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日本のエネルギー政策とその歴史 20世紀編

はじめに

日本の近代的なエネルギー政策は、明治維新後の急速な産業化とともに始まりました。この時期、日本は石炭を主要なエネルギー源とし、国内の工業化を進めました。特に、石炭は鉄道、造船、製鉄、紡績などの基幹産業にとって不可欠であり、明治期から昭和初期にかけて、日本経済の成長を支える主要なエネルギー源でした。この記事では、20世紀を通して進んだこれらのエネルギー源の普及と、後退の歴史を探ります。


1. 戦前のエネルギー確保の問題と政策

石炭の役割と課題:
明治時代、日本国内の石炭生産は九州、北海道、東北地方を中心に行われ、石炭は国内消費の大部分を賄っていました。しかし、石炭の品質や生産量には限界があり、産業の発展とともにエネルギー需要が増大する中で、石炭だけでは国内の需要を満たすことが困難となりました。特に、国内産業の発展が進むにつれ、エネルギーの多様化が必要とされるようになりました。

石油への依存と軍事的な戦略:
20世紀に入り、特に第一次世界大戦後、石油が新たなエネルギー源として注目を集めるようになりました。石油は、燃料としての高いエネルギー密度と、蒸気機関に比べて効率的にエネルギーを利用できる点で優れていました。石油を動力源とする内燃機関の発展により、石油の需要は急速に増大し、日本も徐々に石油依存型のエネルギー政策にシフトしていきました。
しかし、日本は石油の自給率が極めて低く、そのほとんどを輸入に頼らざるを得ませんでした。特に、1920年代から1930年代にかけて、軍事力の増強が進む中で、石油の安定供給は国家戦略上の最重要課題となりました。日本は当時、アメリカやオランダ領東インド(現在のインドネシア)などから石油を輸入していましたが、これらの供給国との政治的緊張が高まる中、石油供給の脆弱性が国家安全保障上の大きな問題となりました。

満州事変とエネルギー資源確保の試み:
1931年の満州事変を契機に、日本は中国東北部に進出し、満州国を建国しました。満州は、日本にとって鉄鉱石や石炭などの重要な資源供給地であり、エネルギー資源の確保という観点からも戦略的に重要視されていました。しかし、満州には石油資源がほとんど存在しなかったため、日本は依然として海外からの石油輸入に依存していました。

第二次世界大戦に向けたエネルギー確保の問題:
1930年代後半から1940年代初頭にかけて、日中戦争が激化し、さらには第二次世界大戦へと突入する中で、日本のエネルギー問題は深刻化しました。1940年、アメリカが日本への石油禁輸措置を発動すると、日本はますますエネルギー供給の途絶に直面しました。このため、日本政府は南方資源地帯(オランダ領東インドなど)への進出を強化し、石油資源の確保を図りました。これが、太平洋戦争勃発の一因となりました。

戦時体制と代替エネルギーの模索:
戦時中、日本は石油供給の途絶に対処するため、代替エネルギーの開発や燃料の節約を進めました。木炭やアルコール燃料の利用、コークスガスの導入などが行われましたが、これらは石油に代わる十分な供給源とはなり得ませんでした。また、石炭の増産も図られましたが、戦況が悪化するにつれて、輸送インフラの破壊や労働力の不足により、エネルギー供給はますます厳しい状況に追い込まれました。この過程で、国家によって発電、送配電が統括管理されることになりました。当時存在していた民営の電力会社は電力は全て日本発送電株式会社として統一され、国の支配下に置かれました。

参考https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/history1meiji.htmly

https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/history2taisho.html

https://www.jaero.or.jp/sogo/detail/cat-01-01.html


2. 戦後のエネルギー政策の再編と基盤構築

第二次世界大戦後、日本の電力インフラは大きな打撃を受けました。戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導のもと、日本の電力業界も民営化されることになりました。1951年には松永安左エ門のリーダーシップのもと、日本政府は民営化を推進し、戦中の日本発送電を含むすべての設備を分割し、九つの配電会社に配分し、地域ごとに電力配給の責任をもつ「九分割案」体制に再編しました。この分割と民営化により、各電力会社が地域独占の形で電力を供給する体制が確立され、その後の高度経済成長期において、日本の経済発展を支える重要なインフラとして機能しました。

