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世界の屋根 ヒマラヤの麓 ネパールの旅 1
インドから始まったどっぷりとしたアジアの旅。
相変わらず取り憑かれたようにアジアばっかり旅している。
気がついたらアジアというエリア(まあ中東とかは除くと)では行ったことのない国や地域の方が少なくなってきた感じがするし、それぞれの国や、町、文化なんかがおおまかには掴めてきてる実感がある。
アジアには世界中の旅人が集まり、沈没(心地いい場所に留まってだらだら過ごす)してしまう居心地のいい町がたくさんある。
タイ、バンコクのカオサンロード、インドのバラナシ、ニューデリーのパハールガンジのメインバザールあたりはバックパッカーだったら知らない人は疎か、行ったことのない人の方が少ないと思う。
そんな旅人の楽園とか言われる町はどこも、物価が安く、気候がよかったり居心地がいい町だ。
そんな中でもよく聞くのが、「ネパールは良い」という言葉。
あまりにもいろんな所で見聞きするから、いつの間にかおれの中にもとても常識のように刷り込まれていたし、具体的なことは知らないけど、ネパールにはいつかは行くことになるだろうという特別な意識みたいなものはだいぶ前からあった。
ネパールはインドと中国、2大大国に挟まれた小さな国だ。
世界の屋根、ヒマラヤ山脈の麓。
それに、1960年代から1970年代にヨーロッパのバックパッカーがずーっとバスに乗って旅をする、その目的地がネパールのカトマンズだったりしたらしい。
インドと中国と8000メートル級の山々に囲まれている国の文化や生活、
なんで旅人たちはネパールを目指すのか、
そんなことが無性に気になってきた。
そしていつものような軽いノリでチケットを買ってネパールを目指したのが2020年の1月だった。
東京からネパールに行く飛行機の直行便はなくて、行きも帰りもバンコクを経由していくことにした。
前回、去年の夏のインドネシアのジャワ島横断からなんだかんだで半年振りくらい。久しぶりの一人旅。
まずは東京からバンコクへ。真冬の東京を抜け出して向かう、常夏の国タイ、バンコク。
ひとまずバンコク
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いつもの便で7時間。
ドンムアン空港を出ると、いつも通りの重く湿った風が最高に気持ちよかった。
空港の近くの宿で一泊。
空港の周りはいつも過ごすスクンビットの、いわゆる大都市バンコクとは違う顔をした、ローカルな風景だった。
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小さな川、というか下水道みたいなものの上に建った安宿は大きな部屋の中をプレハブみたいな感じで区切られたような作り。
入り口の前にいくつかテーブルが出ていて、そこで少し下水臭い夜風に吹かれながら温いビールを飲んでいると、やっと旅に出た実感が湧いて自由な気持ちになった。
まだ旅はこれからだ。
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バンコクからカトマンズへ
乗客のほとんどがネパール人。
旅行帰りのおじさんたち、サリーを着たおばさんに囲まれ3時間半のフライト。
ネパールの首都カトマンズに近づくと飛行機の小窓から真っ白くてどでかいヒマラヤ山脈が長い壁のようにずっと続いていた。
初めて見るヒマラヤは飛行機からでも、すこし恐ろしくなるくらいに高くて、大きい。
おそらくおれが今まで見てきた山では富士山が一番大きいだろうけど、その倍かそれ以上の山々が延々と連なっていると思うと、まさに地球の真ん中に大きな壁があるみたい。
カトマンズ、トリブバン空港はインターナショナルエアポートとは思えない、小さな空港だった。
ボーディングブリッジもなく、飛行機から直接階段でビートルズの来日よろしく、滑走路の端に降りるとそのまま空港の屋内までぞろぞろと歩く。
周りは山に囲まれていて高地の空気が流れている。
空港でイミグレーションビザを取る。ビザ料金はネパールルピーでは払えず、米ドルなら30ドル、日本円なら3500円だった。
