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ボタンを掛け違えた戦後と日本国憲法

2013年に週刊金曜日に書いたもののフルテキスト。
こういうのも、残しとくといいかな、と。

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 今年も5月3日、憲法記念日がやってきた。「週刊金曜日」も特集を組み、日本国憲法第9条の危機を訴えている。だが、現在、危機にあるのは第9条ではなく、第10条以降なのではないだろうか。また、第10条以降を守るにあたっては、戦後、憲法学者を含む、ほぼすべての人がボタンを掛け違えてきた歴史があるとも思う。正直に言えば、「週刊金曜日」のように、今なお第9条をテーマにすることは、掛け違えを助長する以外の何物でもないと思う。また、この問題がやっかいなことは、「戦争放棄」のわかりやすさに対し、「基本的人権」がどのようなものなのか、あまり明確にはされてこなかった、議論されてこなかったというところにある。
 掛け違えの一つは、日本国憲法の原文(英文)を日本語に訳すときに、「people」を「国民」と訳したことではないだろうか。このことによって、憲法が権利を保証する対象は国民に限られたし、日本国籍を持たない人の権利はそこから外れていった。また、国民という言葉を使うことで、日本国籍を持つ人を囲い込み、排他的なナショナリズムの基盤をつくったといえる。むしろ、人権思想は国境や国籍にとらわれないものであり、だからこそ困難な状況にある他国民に対しても国内問題ということにこだわらず干渉するのではないか。
 二つ目の掛け違いは、時代区分だ。もし、100年後の人々が19世紀から21世紀にかけての日本の歴史の時代区分をしたときに、「明治時代」「大正時代」「昭和時代」「平成時代」という言葉を用いるだろうか。江戸時代以前であれば、時代区分は統治のしくみなどによって分けられている。そうであれば、主権が天皇にあった時代と、人々にあった時代では時代区分が異なるはずだ。1945年を境として、2つの時代に分けられるべきであり、天皇の名前を冠した時代区分にはあまり意味がない。しかし、こうした点について、あまり顧みられることはなく、私たちはあまりに自明のこととして受け入れすぎたのではないか。また、このことは、近現代史を扱う学者の怠慢でもある。さらに、日本国憲法に残された天皇制を追認してしまうことにもなる。
 三つ目の掛け違いは、前述のように基本的人権がどういったものなのか、深めることがなかったということだ。いまだに「健康で文化的な生活」が何を示すのか、共通の理解がないし、その結果が「生活保護バッシング」につながっている。あるいは死刑制度を多くの人が容認しているということも、同じだ。男女別性が認められず、家父長制から逃れることもできない。
 第9条を守るための運動は、冷戦下においては、必要な運動だった。一方でこの条文がなし崩し的に解釈され、自衛隊増強につながっていったことを考えれば、正当性はある。だが、2000年代、とりわけ小泉政権下でなし崩しにされてきたのは、まさに第10条以降、とりわけ第13条、第19条、第24条、第25条、第26条などではないだろうか。
 第9条をことさら守ろうという運動は、現在においては違和感すら感じている。第10条以下がなし崩しにされ、貧困が拡大すれば、貧困から脱出するために兵役という手段しか残されていないような状況すらできかねない。その結果として、第9条は容易に改正されるのではないだろうか。「希望は、戦争」というかつての赤木智弘氏の論考は現実となる。
 ボタンを掛け直すためには、ポジティブな憲法解釈を積極的に行っていく必要があるだろう。冥王星が準惑星になり、差別用語を含む魚の和名がカエルアンコウに変更されたように、どれほど浸透していようとも、時代区分の名称を変えるくらいのことはしてもいい。また、基本的人権とは何か、時間をかけてでも、人々に強く語っていくことが必要ではないだろうか。

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