泰安洋行 〜ヨーロッパの旅〜 4
アンダルシアに憧れて
列車がアンダルシア地方に入ると、
木が低くて密度の薄い森に囲まれた。
隣の席の男は、大きなジェスチャーを交えながらビデオ通話で家族と話したのち、
ずっと死にそうな咳をしている。
近くにいた若者が彼にのど飴を手渡した。
新しい章に入ったので一応振り返っておこうかね。
ローマから入ってナポリ、サレルノまで南下したのち、大まかにイタリアを北上。
オーストリア、チロル地方のアルプスを抜けてドイツへ。
ドイツを斜めに横切ってオランダ。
アムステルダムから南下。
パリを目前に、ベルギーのブリュッセルのホステスで全財産を盗まれて一旦東京へ。
パリから旅を再開。
リヨン、マルセイユと来て、南フランスを地中海に沿って南西へ、スペインのバルセロナまで。
そこからマドリード経由で丸一日かけてアンダルシア、コルドバまで来たってわけ。
コルドバの町は
いかにも "アンダルシア" って匂いがぷんぷんの真っ白な旧市街が広がってる。
夜9時過ぎてもまだ明るいコルドバ。
昼間は30度くらいまで気温が上がる。
もうすっかり初夏の装いってわけだ。
さみいーとか言いながら、大雪の中を歩いてたアルプスの町が懐かしいぜ。
昼間は、オーディオガイドを首からぶら下げた国内観光客の団体が、ぞろぞろと史跡の周りを闊歩している。
ほとんどが老夫婦やおばさんの団体だ。
日本にもそんな観光地が多いけど、
きっと悠久の歴史のあるアンダルシア地方は、年配の人に人気の国内旅行先。
若者は、夜までバーのネオンがギラギラと光るビーチリゾートなんかに行くんだろうなあ。
そんなわけで若い貧乏旅行者なんていないこの町には、
ドミトリースタイルのホステルなんてものはない。
気のいいおじいちゃんがやっている古ぼけた小さなホテルに泊まってる。
おじいちゃんは顔を合わせるたび、
ちょっとした冗談を言いながらおれの肩を力強く叩きながら笑う。
ローカルなバルでは
生ハムを豚肉で巻いて揚げたフラメンキンや、トマトクリームの冷製ディップ、サルモレホ・コルドべス。
独特なアンダルシアの郷土料理からも南スペインの風を感じることができた。
コルドバからバスを乗り継いで、ポルトガルとの国境の町バダホスを目指す。
まずはアンダルシア州の州都セビーリャまで。
車窓はひたすらにオリーブ畑。
そしてアンダルシア青すぎる空。
きっと地平線の向こうまで。
鉄道よりも値段が安いからってセビーリャまでバスで向かうことにしたんだけど、
アンダルシアの景色を堪能できるしちょうどよかったなあ。
やっぱりバスの方が時間はかかるんだけど、
列車よりも車での移動の方が性に合ってることがよくわかった。
鈍行列車とかボブディラン
1両編成の列車はノロノロと草原の中を走ってる。
まさに世界の車窓からって感じに。
ポルトガル、リスボンを目指して。
まずはエントロンカメントという町まで。
ヨーロッパもとうとう西の果て。
ここまで陸路で移動してきた分、その大きさを実感してる。
地続きで移動しながら、
暑くなったり寒くなったり。
海の匂いがしたり風が強かったりする。
人々の顔立ちや、話す言葉が変わる。
レストランの定番メニューが変わる。
地道な旅だからこそのフィーリング。
いろんな国を旅している中でやっぱり日本っていいなあと感じこともたくさんあるけど、
日本にもドレッドヘアの不動産屋さんとかいてもいいと思う。
それはひとつの例えだとしても、
そんな類いのことが日本にもあったらいい。
どこに属しても、"それらしく" なれないおれだ。
そんなことが寂しくもあるけど、どこか自分の魅力なんだとも思う。
世界中いろんな街のいろんなものを見ることで、
めきめきと自分の心の中のなにかが広がっていくのがわかる。
そうやっていろんな物事の選択肢ってものが増えていくっていうか、
そもそも"選択肢"なんてまやかしだってこと、
きっと鋭い人はとっくにわかってるんでしょ。
ナイスガイ
エントロンカメントの駅でリスボン行きの列車を待っている。
プラットホームで隣に立ってた大荷物を持った洒落たアジア人のおばさんに、
「あなたもリスボンへ行くの?