3. エネルギー基本計画と戦後のエネルギー政策

エネルギー基本計画: 
1950年代以降、日本政府はエネルギー供給の安定化と効率的なエネルギー利用を目的に、エネルギー政策を一貫して進めるための「エネルギー基本計画」を策定しました。この計画は、エネルギーの多様化、供給の安定性、経済成長との調和を図るために、政府が掲げる長期的な戦略を示しています。エネルギー基本計画は、社会経済情勢の変化や技術革新に応じて改訂され、今日まで日本のエネルギー政策の基盤となっています。

参考https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/history3shouwa.html

4. 原子力の平和利用としての原子力発電の登場

原子力発電の導入:
1950年代、日本はエネルギー自給率の向上とエネルギー供給の安定化を図るため、原子力の平和利用に関心を寄せ始めました。アメリカのアイゼンハワー大統領が1953年に「Atoms for Peace」演説を行い、原子力の平和利用を国際的に推進する動きが広がったことも、原子力発電導入の後押しとなりました。1955年、日本は「原子力基本法」を制定し、原子力の平和利用を国策として進めることを決定しました。
1966年、茨城県東海村で日本初の商業用原子力発電所が運転を開始しました。これにより、日本はエネルギー供給の多様化を進める中で、原子力発電を基幹エネルギー源の一つとして位置づけました。その後も、日本各地で原子力発電所の建設が進み、原子力発電は経済成長を支える重要なエネルギー源となりました。

日本の原子力政策:
日本の原子力政策は、エネルギー安全保障の観点から、原子力発電の推進を強力に進めるものでした。1970年代には、オイルショックを契機に、石油依存からの脱却を目指す中で、原子力発電の導入が加速しました。しかし、原子力発電に伴う放射性廃棄物の処理や安全性の確保が課題となり、これに対応するための技術開発と規制の強化が行われました。

参考https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/tokushu/nuclear/nihonnonuclear.html

5. S+3Eのエネルギー政策

S+3Eの概念:
日本のエネルギー政策は、エネルギー安全保障(Security)の確保を中心に、経済効率性(Economic Efficiency)、環境適合性(Environment)、そしてエネルギー供給の安定性(Energy Security)をバランスよく実現する「S+3E」という概念を基軸としています。これにより、日本は多様なエネルギー供給源を確保しつつ、経済成長と環境保護を両立させることを目指しています。

具体的な政策:
S+3Eを実現するため、日本はエネルギー供給の多様化、省エネルギーの推進、再生可能エネルギーの導入、原子力発電の安全性向上など、総合的な政策を展開しています。これにより、エネルギー供給のリスクを分散し、持続可能なエネルギーシステムの構築を図っています。

参考
https://www.enecho.meti.go.jp/about/pamphlet/energy2021/005/

6. オイルショックとサンシャイン計画

1970年代のオイルショック:
1973年と1979年の2度にわたるオイルショックは、日本経済に深刻な影響を与えました。石油価格の急騰により、日本はエネルギー供給の脆弱性を痛感し、石油依存からの脱却を図ることが急務となりました。この危機を受けて、日本政府はエネルギー政策の大幅な見直しを行い、省エネルギー技術の開発やエネルギー源の多様化を進める政策を強化しました。

サンシャイン計画:
オイルショックを契機に、1974年に日本政府は「サンシャイン計画」を打ち出しました。この計画は、石油に代わる新しいエネルギー源の開発を目的とした国家プロジェクトであり、太陽光発電、風力発電、地熱発電、燃料電池などの再生可能エネルギー技術の研究開発が進められました。サンシャイン計画は、日本のエネルギー政策において再生可能エネルギーの普及を促進する重要なステップとなり、その後のエネルギー技術開発の基盤を築きました。

参考https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/tokushu/saiene/saienerekishi.html

まとめ

戦前は石油と石炭がエネルギー力だった日本、しかし戦争中の制裁や輸送インフラの破壊、労働力の不足によりエネルギー不足に陥りました。そのため終戦から数年後、日本はエネルギー自給率の向上とエネルギー供給の安定化を目指すため原子力発電を取り入れます。加えて、1970年代に起こったオイルショックが石油に変わる新しいエネルギー源の普及を政府が先導を切り始める大きな鍵となりました。

次回記事では日本のエネルギー政策に本格的に再生可能エネルギーが取り入れられ始めた21世紀の歴史を振り返ります。

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