自分にあう、カッコよくないマネジメント
世界のトップを走るCEO、V字逆転を実現したイノベーター、革命的な事業を次々と成功させるリーダー。そのようなカリスマ的リーダーに憧れを持った過去の自分と、カッコよくないマネジメントが自分に合うことに気づいてきた最近のお話。
性格分析的にはENFJ。主人公型。
高校の頃からそうだったし、今もそうであるが、私自身は確かに「主人公型」の人間である。本当に必要であり、やると決めたことは何がなんでもやるし、メンバーを信じて「なんとかなるだろう」と思うことも多い。
昔はスティーブ・ジョブズのような圧倒的カリスマ人間が世界のトップを走るリーダーだと思っていた。もちろん今もそう思っているが、当時高校生の私はそのカリスマ性を少し誤解していたような気がする。
完璧で厳しい人物がカリスマ的と思っていた。
当時高校生の私もリーダーシップを発揮する場面を持っていたが、今思えばとても厳しい人間をしていたと思う。ミスや期日に間に合わないと怒ったし、辛く対応することもあった。そのような「厳しさ」がカリスマ性やイノベーションを起こすと思っていたからである。
自分が完璧である必要はない。チームとして妥協をしなければ。
半年間マネジメントをしてきて、自分自身がありとあらゆる知識を持っている完璧人間であるのは理想的かもしれないが、現実そうではないし、そのような必要もないことがわかってきた。私よりもマーケティングに詳しいメンバー、Web構築ができるメンバー、現場のリアルを知っているメンバーなど、私より、特定の分野で優秀なメンバーはたくさんいる。もちろん多少の知識は持っておくべきだと思うが、自分自身がそれらを実現できるほどに専門性を持つ(完璧人間になる)必要なないのだということを感じてきた。そのようなメンバーを生かしていくことがマネージャーの仕事であり、自分が完璧になる必要はないのである。そしてチーム全体として妥協せず、チームで協力しあうことでイノベーションが起こるのだ、ということをやっと理解してきた最近である。厳しさは必要なかった。
いい意味でナメられる、イジられる良さ。
マネージャーがメンバーにナメられる、そのような瞬間があるのは「ある意味」とても良いことだと考える。もちろん本当に「あいつ使えねえな笑」としてナメられるのは良くない。だがいい意味でメンバーがマネージャーにイジりを入れられるようなチームになるのは並大抵の準備では達成できないと考える。チーム内でお互いの強み・弱みを共有できる心理的安全性が確保されていて、お互い頑張っていることを知っていて、成果も出ている、ありのままで入れるし壁を感じていないからこそイジることができるのだと思う。「自分なんかよりもずっと色々なことを知っているし頑張っている、完璧なマネージャーにイジりなんてできない」メンバーがそんな風に感じる環境で深い議論などできないと思っている。
悩み困っている自分をちゃんと見せる、等身大の自分を支えてもらう。
カッコよくない自分をメンバーに共有する、実は勇気がいることだと思う。マネージャーだからこそ完璧でないといけないと勘違いしてしまうからである。メンバーと同じように悩み・しかもカッコよく問題整理などできない自分、そんな弱い自分をちゃんと共有し、助けてもらう。そんな完璧出ない自分を受け入れてもらって、支えてもらえるチームが最終的には良いと思うし、そのようなマネージャーのあり方が自分にあってるのかもなと最近思ってきた。そんなカッコ悪いマネジメントを実践しています。
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