丘の上学園卓球部100話 At Random (01) 【丘の上の学校のものがたり 雑記】
丘の上学園卓球部の合宿は、春休みと夏休みに1週間行われた。
1960年代後半の話。
起床後は長距離ランニング、昼間は、昼食を挟んで卓球三昧、夕食後に翌日の練習に向けてのミーティングが全員参加で行われた。卓球は練習相手が必要なので、夜のミーティングで、主にそのマッチング調整が行われた。
初めはそれなりの緊張感が漂っていた合宿生活も、半ば過ぎると、疲れと慣れがでてきて、ややどよーんとした空気が漂ってくる。特に夏は、暑さによる疲労が頂点を迎える。
少年が丘の上学園卓球部に入部して2年目の夏合宿。1週間の半ば過ぎたあたりでの、夕食後の大広間でのミーティングで、翌日の練習計画の確認が終わった後に、その当時のキャプテンが、30人ほどいた部員を見回し、背筋を伸ばし、声を少し高めに全員に行き渡るように発言した。
「合宿も半ば過ぎている。疲れと慣れが出てきて、どうしても練習が流れがちになってしまっている。ここで、もう一度、考えて欲しい。自分は何のために合宿に来ているのか!なぜ、卓球をやっているのか!」
卓球部のなかでも背が高く、痩身に甘いマスクで、温厚な性格で、今まで、大声をあげたり、怒った姿を見たことがなかっただけに、部員に向けられた厳しい顔での鋭い声に部員たちに緊張が走った。
それ以来、卓球って何だろう、なぜ自分は卓球をやっているんだろうという問いが少年の心の隅に棲み着いてしまった。
合宿で、優しいキャプテンの厳しい檄を聞いてから、半世紀も経ってしまったが、まだ、この問いはかつての少年のなかでは生き続けている。
当たり前のことだが、卓球は、卓球をする人間がいて卓球がある。だからこそ、卓球について考えるのは、卓球をする人たちについて思い出すことであり、考えることでもあった。少年にとっては、卓球をする人たちというイメージのコアが丘の上学園卓球部であり、卓球場で出会ったひとたちであった。
卓球は、サッカーやバスケットのような団体競技ではなく、柔道や体操のような個人競技ではあるが、ひとりで練習できるスポーツではなかった。これが、空手などの武道ならば、ひとり稽古ということが可能だが、卓球にひとり稽古はない。鏡を見ながらフォームのチェックを行うことはあっても、本格的なひとり稽古はない。相手があってこそのスポーツ競技だ。
卓球についてちょっと気取って抽象的で哲学的な思考をしていても、他者が必要であるという、この基本的なシステムが卓球のリアルな接地点であることは絶対だ。
この接地点は、ひとによって違うかもしれないが、少年にとっては、第一に卓球場で出会ったひとたちとの人間関係だった。
とは言っても、この卓球部についてのランダムなエピソード集は、だいぶ気取ったところから始めてみようと思う。
000
卓球は、会話に似ている。ことばの代わりに、白球が行き来する。
送られてきた言葉を返せない時、送った言葉がコミュニケーションのコードから外れる時、会話は止まり、卓球ではミスが発生する。
相手をリスペクトしているからこそ、送り返すために工夫せざるを得ないし、敬意を表して癖のある白球を相手に送る。ふつうにやり取りするだけの会話に飽きてしまったのだ。
001
卓球はインナースポーツであって、アウトドアスポーツではない。自然の風に吹かれて、太陽の光を燦燦と浴びて、大地の感触を楽しむスポーツではない。
人工的で閉じられた空間のなかで、人工光にあてられ、できれば空調が静かに効いている環境で行う、人間だけに許されたスポーツだ。
卓球に自然があるならば、白球が描く放物線の運動だ。山なりに緩いときもあり、高原を駆け抜ける閃光のようなときもある。
002
丘の上学園卓球部は、地下にあった。地上光が遮断された地下室では、ホコリを被った電灯が室内を淡い飴色に染めているなか、拳よりも遥かに小さい白球が、白い輝きを放ち飛びかっていた。
そこでは、ひとは背後の壁から浮き出た、ただの影となり、生き生きと飛びかう白球たちだけが自分たちの運動を誇っているようだった。
卓球に神様がおりているならば、小さく躍動的な白球に宿っているだろう。白球に神が宿るとき、ひとは、白球にシンクロし、ひとに課せられた重力から解放されている。
003
丘の上学園卓球部の卓球場兼部室のある地下室には、どこに繋がっているかわからない廊下が奥に延びていた。
じっと先を見つめても暗闇しか見えず、その暗闇は、ひとが入ってゆくのを嫌っているわけでもなさそうだったが、誘っても来なかった。
あの卓球部の地下室は、もっと奥から延びてきていた根茎の地上へ通じる先端だったのだろうか。
004
やがて、地下に卓球場を密かに抱えていた古い講堂が取り壊され、卓球場は、地上へと移った。
卓球場が地下から地上に移動したのは、丘の上学園に訪れる大きな変化の兆しだったが、卓球部にもいつのまにか何か決定的な変化が起きていたのかもしれない。
005
卓球部は、丘の上学園の数ある運動部のなかでも、最も民主的だと言われている、と、ある年の忘年会でOBが話しだした。
卓球部の忘年会は、すべての練習が終了した年の瀬に、地下の卓球場でおこなわれた。部員たちは、昼間から手分けして材料の買い出し、すき焼き鍋の準備をし、卓球場を整理して宴席を作り、顧問の先生、OBも数人参加して皆で食べる賑やかな催しだった。
そのOBは続けた。
もっとも民主的と言われているのに、先輩を「さん」づけで呼ぶのは、古い上下関係にこだわっていておかしくないか!
