人生の履歴書のすすめ:マイベスト「私の履歴書」と体温のある文章
こんにちは、バイオグラファーです。
日経新聞朝刊に「私の履歴書」という名コーナーがあります。
企業の社長や文化人、引退した政治家など、多くの場合社会的に大成している著名人たちが、
その半生を振り返っていく自伝のコーナーです。
調べてみましたら、なんと1956年から続いていて、当時の連載者には、
松下幸之助(パナソニック)や石橋正二郎(ブリヂストン)のような偉大な企業の創業者たちに加えて、
武者小路実篤や佐藤春夫のような歴史上の人物というべき文化人が名を連ねています。
このコーナーの素晴らしいところは、全員が活字の文章で半生を語っていくので、
一般的な履歴書のように事実の羅列にならないということです。
一般的な履歴書は、もちろん就職活動のように人物を客観的に評価する必要があるシーンで使うものですから、
事実の羅列こそが求められるわけです。
しかし、一人の人間の半生の履歴を記録したものとしての「履歴書」であれば話は違います。
「何をしてきたか」という事実だけでは不足で、
「その時どう感じたか」「何を思ってそうしたのか」「そのあとどうなると思っていたか」といった内面のことや、
毎日どんな食事をしていたのか、何時に寝ていたのかといった些末なことも、これは履歴として残しておくべきものでしょう。
人生を規定するのは、社会で認められるものごとだけではなく、自分の精神や目の前の生活でもあるのですから。
日経新聞の「私の履歴書」の読み方は人それぞれだと思いますが、
会社員をやりつつアマチュア伝記作家をしている私は、いつも2度、別々の目線から読んでいます。
会社員としての私は、取引先との雑談のタネや新しいビジネスのヒントを探すようにその文章を読みます。
ですからどのタイミングでは、その日の「私の履歴書」が良かったか、つまらなかったかといった感想は浮かびません。
そしてアマチュア伝記作家としてもう一度読み直すと、急にその文章を書いた本人の姿が思い浮かぶわけです。
(器用な方は一度読んで二度味わえるのでしょうが、私はあまり要領がよい方ではないので二度読むのです。)
そんな読み方をしている中で、過去の記事をすべて読んだわけではないのですが、
過去10年ほど私の履歴書を読み続けてきたバイオグラファー的ベスト「私の履歴書」連載者を発表します。
それは、インテリア小売業大手の「ニトリ」の 似鳥 昭雄会長です。
正直に言いまして、私はIKEA派なのでニトリの成功に至るまでの話そのものには興味がありませんでした。
また、似鳥さんは成功体験だけではなく、過去の苦労、失敗や自分の愚かささえもむしろ誇らしそうに書いていて、
それも普通に読み物として面白いわけですが、私が好きなのはそこではありません。
これを読んでいると、「人からどう言われるか」「自分は社会の中でどんな位置にいるのか」といった小さなことは気にせず、
豪快に笑いながら記者に自分の人生をあけっぴろげに語る似鳥さんの姿が思い浮かぶから、好きなのです。
(実際に似鳥さんがどう執筆したのかはわかりませんが)
文章というのはその文章に書かれている内容自体も伝達してくれるものだと思いますが、
同時にその文章を書いた人についての情報も伝えてくれると思います。
それが、通常の履歴書のように事実だけを並べると書いた人の情報は省かれ、内容だけの情報媒体になる。
内面の描写、そして書いている今思っていることまで書くことで、書いてある以上のことを伝えるものになるのです。
これを私は個人的に「体温のある文章」と呼んでいます。
日経を契約していない方は似鳥さんの「私の履歴書」を読めないでしょうから、このままいくと私が勝手に感想を述べただけになっていまします。
そこで「体温のある文章」の代表例を別に挙げますと、
これはもう有無を言わさず「太宰治」になると思います。
太宰治はそのほとんどの作品において、作者自身のメンタルが露骨に作品に影響を与えていることを、
露悪的ともいうべきほど敢えてさらけだしたという点で特殊な小説家で、
小説を読みながら、その小説の内容とは別に冷え切った太宰の体温が感じられます。
伝記を書くとき、この問題がよく私に降りかかってきます。
ご本人の体温を伝記全体に忍ばせたいのですが、ややもすると私の体温が残ってしまう。
アマチュアの私ですが、文章の体温をコントロールする技法をつくっていきたいと日々思っています。
残念ながらまだまだ完成には至りませんが。
自分を客観的に見るための伝記とは別に、
あなたの体温を残す最も確実な方法は、あなた自身の「私の履歴書」を書いてみることです。
事実だけでなく内面のことも些末なことも、そして書いている今現在のことも加えて、
あなた自身の履歴書を書いてみませんか?