列車が来たらスーツケースを1つ積むのを手伝ってくれない?」とお願いされた。
「もちろん。2つ持てるよ!余裕です!」
と、めちゃくちゃ重たくて大きなスーツケースを2つ持って列車に乗り込んだんだ。
列車がリスボンの駅に着く頃、
おばさんのことが気になってデッキの方を覗いてみると、
おばさんはもうデッキに立っていておれに向かって笑顔で手招きしている。
おばさんのスーツケースを持って一緒に列車を降りた。
タクシーに乗るというので、乗り場までお送りすることに。
おばさんは中国出身。
今はサウスアメリカで暮らしていて、
去年からリスボンに住んでいる息子に会いにきたんだという。
「あなたトーキョーからなのね。
トーキョーってとても人が多いのに静かな街よね〜。」
おばさんはとても品のある口調で話す。
リスボンでのおすすめスポットなんかを教わりながらタクシー乗り場に着いた。
おばさんはおれの手を強く握って、
「ありがとう助かったわ。
あなたはナイスガイね。」
と言った。
ナイスガイなんて生まれて初めて言われたなあ。
「オブリガード〜!」と手を振って別れた。
そうか、ポルトガルに入って「ありがとう」は"オブリガード"になったのか。
ポルトガルに着いて初めて聞いたポルトガル語が中国人の素敵なおばさんの "オブリガード"
悪くないこんなのも。
I Came to 西の果て
ローマ出てから5週間。
ポルトガル、リスボンに着いた。
ついにヨーロッパも西の果てまで来たなあ。
でも世界の果てではない。
"マカオのマジ版" な町リスボン。
石畳の急な坂。
まったく悪気のない風を縫うように走る黄色いトラム。
愛する歌を口ずさみながら歩く細い路地。
ポルトガルに来てだいぶ物価が下がった。
今夜のベッドは1泊2000円ちょっとだし、
コーヒーも1ユーロ(165円)以下で飲めるようになった。
タコのトマトリゾットにイワシの塩焼き。
リスボンのシーフードは何を食べても美味しい。
相変わらず相部屋は落ち着かない。
それでも宿のルーフトップで、
スーパーマーケットで買ったワインを飲みながらミッシェルガンエレファントを聴く。
これだけでとてもホットな夜を過ごせた。
Don't Let Me Down
リスボンからバスで北上してポルトという町に来た。
宿の前の通りの入り口には青と白のアズレージョ柄のチャペルがあって、
その前にはいつもジプシーのおばさんと、
真っ白くて大きな海鳥みたいな鳥がうろうろしている。
リスボンよりも少し町が広々としていて、
なんとなく心が安らいでいる。
ポルトにはおれのイメージを裏切らないポルトガルがあった。
坂の下に見える川。アズレージョ柄の街。
暑くもなく寒くもない夕暮れ。
もったりと甘くてがつんとくるポートワイン。
風に乗って聴こえてくる誰かのスタンドバイミー。
カフェに入る。
1つだけ空いていた外のテーブルに座ってみるも、
どうやら店内で注文するみたい。
店内に入って「メニュー見せて」というと、
店員はぶっきらぼうに「ない」と答えた。
キッチンの冷蔵庫に7UPが見えたので注文。
席に戻るもいつまでたっても運ばれてこない。
しばらくすると店員がやってきて、
店内で先にお金を支払えと言う。
もう一度店内に戻って支払いを済ませて席に戻ると、
おれが座っていた席に後から来た人たちが座っている。
しかも彼らはテーブルで注文も会計も済ませている。
どうしたものかと店の前に立ち尽くしていると、
店員に7UPの缶とプラスチックカップを渡される。
立って飲めってか。
4人掛けのテーブルに一人でコーヒーを飲んでいるおばさんがいたので、
「ここに座ってもいいですか?」と尋ねる。
おばさんは目も合わせずに真顔で首を横に振る。
おれがなにかした?