現役部員は、OBの発言内容を理解はしたが、実行には疑問を抱いた。
ところが、正論の理論派でなるTさんが大きくうなづき、隣りにいた少年に話しかけた。
「おい、どうだ、お前もそう思うだろう。」
「はい」少年は素直に返事した。
Tさんは続けた。
「そうだよな。よし!アマギにアマギくん!と呼びかけてみろ!」
「それは、ちょっと・・・」
Tさんとアマギさんは、少年の1学年上の先輩だった。
アマギさんは、性格のきつい人で、先輩や同級生たちから、一目置かれる存在だった。まして、1級下の少年たちにとっては、最も恐るべき先輩であり、小柄ながら良く通る大きな声で怒鳴られ、炎の心で作られた目でにらまれると縮みあがっていた。
少年は、早いうちから白旗を掲げ、バシリのようなことまでやっていた。ただ、傍にいることが多いとアマギさんの人柄に触れることも多くなり、だんだんとキツイ表面とはまた違うデリケートな面が見えるようになり、前ほどはコワくはなくなっていた。
ただ、忘年会の全部員、OB、先生のいるところで、堂々と呼びつけにするのは、いくら何でも勘弁してほしかった。
Tさんのとなりにいた、Tさんと同学年の先輩たちまでもそうだそうだと言い出し、事の展開を面白そうに笑っている先輩も何人かいた。
少年はだんだんと追い詰められ・・・ついに、言った。
「あの・・・アマギ・・・アマギくん!」
アマギさんは、あの燃えるような目で少年をじっと見つめた。
少年は、息を呑んで止まってしまい、体が固まった。ちらっととなりのTさんを見たら、真面目な顔をして他所を見ていた。
いくばくかの静かな時間が過ぎた。アマギさんは、充分にらんでやったとでもいうように、視線を納めて、何ごともなかったかのように他の話題に移っていった。
少年は、昂揚した会食のなかで、一瞬沸騰させられた自分の感情が閑に収められたことで少しばかりの慚愧を味わっていた。この未知の経験は、決して、不愉快ではなかった。
006
缶蹴りゲーム。
缶をひとつ地面に置き、缶の守護者がひとり選ばれる。守護者が目を瞑って1~10数える間に、守護者以外の参加者は周囲の建物や樹木の陰などに隠れる。
目を開いた守護者は、隠れた人間を探しにゆく。隠れていた人間を見つけ、見つかった人間よりも早くその名前を言いながら缶を踏んだら、見つかった人間は、守護者の捕虜になる。隠れている人間は、守護者が缶を離れた隙を狙って、缶を蹴りに飛び出す。缶が蹴られると捕虜は開放され、再び隠れる。守護者が全員見つけ、捕虜にしたら、守護者の勝ちでゲームオーバーになる。
小学生がやっているこの単純なゲームが、何故か卓球部の一部で流行り、夏休みの午前の練習後に、地下の卓球場から地上に出たところにあった、猫のひたいほどの広さの空間で毎日のように行われたことがあった。
そこは、本校舎の端と図書館のある新校舎、それに地下の一部に卓球場を抱える大講堂の狭間にあった、せいぜい4~5メートル四方のコンクリートの空間だった。蹴られた缶は、コンクリートの上をカラカラと乾いた音を妙に明るく響かせて転がっていった。
隠れられる箇所が豊富にあるところではなく、といって安全な隠れ場所を求めて、あまり遠くへ行くと缶を蹴りに行く途中で見つかり名前をあげられ缶を踏まれてしまうことになるので、缶の守護者の盲点になるような近くの物陰に素早く隠れるのがコツだった。
傍から見ると、狭いところの盲点の壁に張り付いて、缶を蹴る気配をうかがっている姿は、とても人間とは思えぬ手足を折り曲げた奇妙な格好で笑えるのだった。隠れている本人もまたおかしく思っている。
ゲームとしての面白さは、缶の守護者の虚をついて、いかに思いっきり強く遠くに缶を蹴とばしてしまうことで、そのときに響くカラカラという音色は実に爽快に聞こえるのだった。また、守護者にしてみれば、してやられたと慌てて缶を追いかけることとなり、無様きわまりない。お互いの隙をつくスリルとサスペンス、そしてユーモアな動きがこのゲームの魅力となる。
相手の次の動きを読んで、隙をつかまえ、そこに一気に攻撃を仕掛けるところは、卓球に似ていたかもしれない。
さすがに高校生の先輩たちはあきれて参加せず、中学2年生が中心だった。
缶の守護者が隠れている全員を見つけ、ゲームオーバーになるのは、詰まらなかった。ある程度の捕虜が溜まったところで守護者の目を盗んで缶を蹴り上げて、いっせいに全員が隠れるのが面白かった。だから、だれがこのゲームで活躍したかというよりも、缶がいかに蹴られ、転がっていったことが面白かった。
缶蹴りのだいご味は、缶が蹴られ転げまわり、動いているところにあった。
面白い卓球の試合の主役は、卓球台の上を生き生きと飛び回る卓球ボールだと感じたことがあった。
そこは、缶蹴りも卓球も同じだった。