バラナシでホーリー
2016年の3月、おれはインドのバラナシという町に来ていた。バラナシは昔から日本人の旅人の聖地。聖なる川、ガンガーが流れる小さな町だ。
デリーから西のラジャスターンを大きく一周して、北へ。ハリドワール、リシケシを周ってからずーっと東へ、仏教の聖地ブッダガヤまで行ってバラナシにたどり着いた。
デリーから旅を始めて1ヶ月以上経っていた。
夜中に到着して飛び込んだ宿は、ダシャーシュワメードガート(一番大きなガート)からベンガリートラといういつも牛のせいで渋滞しているような細い路地を入っていったところにあったゲストハウス。
ここは家族経営で、お父さん、お母さんと、10歳くらいの息子と、犬がいた。
安いし、風呂トイレは共同の部屋だったけど、居心地も良く、宿を出てすぐの所に小さなガートがあってなんとなく気に入って、1週間ずっとお世話になった。
バラナシには1週間くらい居た。
特になにをする訳でもない。
朝起きて、なにか食べる。
ガート(川沿いにある川の入り口。階段になっている)に座って、悠々と流れるガンガーを見ながらチャイを飲んだり、客引のおっさんとだべる。
いつものラッシー屋でラッシーを飲みながら本を読んだり、店のおっさんとしゃべる。
ひたすらに路地を歩いてみる。 陽が落ちる頃ガートに行ってプージャ(毎日行われる祈りの儀式)を見る。
宿に帰ってゲストハウスの子供と遊ぶ。
みたいな日常だ。
異国の地で"なにもしない"という最高の贅沢を味わっていた。
毎日同じ景色で、知っている顔ができて、みたいなこともそうだけど、
うっかり野良牛の糞を踏んだり、火葬場までの路地を死体が通ること、毎晩みんなでガンガーに向かって祈ること、みたいなバラナシ式の日常に自分がメキメキと慣れていっていることが気持ちよかった。
このバラナシでの生活は、それからのおれの旅のベースになっていると感じるし、醍醐味的要素でもある。
バラナシにいる外国人はそんなことをしに来ている人が多く、
何ヶ月という単位で 沈没 している人も多い。
これが "正しいバラナシでの過ごし方" なのかも。
もちろんインド人はバラナシに限らずこんなノリで暮らしているみたい。
ガート。バラナシのガンガー沿いには1kmほどに80以上のガートがある。
バラナシに来た理由。
ガンガーを観るというのももちろんあったけど、ヒンドゥー最大の祭り、ホーリーが近く、迫ってきたからだ。
ホーリーは春の訪れを祝う祭りで、当日は階級も身分もなく、誰彼構わず色粉や色水を掛け合う祭り。
インド各地で盛り上がるみたいだが、バラナシはかなり大きなヒンドゥーの聖地。
「バラナシのホーリーはアツい」と色んな人から聞いていた。
インドでホーリーに参加するということは、インドの旅の最大の目的の一つでもあった。
2016年のホーリーは3月22.23日だったと思う。
ホーリーが近づくにつれて町の様子が変わっていく。
ホーリーの何日か前になると色粉の屋台が町のいたる所に出始める。
赤、青、黄色とカラフルな色の粉がどっさりと積まれて売られている。
人々もどこかそわそわしている感じがする。
ホーリーの当日。
外に出ようとしたおれにゲストハウスのお父さんが声をかけてきた。
「今日はホーリー。バラナシのホーリーはとにかく激しくて危ないから宿から出ない方がいい。」 と言う。
「冗談じゃない。ホーリーに参加するために日本から来たんだし、絶対にみたい。」とおれが強く言うと、お父さんは優しい顔をして、
「どうしても行きたいんなら、財布もパスポートも全部置いて行きなさい。ホーリーでは暴徒化する奴らもいるし、警察も機能しないから、少し見たらすぐに帰ってきなさい。」と言ってくれた。
財布もパスポートも全部部屋に置いて、空のバッグにカメラだけ忍ばせて外に出た。
路地を歩いていると、上からなにかが降ってきておれの肩に当たった。
シャツはびしょびしょだ。水風船みたいだった。
上を見上げると、近くの建物の窓から少年がドヤ顔をキメている。
それからも次々に子供たちが通りすがりに水をかけてくる。
これがホーリーね という感じ。
中心地に出ると、町はハロウィンの渋谷センター街化していた。
安っぽいスピーカーから割れんばかりにインディアンポップスが爆音で流れ、全身に色を纏った若者たちが踊ってる。
気がついたらおれも、インドの若者たちに囲まれてていて、服から顔、シャツの下まで色粉を塗りたくられた。
そして、みんな 「ハッピーホーリー!!」と言って去っていく。これが合言葉だ。
激しさのせいか男ばっかりで女性はほとんどいない。
若者が多いけど、おっさんもいるし、みんな紫色になっていく。牛も犬も、サドゥー(修行者)も。
店は全部閉まっているし、リクシャーもいない。ホーリーの日に外で働いている人はいない。
バラナシの古い町の中を紫色の若者たちが騒いでいる様子は、ゾンビ映画のような殺伐とした雰囲気がある。
普段飲まない人も酒を飲んで、ベロベロになってる人もいるし、たしかに少し危険かもしれないけど、そこは自分で危機管理。
あとは、「ハッピーホーリー」の一言で殺伐とした雰囲気も全てピースに変わってしまう。
そんなカオスの混じった祭りも、1ヶ月以上付き合ってきたインドそのものみたいだったし、
とても理にかなっている感じがして、意外性というものはほとんど感じなかった。
宿に帰ったら、宿のお父さんはおれの顔をみて全てを悟ったように微笑んで、「シャワーを浴びなさい」と言った。
色粉は思ったよりも強力で、いくら洗ってもほとんど落ちなかった。
お父さんにそのことを伝えると、
「2週間もすればだいたい落ちる。ノープロブレム。」とのこと。ノープロブレムはインドの人の口癖だ。
夕方、レストランくらいは開くと聞いてたので外に出るともういつもの町の風景になっていた。
でも町も人もカラフルだ。
レストランに行くと店員も客もみんな顔が真紫だ。もちろんおれも。
お互いの顔や格好を見あってニヤニヤする。
ホーリーも含めてバラナシでは、インドの "インドらしさ"を存分に感じた。
バラナシには生と死がすぐ近くにあって、暮らしがあり、神がいた。
東京からろくに出ずに生活しているおれが感じたのは、"生きている"ということ。
バラナシで暮らす人たちはみんなとにかく生きていた。
綺麗なものも汚いものも引っ括めて、とても貪欲に生きていた。
そして心に大きな神がいる。
特に宗教を持たないおれには想像でしかわからない感覚で、"無宗教"ということもまたインド人にはわからない。
インドでは出会った人に宗教を聞かれることが多かったけど、
その度に無宗教だというと、そんなやついるのか、生きていて楽しいかと驚かれた。
無神論者ということでもないし、相手の宗教や信仰には最大限の尊敬をもって接している。
その土地に外国人、無宗教のおれがお邪魔するということに最低限の知識と、その国の文化や信仰、宗教に最大限リスペクトを持って旅をするというのがバラナシで感じた旅のスタンスだ。
ホーリーが終わり何日かして、朝ガンガーにお別れを言うように沐浴をして、バラナシを発った。
そしてまだうっすらと紫色の顔のまま、埼京線のラッシュのような満員の列車で15時間かけて、デリーに帰ったのだった。
北インドの旅、バラナシ編 ↓