SIMカード屋で順番を待っている時、ひたすらにタクシーを斡旋してきたおっさんと値段を交渉したのち、500ルピー(500円くらい)で話がついて、タクシーに乗って市内にでることにした。
タクシーはチョロQみたいな形をしていて、いわゆる軽自動車よりもう一回り小さい。
子供の頃にぎりぎり見たような昔の日本車で目指す。(ネパールのタクシーはほぼこの車。窓がボタンで上下するようなハイテクな車には1回も出会わなかった。)
なぜか斡旋してきたおっさんは助手席に乗っている。
おっさんはドライバーじゃなく、ツアー会社のスタッフだったのだ。
片言の日本語と英語をチャンポンしながら「ネパールは何日いるか、トレッキングはやらないか、他の町に行くならおれの店でチケットを買え、他の所は高いけどおれの店は良心的だから安い。」と小気味よくペラペラと喋るおっさんの言葉を、完璧に外の景色に気を取られながら「へー」 「そうなんだー」とか適当な相槌で流しながらバックパッカーストリート、タメル地区を目指す。
旅人の聖地 タメル
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まずタメルに向かった理由はおれがカトマンズの地名で唯一知っていた地名だったからだ。
バックパッカーの間では「ネパールの」とか「カトマンズの」と言わなくても「タメル」と言うと「タメルってどこ?」なんて言う人はほぼほぼ居ないくらいには有名な地名だ。
昨日ネットで予約した安宿を目指しつつ、タメルの町を散歩した。
まずすこし歩いただけで、タメルはヒマラヤへのトレッキングの拠点になっていることがすぐにわかった。
町中にはとにかくトレッキング洋品店が原宿の竹下通りくらいの感じで集まっている。
それに洋食レストランにカフェ、スパ、ツアーオフィス、土産物屋や雑貨屋、日用品を売る商店がそれほど広くないエリアの中にそれぞれたくさんある。
古くからバックパッカーが多く、有名な沈没地だ。
雑多に栄えてはいるんだけど、東南アジアのバックパッカーストリートみたいなネオンサインぎらぎら、とかいう感じはなく。店が多いわりに夜は町中も暗め。
建物も古く、町は煤けた煉瓦色。
あくまでも現地らしい町並みだ。
ただ、タメルでは一通りのものはなんでも食べられるし、必要な物はだいたい手に入りそう。
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道路は舗装も雑でボコボコ。車が走ると砂埃が舞う。排気ガスもすごい。
町中は電線も大量にぶらんぶらんしているし、切れてるのも多い。道にはゴミも落ちてる。
人も多いし、車も多い。交通ルールはあってないようなもの。と、インドと同等(野良牛はほとんどいないけど)のカオス。
インフラもまだまだ安定してないから停電も多い。夜は30分に1回、5分間くらいの停電があるような体感だ。
停電すると元からあまり明るくない夜の町は真っ暗になる。だけど人はたくさん居て、みんな慣れたもので店先では次々とロウソクに火を点ける。たくさんのロウソクだけで照らされた町は綺麗だった。
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そんな情報量の多い町並みが、おれの地元とはまるで違っていて、遥か遠くまで来たということを実感させる。旅の醍醐味的感覚。
最近、東南アジアづいていたけど、さらに西はさらに文化も常識も日本から遠い。
ホテルにチェックイン。1泊1000円くらいの安宿だけどスタッフもとても親切で、部屋に入るとコーヒーのサービスまでしてくれた。
ダブルベッドだし冷蔵庫もある。おれの旅の水準としては充分すぎる。
こじんまりとした部屋だけど、ドライヤーに湯沸かしまであるのが寒い地域らしい感じがした。
早速なにか食べがてら、町を感じにいく。
新しい町に着いたらまずは近所をほつき歩いて、土地勘を育てる。
旅の中でも特に楽しい時間のひとつ。
散歩がてらちょうどよさそうなレストランを探してひたすら町を歩いたけど、しつこいクスリの売人ばっかり絡んでくるのが面倒になって、宿のすぐ近くの洒落たレストランに入った。
一番安いビールとフレンチフライ、モモを注文した。モモはチベット風水餃子みたいなもの。前にインドのブッダガヤのチベット料理屋で食べたことがあった。
