携わる人々が幸福を得られる事
【鍬海 政雲】
生活に必要な文化のことを生活文化と呼ぶそうです。
しかし生活様式が変われば、それまで必要だった文化は不要となり、これが伝統文化となります。
まさしく古武術は紛れもない元生活文化であり、現在は伝統文化に位置づけられています。
しかし、「人はどこから来て、どこへ行くのか?」という命題から逃れられないように、過去というのは現在地を知る上で大きな役割を果たしますし、これからの行き先を考える上でも、重要な情報になります。
そういう観点から、不要となった生活文化を伝統として保存する意義あることであり、人類が文化的存在であることの証明でもあります。
昔の常識は現代の非常識。
過去においては当たり前だったことでも、たちまち風化して失われ、忘れられてしまいます。
しかし伝統の保存が、「伝統の押し付け」となってしまえば、現代の生活を逼迫する負の遺産と化します。
実際問題、伝統などに対して一種のアレルギーのような拒絶反応を示す方の多くは、意味を見いだせない中で強要されたり、未知であることを無知であるなどと謗られたことに起因するものだと思われます。
窮屈で面倒で、実生活で必要ないものを押し付けられれば、自ずと忌避感は高まり、不要論、廃止論の風潮は強くなります。
体験者や入門者の方の多くが、着物に袖を通したことがなく、帯は結べず、袴の履き方もわかりません。
そして恥ずかしそうに「着たことがないものですいません…」と謝る方もいらっしゃいます。
しかしそれは当たり前のことであって、決して恥ずかしがるようなことではありません。
少なくとも着物業界の多くが、長年着物を人々から遠ざけて来ました。
伝統にあぐらをかいて、人々を無意識でも威嚇してきたのは着物に携わってきた人々自身です。
だから多くの日本人が七五三と成人式と結婚式くらいでしか、着物に袖を通す機会がなく、着付けが出来るのは特別な能力となっていたわけです。
昨今ではそうした風潮もだいぶ鳴りを潜め、着物を多くの特に若い方々に親しんでもらおうと、着物界隈の人々が努めた結果、和装を町中で見かけることが多くなりました。
古武術も着物と同様です。
伝統という誇り、気位ばかりが高くなって、一般の方々を遠ざける壁として屹立するばかりでした。
これではニッチでマイナーなジャンルを、さらに孤立化させることになります。
天心流では伝統をそのまま継承し保存する事はもちろん第一義ですが、そもそも論として「現代において天心流に関わる人々が、それによって幸せになる」ということを前提として活動しています。
「伝統を墨守するために関わる人々がどんどん不幸になる」
これは古武術に限らず、伝統芸能や伝統工芸、文化財保存…あらゆる伝統文化などに常態化している現象です。
そして古い伝統でなくとも、例えば武道や部活動、職人、場合によっては店舗などでも、支える人々の多大な苦痛と我慢、犠牲と不幸によって、かろうじて生き長らえている…というのは枚挙にいとまがありません。
そしてそのギリギリの天秤が傾き、脆くも失われていくものもまた多くあります。
特に現在のような特殊な状況(コロナ禍)では、天秤は一気に傾いてしまいます。
そもそも自転車操業でどうにかなっているというのは、幸運にも現状維持が叶っているだけであって、実際のところはちょっとした躓きで途絶してしまう危険な状況でしかありません。
以前は天心流も、先代はもちろん天心先生もこのサクリファイス(犠牲)を前提とした保存が基本軸でした。
そして私(鍬海政雲)が入門した時点では、門人もそれを受け入れていました。
しかし犠牲を強いる伝承には限界があります。
そもそも好きではあるものの、人生の多くを生贄にしなければならないという、一種の呪いのようなものを背負っている集団が、多くの人々を引きつけてより良い流儀の組織となれるはずもありません。
ですから私は入門して爾来、いえ正確には流儀の話を井手先生から伺っていた入門以前から、ずっといわば流儀の経営について考えてきました。
非営利の伝統文化にとって「経営」というと、非常に良くないイメージを持つ方が多いようですが、そもそも経営の語源は中国最古の詩篇と言われる詩経に由来します。
