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インドに呼ばれて 4
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ラジャスターンの旅を終わりにして、ウダイプルから急行の夜行列車で12時間すっとばしてデリーに帰ってきた。
この2週間のラジャスターンの旅を終えて、真っ向から全力でぶつかってくるインドという国のパワーに何度も心底嫌になったりしたけど振り返ると、それは目まぐるしくも面白おかしくもあった。
2週間振りのデリーでまず向かったのはパハールガンジのメインバザール。
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ニューデリーの鉄道駅を出て目の前から始まるストリート、メインバザールはなんでもある、ごった煮のような通りだ。
食べ物も服も土産物もなんでも手に入る。
そんなに広くないストリートにリクシャーや車、牛に物売りのおっさん、色々なものがごちゃごちゃと往来していて、まさにセンターオブインドな感じ。
周りにはたくさんの安宿あって、何件か部屋を見て回ってメインバザールの真ん中あたりのパヤルという宿に部屋を取った。
ここはのちに、メインバザールでの定宿になった。1泊500ルピー(800円くらい)で、特別安いことはないけど連泊で少し安くしてくれたし、珍しくちゃんと使えるWiFiがあって、
わりと清潔だし、窓があって明るくいい感じがする宿だった。
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この街でおれは何日か、なんのプランもなく毎日だらだらと、いわゆる "沈没生活" を送った。
旅はまだ1ヵ月近くあるけど、バラナシでガンジス川を観ることと、ブッダガヤの寺にいくことくらいしかプランはなかった。
それにここまでコンスタントに長時間の列車移動を繰り返して、すこし移動するのが億劫になっていた。
ニューデリーの街では日本食を食べて、道端でチャイを飲み、街をほつき歩く毎日だった。
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ほとんどのメニューを制覇した。
毎朝、隣の部屋から聞こえてくるシタールの音色で目を覚ます。
それからしばらくごろごろしてから、近くの日本食レストランに行く。
レストランといっても古いゲストハウスの前のわずかなスペースにプラスチックのテーブルがあって、奥にキッチンがあるだけの屋外レストラン。
毎日同じシャツを着たお兄さんにオーダーをすると、彼はいつもだらっとしたトーンで「イエッサー」と料理を始める。
わりとインドの料理人みんなに共通することだけど、だらっとしているけどとても手際がいい。
ドリンクの担当は彼の弟っぽい少年。
彼に「スプライト」と頼むと、黙って近くの店まで買いに走る。
インドでは注文を受けてから材料とかを買いに行くシステムの店も多い。
それから近所を散歩するとだいたいすぐに鬱陶しいやつが話しかけてくる。
「友達のがとても安い絨毯屋をやってるから、とにかく見に来い。」とか「デリーからどこに行くんだ?チケットはおれのツアー会社で買え。今日買わないと明日から1週間祝日だからどこもクローズして買えないぞ。」(もちろん嘘)とか50メートル歩けば一人は必ずこんな奴が付きまとってくる。
そんな奴らを上手くはぐらかしながら、奢ってくれるチャイだけをいただく。
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いつものカフェでマサラチャイを飲んでデリーの中心、コンノートプレイスあたりを散歩する。
飽きたら部屋に帰ってYouTubeを観る。
夜、近くでカレーでも食べて、屋台でお菓子とかフルーツを買って帰る。
こんな調子の毎日がデリーでのルーティンになった。
町はちょうど、マハーシヴァラートリーというお祭りの時期で、夜中まで外から音楽が爆音で鳴っていた。
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脱沈没
デリーでなにもしない毎日しばらくすると、"楽"は"退屈"に変わってきた。
旅はまだ3週間以上ある。
地球の歩き方をペラペラとめくり、なんとなく今度はデリーより北に行ってみようと思った。
デリーからもうしばらく北に行くとガンガーの上流の方にぶつかる。
なにやらそんなガンガー沿いにも、ヒンドゥー教の聖地やらヨガの聖地があることを知った。
そのヨガの聖地、リシケシュはガンガーに沿ってたくさんのアシュラムという僧院がある町。
なんとおれの大好きなビートルズがヨガの修行に来たのがリシケシュだと知った。
今まで旅してきたラジャスターンとは明らかに違う雰囲気を感じる。
なんだか独特のフィーリングに惹かれて、おれはリシケシュを目指すことにした。
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ヒンドゥー教の聖地 ハリドワール
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リシケシュに行くのにまずハリドワールという町まで行く。
明け方、ロビーで雑魚寝しているお兄ちゃんを起こしてチェックアウトする。
外はまだ暗い。ニューデリーの駅からハリドワールまで朝食付きの優雅な列車で向かった。
朝食はやっぱりカレー。
もちろんおしぼりみたいな便利なものはない車内にはあまり向かない弁当だ。
食後にはプラスチックのカップとお湯、ティーバッグが配られてチャイを飲むことができた。
今までより遥かに快適な列車だ。
定刻通り4時間。あっという間にハリドワールについた。ここまでの旅でおれの時間知覚はだいぶインディアナイズされているので4時間は物足りないくらいにあっという間だった。
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駅の近くを少し歩いていくつか宿を周り、適当な宿に部屋を取った。
たしか最初の言い値が450だか500ルピーだったところから簡単に1泊350ルピーまで下がったのち、最終的に2泊で600ルピー(1000円くらい)にまで下がったから決めた。
薄暗くなんとなく落ち着かない部屋だった。
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ハリドワールには