笑っちゃうよまったく。
みんなに冷たくされているような感じがしてとても寂しい気分になった。
それを見ていた隣のテーブルのカップルに「ここに座りなよ」と招き入れてもらう。
なんかちょっとうんざりしかけてたんだ。
掴まえてくれてありがとね。
2〜3分もしないうちに、おばさんはコーヒーを飲み終えて帰って行った。
なんで相席を断ったんだろう。
おばさんの真意はわからない。
ただおれもちょっとむかついたから、
あのおばさんは、今夜飲むちょっといいワインのコルクが折れるの刑を受けてほしい。
コルクのカスカスが浮いたワインを飲んだのち幸せになってくれ。
" Don't Let me Down "
日本の感覚を持ってきてしまうと、
ヨーロッパでは勝手がわからない外国人に優しくシステムを教えてくれる人は、
店員であってもたまにしかいない。
むしろあからさまに、
「めんどくさい奴来たなあ」みたいな感じの対応をされることも少なくない。
慣れっこではあるけど、
そのたびに気持ちは下がる。
ただ、誰かのちょっとした笑顔や親切で
帳消しになっちゃうんだ。そんなことは。
誰のどんな些細なことに救われるかわからない。
だからおれもいつだってビューティフルにいたいと思う。
東京では、外国人観光客に拙い英語で一生懸命道を教えている人や、
メニューを笑顔で丁寧に説明する店員をよく見かける。
そりゃあ日本に行ったことがある外国人が口を揃えて「日本人は優しい」って言うよなあ。
最近、どんどんよくわからない方向に進んでいっている日本だけど、
おれの愛する日本人の真心だけは失くさないでくれ。
How does it feel ?
安宿の中庭。夜10時過ぎ。
すぐ隣では、若い欧米人の男女がどんどん集まってきてみんなでトランプで盛り上がっている。
向こうで男たちはテレビのフットボールに熱中している。
おれはただいつも通り、爆音でボブディランを聴いてる。
そういうことだろう。
おれはただおれになりたいだけなんだから。
わかってるよ。そんなこと。
" How does it feel ? "
コーヒーアンドシガレッツ
ポルトガル、国境近くの小さな町ブラガンサは、
土曜日でほとんどの店が閉まっている。
道端のバルでコーヒー飲むくらいしかやることがない。
一生来るはずもなかった町みたい。
観光客なんていないヨーロッパの端の小さな町に。
変わらないものなんてきっとないんだろうけど、
この町はおれが生まれるずっと前から、
なんにも変わらずあり続けているような顔をしている。
目の前の教会の鐘が夕方6時を知らせている。
いつも通りにおれはバルのテラスで、
"コーヒーアンドシガレッツ" やってる。
知ってる?
コーヒーアンドシガレッツって映画。
カフェでただコーヒーと煙草をやっている人たちの短編集なんだけど。
トムウェイツとイギーポップが2人でだべってるシーンがとにかくイカしてるんだ。
景色が変わってもやることは地元と同じ。
ただ、コーヒーの淹れ方や飲み方が地域によって変わる。
なんだったら紅茶になったりもする。
煙草の味も違うし、なんなら同じ音楽を聴いても聴こえ方が違う。
それをやりにヨーロッパをうろうろしてるのかもしれない。
あとは想像力の受け皿と、安い一眼レフカメラだけ持って。
そう思ったら、なんて贅沢なことだと思わない?こんな旅は。
ハローマドリード
バリャドリードという街からバスに乗っかってマドリードにやってきた。
マドリードは思った以上に大都市だった。
さすが首都。
田舎から都会に出てくるのは、とても気持ちがいい。逆もあるけどね。
静かな田舎よりも、
少し騒がしい都市の中に深呼吸のできる隙間を探すようなスタイルの旅がしっくりくるのは、
おれが東京の街っ子だからだと思う。
夕方のダンキンドーナツに入った。
ドーナツ2つと小ちゃいコーヒーで1000円もした。
そうだった、都会の大変なところは物価の高さだ。
ハローマドリード。
この街は久しぶりにアウターを引っ張り出して歩く陽気だ。
日の長い春のマドリードでは5時くらいはまだ昼下がりってニュアンスなんだけど。
いつの間にか、こなすように旅をしている気がする。最近。
旅もただの日常みたいなものになり、
