体臭に悪意は宿らない ~スメルハラスメントを考察する②
体臭で傷つけ、体臭で傷つく
前回、スメルハラスメントという言葉の定義の難しさについてつづりました。
セクハラ、パワハラ、モラハラ、カスハラなど、被害者と加害者の境界がはっきりしています。一方、スメハラは加害側が悪意をもって体臭を発していない以上、ハラスメント=いやがらせとは言い切れないという論旨です。
このままスメハラという言葉が使われ続けるとしたら、ほかのハラスメントと同様に扱われ、体臭=いやがらせというイメージが固着する可能性もあります。
いやがらせ、と言いたくなる気持ちもわからなくはありません。
体臭に悩んだ経験がない人であれば、自分を苦しめる体臭を持つ人は「いやがらせをする人」に該当するでしょう。
私の経験則では、体臭の薄い人がマジョリティであるこの国においては、清潔にさえしていれば異臭はしない、という認識の人が大半です。
自分が問題の渦中に立たされでもしない限り、「私を不快にさせるあの人の体臭はどのような原因で発せられているのか」という問いを立てる人は、まずいないでしょう。
私自身、強い柔軟剤の香りは苦手ですし、くしゃみが止まらなくなります。
厳密にいえば、柔軟剤の香りは体臭とは異なりますが、特定のにおいを不快に感じる、ともすれば気分が悪くなるというのであれば、ハラスメントと叫びたくもなるでしょう。
こうして文章をつづっていると、何だか情けない心持ちになります。
私は生きているだけで他者に迷惑をかけている可能性があるのか、と。
しかし、謝るのもまた違う気がします。
繰り返しますが、意図的に体臭を発しているわけではないからです。
他者の体臭に苦しめられている人は、被害者です。
他方、他者を体臭で苦しめている人は、加害者であり、被害者でもあるのです。
「スメル」が「ハラスメント」になる日
話をスメルハラスメントという言葉に戻します。
言葉が流行するとき、本来の意味から逸脱して社会に浸透するケースは多いように思います。
たとえば「ヘイト」です。
そもそも日本でヘイトという言葉が広く使われ始めたのは、人種差別を扇動する市民団体によるヘイトスピーチが契機と考えて間違いないでしょう。
ヘイトおよびヘイトスピーチを「デジタル大辞泉」で引くと、以下のように書いてあります。
ヘイト(hate)
憎むこと。反感を抱くこと。憎悪。「ヘイトスピーチ」
ヘイト‐スピーチ(hate speech)
《ヘイトは憎悪の意》憎悪をむき出しにした発言。特に、公の場で、特定の人種・民族・宗教・性別・職業・身分に属する個人や集団に対してする、極端な悪口や中傷のこと。
それぞれ「憎悪」という強い調子の言葉で説明されています。
文脈から考えると、ヘイトは苦手や嫌悪といった言葉とは異なるニュアンスであり、ヘイトスピーチは単なる罵詈雑言よりも苛烈な差別扇動表現であると理解できます。
このような言葉の成り立ちを踏まえつつ、SNSでヘイトの使われ方を検索してみます。
そこでは、ヘイトという言葉の本来の語義とは異なる使われ方が多く見受けられます。
少し例をあげてみましょう。
よく見られるのが、「ヘイトを買う」「ヘイトを集める」という使い方です。タレントの失言やスポーツ選手の反則行為、欠陥商品や悪評のあるイベントなど、人・モノ・コトを対象に幅広い用途で使われています。
「ヘイトを向ける」「ヘイトをばら撒く」という使い方の場合は、怒りや妬みなどの感情をぶつけるという意味ではあるようです。使われ方は非常にカジュアルで、差別扇動表現と同義ではないようです。
また、シンプルに悪口や嫌悪感を「ヘイト」と言い換えて使う人も見受けられます。
ヘイトという言葉が広く社会に流通する過程で拡大解釈され、本来の意味から乖離した曖昧な認識で使用する人が多数を占めるようになったのは、疑いようのない事実です。
ひとつの言葉の意味が時を経て変容していくのは当然かもしれません。気づいていないだけで、私も誤用している言葉はあるのでしょう。繊細な意味合いを持つ言葉については、誤用を避けるよう努めたいと思っています。
スメルハラスメントという言葉の場合は、ヘイトのように曲解されて広まっているわけではありません。においを意味する「スメル」といやがらせを意味する「ハラスメント」の食い合わせがあまりにも悪いのです。体臭で迷惑をかけている側に悪意がない以上、別の言葉で表現されるべきではないでしょうか。このままでは、さまざまな「〇〇ハラスメント」と同様、体臭が悪意のあるいやがらせと見なされる可能性があります。
シンプルにいえば、体臭に悩む人が社会的に孤立するのではないか、という懸念があります。
いえ、もしかすると、すでに孤立しているかもしれません。