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『シンポジウム 江戸東京の史跡と都市空間(法政大学 市ヶ谷田町校舎 5階 マルチメディアホール)』〜明治が創り上げた風景 国会議事堂と日本の都市デザイン

【内容】
江戸東京の史跡と都市空間についてのシンポジウムが、市ヶ谷の法政大学であるとのことで聴講して来ました。


【感想】
一つ目の講演は、「国会議事堂はなぜ、あの永田町の丘に立っているのか」という興味深いテーマでした。講演者は、明治時代に井上薫が日本のグランドデザインを行い、皇居南側に官庁街を形成したことを詳しく解説しました。特に、お雇い外国人の建築家ベックマンが設計した国会議事堂の建築に関し、永田町という立地がいかに戦略的であったかについて、詳細な研究結果を発表していました。
以前、有楽町で働いていたこともあり、時間がある時など、有楽町から皇居のお堀沿いを、ジョギングをする人々の横をゆっくりと写真を撮りながら歩いたりしました。その際、皇居周辺の風景が、単なる景観ではなく、日本の国家システムを象徴するような意図的な配置であることを感じました。東京駅周辺のフォトジェニックな景観も、ベックマンの都市計画が深く関わっていることを知り、改めて日本の都市計画の奥深さを感じました。
また、米田志乃布教授の講演では、明治天皇の足跡が日本の各地に残されている「聖蹟」について興味深い話を伺いました。池袋のサンシャイン通りにある明治天皇の石碑なども、その一つです。

天皇の教育係で、後に貴族院や参議院の議員になった河井弥八についての講演でした。皇居の用地に大型道路を通す計画があり、その計画を潰した人物であったとのことでした。

会場には、色んなところから来られている研究者、大学の先生が来られているということのようでした。
『ここら辺の研究は、〇〇先生が専門で…』と会場に座る男性に話しかけていたりしました。

それから、トイレの手洗いのところには、「接着剤などの薬品を流さないでください」との張り紙がありました。
デザイン関係の学部のある建物ということがあっての張り紙のようでした。

https://eco-history.ws.hosei.ac.jp/wp/2024/09/20/announcement_edotokyo/

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