経始霊台、経之営之。
庶民攻之、不日成之。
経始勿亟、庶民子来。
紀元前11世紀頃の中国周国の王であった文王が、祭壇を作るため、区画を作って(経)、縄を張り巡らせて形状を示しました(営)。
すると民は建設をはじめて、まもなくしてそれを完成させました。
経が成されて強いられもせずに、民は集ったのです。
物事は人々がそれを成すための基盤を作ることが大切であり、それが正しく行われる状況を作り出すことができれば、関わる人々は積極的にそれを手助けしてよりよく物事は進む。
その基盤というのが経営であり、これが正しく行われていなければ、人々は集わず、正しく物事は行われず、順調には物事は運ばず、成すべきことも成されません。
関わる人々が幸福に慣れなければなりません。
それはもちろん天心先生自身についても言えます。
門人が少ない(私が入門時にまともに稽古に通っていたのは片手に足りない程度の人数でした)、どうせ誰も興味を持たない、教えても出来ない、覚えない、教えるだけ時間無駄…。
三年ほど前でしたでしょうか、流儀もそれなりに知名度を得て、「天心先生が振り返ってみれば、人生は一つもいいことが無かった。でも今になってようやく世間に認められて報われた」と涙ぐみながら話されました。
私の信念を年月をかけて少しずつ天心先生や周囲に根付かせて来た一つの成果だと思います。
流儀全体として抱えていた「継承と伝承には犠牲を要する」という概念をしっかりと転換するのには、さらに時間がかかり、都合十年以上を要しました。
古武術を保存して幸福になっても良いし、稽古を楽しんで良いのです。
好きなことをすることに後ろめたさを抱え、なんらかの贖罪を伴う必要がある。
これは日本人が抱えている信念のような思想です。
ですからそれを人に強いますし、自らそのように行動します。
それでもなお、忍耐を続けて、社会的にもそれで成立出来ていた時代は過ぎました。
この自由主義の時代に、清貧と忍耐の美学は通じませんし、伝統文化における清貧が果たして本当に清いのかというと、むしろ貧によって精神的に蝕まれるという弊害の面が大きいというのが実情です。
豊かな人々は、なにか人間的に悪質であり、不良であるからこそ成功したのである。
そうでなければ報われない自分たちはさらに報われない。
だから彼らは悪でなければならない。
このような歪な意識が、前述のように高い壁に囲まれて、もはやその存在すら忘れられかけていた古武術という存在を生み出してきたと言えます。
関わる人々が幸福になり、笑顔と活力を得られる存在となることは、伝統の保存を考えた上で、最低条件といえるものです。
ですから高い壁はすべて取り払い、知らないことを恥とせず、知ることを喜びとして、人生を豊かにするための大きな日本のみならず人類の知的財産として経営を行っています。
そんなものは武術ではないという意見も存在します。
しかし形骸化しない良質な形で武術を残すという選択の結果です。
これが現代の兵法であり、生き残るために必要な手を打つのが根本です。
もちろんあえて滅びを迎える、座して死を待つというのも選択の一つですが、天心流では流祖から代々の伝承者、修業者に対してそれでは顔向け出来ないと考えます。
坐而待伐、孰与伐人之利。
坐(ざ)して伐(う)たるるを待つは、人を伐つの利なるに孰(いず)れぞ。
有名な諸葛孔明の「後出師表」にある語で、一般に「座して死を待つよりは、出て活路を見出さん」という語の語源とされます。
私はこの高度情報社会において、伝統文化を継承し、保存するというのはいわば社会との戦だと考えてします。
そして天心流兵法の中の教えは、そうした中でも十分に行うべき戦略と戦術を教えてくれています。
せっかくの伝えられた優れた種々の教えも、実戦で役立てることが出来なければ、それはただの絵空事に過ぎません。
何より、流儀が平和のための未知として存するというのは、遠祖宗矩公の宿願であり、携わる人々の幸福を前提とするのは、本来であらば流儀の本旨と何ら変わることのない理念そのものでもあるのです。
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