ヒンドゥー教の聖地、ハリ・キ・パイリーというガートがあった。
ガンガー沿いにある大きなガートだ。
上流のガンガーはおれの知っているガンガーよりも遥かに綺麗だった。
デリーよりもだいぶひんやりとしたこの町でたくさんのひとが沐浴している。
夕方のガートではお経みたいなものがスピーカーから流れていて、お供物を売る人がたくさんいる。河の向こうには大きなシヴァ神のモニュメントが建っていて、どこを見渡してもヒンドゥー教の聖地という雰囲気だけど、若者や子供は水遊びのような感じだし、日本の寺や神社に比べるとどこか緊張感がないのがこの国らしい。
河に架かる橋からぼーっと河を眺めていると綺麗なサリーを着た若い女性に話かけられ、眉間に赤い絵の具みたいなものを塗られた。
インド人がよくやっているあれだ。
ヒンドゥー教の寺院なんかに行くとよくやられる。
「ありがとう」と言っても女性は立ち去ろうとはせずに黙っておれを見つめていた。
なんだかんだでインド旅も長くなってきたおれは勘付いて、
ポケットからお札を1枚差し出すと、女性はそれを丁寧に受け取って、
「あなたとあなたの家族がずっと幸せでありますように」と言って去っていった。
その時の言葉がまるで日本語だったかのようにすっと入ってきたのが不思議だった。
英語だとしても理解できるのはなんとなくのニュアンスだけだし、わかったとしても解釈するまでに時間がかかるおれの英語力。
だけど彼女のその言葉は絶対にそう言っていたし一瞬で理解できた。
信仰には言葉を越えて心に訴るものがあるということを肌で感じた出来事だった。
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リシケシュへ
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ハリドワールから乗り合いバスでリシケシュに向かう。
いくら歩いてもバスターミナルが見つからず、リクシャーのおっさんに乗っけてもらうも全然意味のわからない場所で下されて、仕方なく歩きながら何人かに道を聞きながらなんとかたどり着いた。
リシケシュ行きのオンボロバスはおれが乗り込むとすぐに走り出した。
もちろんエアコンなんかはなくて、
全ての窓を開け放った車内にはすごい砂埃が入る。
舗装されていないガタガタ道をしばらく走るとバスはリシケシュのバスターミナルについた。
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ハリドワールからバスで1時間くらい走っただけなのに、空気はさらに澄んでいて、明らかに気温も下がった。
ガンガー沿いに建物が並んでいて、アシュラム(僧院)やレストランがぽつぽつとあった。
山なんかも近くに見えて、インドのイメージとは真逆のような洒落た町だ。
ガンガービューのカフェなんかがあったり、
ハリドワールでは見かけることのなかったイタリアンが食べられる店も多かった。
バックパックに丸めたヨガマットを差した欧米人がとにかくたくさん歩いている。
インド人ももちろんいるけど、話かけてくるうざい奴がいないし、存在感が薄い。
ヨーロッパに来たみたいな感じだ。
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カフェに行ってもだいたいビートルズが流れている。
ヨガをやったりのんびりと長期滞在するのにぴったりの町なんだろう。
でも東京の街っ子なおれは3日もゆっくりすると街が恋しくなった。
ただ、河沿いの路地を歩き小さな寺院からお祈りする人たちの声を聞いたり、ガンガーを見下ろしながらぼんやりとチャイを飲んだりする生活には、明らかにニューデリーにはない余裕があった。
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ホームタウン デリーへ
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リシケシュからデリーへ、来た道を辿って帰る。
3度目のデリーに着いたのは夜中だった。
定宿パヤルに戻ると、部屋は満室で明日からなら空きがあるというのでひとまず押さえてもらって他の宿を探した。
もう夜中でレセプションが閉まっている宿が多くなんとかたどり着いたのが、いつも日本食を食べに行くレストランの目の前のナブランゲストハウスだった。
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1階のシングルルームは1泊250ルピー(400円くらい)。今までの旅で一番安いこのゲストハウス。
もちろんシャワー、トイレは共同。
部屋には木の箱の上に薄い布団だけ敷いた硬いベッドだけ。
天井は高く、壁中にマジックで気味の悪い絵が書かれていて、小さな窓には鉄格子がはめられている。牢屋のような部屋だ。
もう夜中。後は眠るだけ。パヤルの半額ならなにも文句はない。
翌朝から、パヤルに戻ったおれはまたニューデリーでの日常、沈没生活に戻った。
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デリーからラジャスターン、デリーからハリドワール、リシケシュと、デリーは旅の拠点になった。
またひとつ旅を終えてデリーに帰ってきた。
気がつけば日本を出て1ヵ月が経っていた。
毎日があまりにも濃厚だからか、初めてデリーに来た頃を思い出すと1ヵ月どころか、もうずいぶん前の事のように感じる。
この1ヵ月でとんでもなくキャパが広がったことに自分でも驚いている。
早く帰りたいとか思いながら旅をしていた頃に感じていたストレスはどんどん薄く、消え去っていっている。
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体がインドの水準に慣れたということなのか、レストランの洗ったのか疑わしいような皿も、宿の部屋に漂うボットン便所の匂いも、
嘘をつく商人も、水シャワーも日常の一コマみたいになってきた。
それを楽しめるくらいには旅に、インドに慣れてきて快適になっている。適応力って素晴らしい。
少しずつ向こうの方に旅の終わりが見えてきている。
いよいよ最後まで取っておいた最後の旅に出るにふさわしいタイミングかもしれない。
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インドに呼ばれて 5 仏教の大聖地ブッダガヤ につづく↓
インドに呼ばれて 3 ついに始まった本当の一人旅 ↓
デリーより北の町↓