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人は欠けてこそ輝く
あ、そういえば2025年初の投稿ですね、明けましておめでとうございます
正月身につけた怠け癖の延長でゲームや読書をしていたら今回のタイトルを思いつき、色々考えていたらnoteにメモできるくらいの思考量になったので今回はこのテーマで思いついたことをお話しします。
思考の発端は自分にとってはいつも通りで、
な〜んかやりたいことないかな〜〜〜〜
と考えていました。
たびたび過去の記事でも触れている気がしますが、私はあまり物事に興味が湧かない傾向を持っているらしく、いつもなんとなくそのことに悩んでいます。
春から修士課程に入る自分としては、将来に関してできればやりたい仕事ができて居心地の良い会社に就職したいとはうっすら考えています。
しかし経験則からしてどうせ就活の流れで消去法によって志望する会社を選んでいくのだろうと思います。
モチベーションだけを探してもどうしようもないことは分かっているので、最近はとにかく自分の目の前にある事柄にただ取り組んで一歩ずつどこかを目指すといったことをしています。
やる気がどうとかいう前にまず行動しなきゃやる気の厳選すら見えないのは自明なので。
こういった暗中模索が自分のスキルとして身について後々の人生で一つの到達点に収束するのでしょう、きっと。
しかし何かに熱中してずっと行動を起こしている人はどうしても羨ましい。
どうして頑張れるの?
どうして打ち込めるの?
何がそんなエネルギーを与えるの?
疑問が尽きないわけです。
打ち込んでいる人の話を聞くと、やはりそれ以上遡及できない根源的な動機や熱意のようなものを感じることが多いです。
しかしもっと話を聞いたり考えたりしていると、それは動機というよりも依存、熱意というよりも渇望のようなものだと失礼ながら感じられてしまう場合があります。
「〜をしたい!」という前向きな気持ちはもちろん少なくとも表面的(意識的)にはあるのだと思います、それは嘘じゃない。
でもその一方で「〜しないと自分は…」みたいなある種後ろ向き(?)、義務的な感情があって自分の行動を通して自身の大切なものを満たしたい、みたいな雰囲気が感じられてしまったのです。
つまり例えば「自動車を開発したい!」と日々打ち込んでいる人はその実「自動車を開発しないと自分は存在価値のない人間になってしまう」と無意識に自分を追い詰めている感じ。
目的:自動車開発
↑
手段:勉強、仕事、…
だと思って私は羨んでいたはずなのに、実際には
目的:存在価値
↑
手段:自動車開発
なのかもしれないと感じました。
私はどうも人の心について考えると直ぐアイデンティティ・承認欲求の文脈になってしまいます笑
(もしやこれは人間心理の核心なのか、それともただの私の思考のバイアスなのか、ひょっとして私が一番求めているものがこれなのか…)
満たしたいものとは必然的に欠けているものです。
より正確にいえば、満たしたいものとは本人が欠けていると感じているものです。
おそらく人間誰だって欠けているところは色々ある訳で、ここではその中で自身がとりわけ克服して満たしたいと思うものが何なのかということに着目しています。
例え他人から見てある欠点を持つように見える人でも、本人がそれを(無意識的にでも)ある程度のインパクトを持って感じなければ何も変わりません。
なんとかして克服したい欠点があればそりゃ人間頑張れるよな〜ということで、言ってしまえば当たり前の話ですね笑
しかしその欠点は自分で意識できるものとは限りません。
また克服したい欠点に対してストレートにそれを充足する手段に出るのか遠回しな手段に出るのかは明らかでないです。
(こういうのも防衛機制と言うんでしょうか?)
どうも昔から、自分の力で思考しているはずなのに気がつくと既出の概念と同じことを言っているだけのオチになることばっかりです。
所詮自分の知恵なんて偉人の借り物なのだなと痛感します笑
それはさておき、とにかく何かに打ち込むために自身の欠点を用意するのは一つのアプローチとしてありかもしれません。
そしてさっき3段落(?)上で「(無意識的にでも)」と言う控えめな表現をしましたが、例に挙げたアイデンティティの件を考えると多分熱中の動機となる真の目的は意識では知覚されないことが多そうです。
だからこそ自身の欠点の発見は勝手にふと舞い降りてくるようなものではなく自身で意識的に取り組むことが有効な行いであり、そのためにはまずはなんでもやってみて自分の得意不得意を知ったり知見を増やすことが有効なのではないでしょうか?
「欠乏が行動につながる」という考えに関してピンときた作品があるのでそれだけ紹介させてください。
2010年〜2011年に放送されていた「仮面ライダーOOO(オーズ)」と言う作品です。
私は'02生まれなので微妙に世代ではないですが、ライダーは若干好きなので知っていました。
この作品では敵の幹部「グリード」がメダルでできており、ライダーの変身アイテムも同じメダルです。
ざ〜〜〜っくり言うとライダー側は強くなるために敵のメダルが必要で、また敵のグリードも強くなるためにメダルを取り返す必要があります。
そんな感じでメダルをめぐる欲望がテーマの一つなのですが、グリードの設定が面白いんです。
グリードを構成するメダルは元々10枚ありました。
しかしその時はメダルがただあるだけで、それが合体して怪人になったりはしていませんでした。
ではどうやって怪人グリードは生まれたのか?
メダルを1枚引き抜いたんです。
1枚取られたことで完全な状態ではなくなり、そのために完全な状態を目指すべくグリードは生まれました。
このコアメダル群から1枚を抜き取り、9という「欠けた」数字にした結果「足りないが故に満たしたい」という欲望が生まれ、自立意思を持つグリードが誕生した。
私はこの設定が好きですし、今回の話とも合いますよね!
ネタバレは避けますが、この作品では主人公が結構深めの闇を抱えているのが面白いです。
物語的に盛り上がる、というより冷静に考えてみるとゾワっとする生々しい類の闇を抱えていて、2周目の視聴に価値のある作品です。
話がそれましたが結論としては何かに打ち込むには自身の欠点にスポットライトを当て「ようとしてみる」のが良いのではないか、ということです。
割とすっきりとしてかつ使えそうな理屈にまとまった気がするのですがいかがでしょうか?
私は自分の現在の行動が正当化されたような気がしてちょっと安心しました(自分で考えてるんだからそりゃそうか笑)