうすぐにある用水路の石蓋の上を自転車が通り、カコカコと蓋が鳴る。ここがどこでこの後どう過ごすのか一瞬忘れてしまう。なんだかおかしく感じて一人吹き出し笑ってしまった。身体に聞こう。次の私は今を切り抜いた連続写真。何枚も何枚も用意してございます。モニターに沢山の写真が映し出される前。スマホの電源はお切りですか?飲み物は買いましたか?トイレは?瞳を閉じてブザーを鳴らして暗転。
 気配を感じて振り向くと網戸の向こう側、家の中に猫が見ていた。黄金色の長い毛並みで目を地球のように青く丸めていつの間にかこっちを見ていた。ハッと、猫の胴体を持った蛾は?と体を向き直し出発点に目をやった。蛾は機嫌一つ変えずに同じ顔で同じ柔らかさで同じ角度で横たわっていた。なんだやっぱり世界はたかが一瞬の連続じゃないか。
ふふふっと笑えて、網戸の中の世界に戻りました。

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