仕事とホームレスのサンタ in アイルランド
クリスマス・イヴ、アイルランドだとどこの施設も早めにしまって、家族・友人と過ごすことを促す。
清掃の仕事もそのため早めに切り上げだった。
明日クリスマス当日に限っては施設自体も休み。そんな時、イベントがあろうといつだろうと泥のように仕事だけを見つめさえてくれた日本を羨ましく思う。
だが仕事との蜜月を過ごした結果、時間と体力を明け渡した私は、いざ休暇を与えられて何をしていいかわからずにいた。
早上がりにしてすぐに家に到着。
シェアハウスの他の住人の気配はしない。
あ、そうか、みんな外出してるのか。
時計よ、いつも物静かなお前さんがここぞとばかりにチクタクと時間を伝えるのは何故なんだい?久々に部屋の中でお前の存在を認知したぞ。
ただ、もうクリスマスムードは十分に過ごした。こっちじゃハロウィンが終わるとともにクリスマス関連のお菓子がスーパーに並ぶスピード感。
また最近掛け持ちで始めたバイトがクリスマスイベントのフェイスペインティングで、ここ最近は実はクリスマスに浸りっぱなしだったのだ。
ちっちゃい子らが各々クリスマスにちなんだ絵柄を描いて貰っては、キャッキャしてる姿を見て、それだけで十分にクリスマスを堪能した気になれた。なんならサンタに近いぐらいの経験なんじゃないか?
中にはじっとしてない子、唾かけてくる子(親よ、止めい)もいたし、せっかく描いたのに微妙そうな顔で帰っていく子も多かった。でもまぁ、こっちも好きな絵を描くことで仕事できて、その上で感謝されたら余計ラッキーぐらいな心持ちだった。
あとは死ぬほど子供の餅肌に触れた気がする。同現場にいた韓国からワーホリできてるという女性が、日本語で「ほっぺが、赤ちゃん!」と嬉しそうに伝えてくれて、激しく同意だった。
ちなみに従業員も自分の顔になんか描かないといけなくて、ずっとデヴィッド・ボウイのアラジン・セインの稲妻を描いてた。日本よりは認知度あるだろと思ったけど、子供向けなのもあって指摘された率は低かった。同じ現場で働くゴスい学生はすぐ気が付いてて嬉しかったが。あとは親が「ほら、じっとして。ボウイの方向いて」と子供に諭してたのはおもろかった。あとで私はニッコニコで自撮りした。そしてそれを見返して、「こんなニッコニコのボウイ見たことねぇわ」とツッコんだ。
ちなみにこのゴス学生はかなりシフト入ってて、私が入る時はだいたい居る。鼻ピは錨みたいな形のいかついやつだが、フェイスペイントしてる人の中で一番子供に優しく接している。
見た目イカツイやつほど優しいというのは、個人的な経験に基づくデータにも裏付けられてる。
この前は二人しか現場にいない時、クッキーくれた。マジ優しい。
というか、ゴス学生も韓国から来た子も、クッキーくれたりわかりやすいように日本語で喋ってくれたりで、してもらうばっかりだった。以前同じ語学学校に通った日本人の方もやたらとお食事奢って頂いたり(ちょうど当時、仕事に就けないのもあってか)、ほんと助けられたり人の優しさを受けるばかりだなと。いつこっち主導の優しさを与えられるのか、あるいは恩返しができるのか。優しさを押し売るのとは違うが、こう自然体に人に優しくするのに、いらん抵抗を抱きたくないのである。
ところでこの現場、基本はみんなバイトで雇われの人たちで、本社からマネージャー的な人がたまーに来たり来なかったりする。なので、客引きも、絵を描くのも、お会計も基本バイトの我々がしている。私はフェイスペイントの経験すらなかったのに、ぶっつけでお客の顔に絵を描かされた。「Candy Cane描いて」と言われて、「すみませんスペルは…」と子供相手に聞いて、スマホで調べて、やっと描けた。依頼されたものすらそもそも知らなかったり、しかもぶっつけなのもあって、かなりテンパった。でも、まぁもう慣れたことだが。あと子供は顔が小さ過ぎて、絵を描く範囲が限られてて大変だったりする。もう大丈夫だけど。
このクリスマスマーケット、かなり賑わってる。サンタの格好したおじさんが、電子ピアノで出鱈目な演奏してても稼げるくらいには賑わってる。どう現場のバイトの人が「ホームレスよあの人、かわいそうに」と言ってた。
白髪の立派な髪と髭があれば、この時期だけ起死回生の機を得られると思うと、サンタという存在は単に子供を救うだけではないのだな、と妙に考えさせられた。存在そのものに金を払ってくれる人が少ないのは、おそらく日々のホームレス生活でもわかっていることなのだろう。演奏というのはただの体裁なだけの出鱈目だし、電子ピアノにしては音量も全然ないが、妙な風格もあって絶妙に現代音楽的なオーラを持って居る。しかも普段どこにいるのかもわからない感じが、サン・ラ感(それで言ったらサン・タでしょーが!)。
調べたらサン・ラもクリスマス・ソングを歌っていた。海外のアーティストに「クリスマス」と単語を入れて調べるとほぼ出してる(あのキャプテン・ビーフハートでさえ)。
このクリスマスムードに絶妙にかき消される前提のサンタによる演奏は、エリック・サティが言った「家具の音楽」のような理念も当てはまるし、なんかよかったな。あるアウトサイダーとしての芸術な気がしてきた。
写真も撮った。念のため、というか礼儀として撮っていいか聞いたら
「もちろん!ポストカードにでもして売ってくれ。それで入ったお金よこせよな、ギャハハハ!」
とのこと。豪快だ、楽しそうだ。いや、確実に楽しんでいる。この公共の場で、自分の手の赴くまま、もはや誰も耳も意識せずに演奏している。これは、一番純粋な音楽体験そのものなのではないだろうか。
私の次の誰かも同様にお金を入れる。するとまた豪快に「サンキュー!」をお見舞いする。寒空だけを憎んで、私は今いっときだとしてもこのクリスマスイベントの中で一体であると確信した。いまだ静寂すぎるこの部屋で、まだあの日々の賑わいは余裕で脳内再生できるのだった。年始にまたこのバイト入ってるから、楽しみだ。
この家にはまだ、誰も帰って来ない。タイプの音だけが、私がここにいるというのを打ち出すばかり。これに音楽はついてない。