この先の道筋もある程度目処が立ってしまったからか。
マヨール広場に続く路地で薄いコーヒーを飲んでる。
隣のテーブルのイカしたご婦人。
80歳くらいかな。
LPのレコード盤より大きそうな麦わら帽子から真っ赤な髪がはみ出している。
大きなサングラスに派手なモザイクのバッグ。
杖をテーブルの真ん中に寝かせて、
美味しそうに煙草を吸いながら、髪の毛と同じ色のサングリアを飲んでる。
ヨーロッパを歩いていると、
歳を取るのはいいものだろうなあとか思う。
ご婦人が帰るとき。
その大きなお尻が椅子の肘掛けに挟まって立ち上がれなくなっていたので立ち上がって手を貸したら、
なに言ってるかわからなかったけど、
「あら、ありがとう。」みたいなテンションで、
人の手を借りることがとても自然な感じだったぜ。
この街がそんなんだから、
おれも自然に人に手を貸すことができるようになるんだ。
そうか、"今" を丁寧にやれないと、
"旅" は "旅行" になっちゃうんだなあ。
こんなに長く "旅行" をやってたらとっくに枯れちゃうよ。
じゃあおれは"今"だけしか欲しくないね。
ブルースをこの夜に溶かして
マドリード最後の夜。
宿で缶ビールをキメた勢いで
近所のブルースバーへ。
ドリンクを注文すればタダでブルースが聴ける。
これは行くしかない。
やっと日が暮れてきた夕方9時の開店時間ちょっと前に店に着いた。
外にはすでに列が出来ていた。
かまぼこ形の地下室。
ブルースとひまわりの種をつまみにビールをやる。
バンドは派手なことはしないけど、
ノリが良いブルースをやるバンドだった。
サニーボーイウィリアムソン
リトルウォルター
ファッツドミノ
グラハムパーカー&ルーモア
ハーピストありきの、センスのいい選曲。
ディナーの後でちょっと音楽を楽しみに、みたいな品の良い中年夫婦もいるし、
二十歳そこそこのイケイケギャルがブルースで踊っている。
父娘でビールを飲みに来ていたり、
ちゃんと飲んだくれのおっさんもいたり。
こんな光景があることになんかホッとした。
そうだよね。やっぱりブルースってただのダンスミュージックだよね。よかった。
アジアの飲み屋とかでもそうだけど、
老若男女がテキトーに音楽を楽しむ、みたいな場がおれは好きだなあ。
途中、メキシコから来てるカルロスサンタナ似のベーシストがゲストで乱入。
普段はポップスのバンドでベースを弾いてるらしいけど、さすがはメキシカン。
ラテンのノリがプレイに溢れ出てた。
後で話したら、彼は日本に度々遊びに行くらしく、少し日本語で話ができた。
こんなのいつぶりだろう。
途中、煙草を吸いに表に出ると、
先に煙草を吸いに出ていた女の子に話しかけられた。
「さっきカメラで写真撮ってたよね?
あなたフォトグラファーなの?」
「いや、あれは遊び。
ヨーロッパ周ってるただの旅行者だよ。」
「おぉ〜いいね!マドリードの次はどこに行くつもり?」
「たぶんサンセバスティアンまで行ってそこからフランスに戻ってボルドーに寄る感じかな〜。」
「え!まじ?ボルドー私の地元なんだけど!」
彼女はフランス、ボルドー出身のマルゴー。
ボルドー名産の赤ワイン "シャトーマルゴー"のマルゴー。
ブロンドヘアに真っ白い肌をした21歳。
ボランティアチックな仕事をしながらマドリードに住んで半年になるらしい。
黒澤映画とパンクロックが大好きな、
ノリがいいけどどこかぬけた感じの女の子だ。
フロアに戻って彼女のテーブルで一緒に飲むことに。
一緒に来ていたルームメイトを紹介された。
大人しい彼はドイツから来ているらしい。
「マルゴー、フレンチポップとかおすすめない?
おれシルヴィバルタンくらいしか知らないけど。」
「うそ!なんでシルヴィバルタン知ってるの!?
彼女はフランス人にとっての"心"だよ!」
マルゴーは熱弁する。
そんな会話を聞いていた、隣のテーブルのおじさんはフレンチポップに明るいらしく話に乱入。
おじさんがビールを4つ注文。
4人で一緒に飲んだ。
なんか最近はどこに行っても、
家族連れやカップルばっかりの中に一人混じって大人しく過ごすことがほとんどだったんだけど、急にこんな夜だ。
そして夜が深くなるにつれてブルースは加速していく。
まるで一生続きそうな気分の夜だ。