肉入りを頼めば野菜と肉(宗教的にチキン、バッファロー、ヤクあたりがメイン)が入っていて、スパイスベースのソースにつけて食べる。
モモ自体は蒸し餃子に近い味。ソースはインドの庶民カレーみたいなもので、まさにネパールがインドと中国、2つの大国に挟まれた小さな国ということが感じられた。
洒落たレストランなので、モモは500ルピー(500円くらい)したけど、高円寺のラーメン太陽(伝わらないか)のジャンボ餃子くらいボリュームのあるモモが10個も乗ってきたのでこれとビール(基本大瓶)だけでもかなり満足だった。
他にもちょこちょことお客さんはいたけど、一人客はおれだけだからか、店員の女の子がやたらと気にかけて話しかけにきてくれた。
「どこからきたの?」から始まって「いつまでカトマンズにいるの?」(旅してると何万回もある会話)とか話す。
うろ覚えなのか少しモジモジしながら「オイシイ?」と急な日本語で聞いてくるのが可愛らしくて思わず笑った。
ネパールの女の子は、すごくシャイだけど、好奇心があるのか結構みんな恥ずかしそうに話かけてくれたりすることが多かった。
帰り道、商店でデイリーミルク(インドでハマったチョコレート)やらジュースを、宿の前の店で熱々のチヤ(チャイ)を買って宿に帰った。
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ホットシャワーが出ない事件
部屋に帰ると、町中の砂埃でなんとなく身体がベタベタしているのが気になってシャワーを浴びる。
そして服を全部脱ぎシャワーの蛇口を捻って数分、いつまで経っても真水のまま温度が上がらない。
宿のランクとか、停電の多さからなんとなく予想はしていたけど、冷えた身体。
いざ出ないとなるとだいぶテンションは下がる。
いままでの旅でも水シャワーは慣れっこだったけどもそれは常夏地帯での話。
肌寒い高地、カトマンズの水シャワーはだいぶ難易度が上がる。
とりあえず服を脱いだからにはシャワーは浴びたい。
十分くらい全裸で考えて、思いついた作戦が部屋にあった湯沸かし器作戦だった。
1.とりあえず暖房をマックスにして部屋を暖める。
2.シャワーの水を湯沸かしポットに汲む。
3.コンセントのある部屋に戻って沸かす。
4.ポットの蓋を開けたまま、たまに指を突っ込んで温度を見極める。
5.いい感じのお湯になったところを見計らってスイッチを切って風呂場にもっていってちょろちょろと体にかける。
6.また水を汲んで部屋に戻って次のお湯を沸かす。
7.その間に急いで風呂場に戻って石鹸を全身に塗りたくる。
8.泡だらけのまま部屋に湯沸かし器を取りに行って適温になるのを待つ。
9.風呂場にちょろちょろとぬるま湯で泡を流す。
結局部屋と風呂場を5往復して全身洗い、タオルで体を拭いてドライヤーで髪を乾かしつつ暖をとる。
最初はブルブル震えていたけどドライヤーの温風を体で浴びているうちに体が暖まると、いつものシャワーと変わらないすっきりとした風呂上がりだった。
それととても大きな達成感があった。
自分でもちょっと変な気もするけど旅をしてる中の出来事でこんなのが結構楽しかったりする。
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王宮広場とクマリの館
タメルから15分も歩くとダルバール広場という王宮広場があった。
王朝時代からの古い宮殿や寺院があるエリア。
ざっくりとした入り口みたいな所の窓口でしっかり入場料1000ルピー(1000円くらい)徴収された。結構高い。
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近くのカフェでのんびりとした昼下がりを過ごした。
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ダルバール広場近くのアサン地区。
インドラチョーク(交差点)のあたりを中心に商店やバザールがたくさん並んでいる下町エリア。
夕方あたりにはたくさんの人で賑わう。
食品から雑貨、キッチン用品も洋服も伝統衣装もおもちゃも仏具も、アサンには百貨店並みになんでも揃っていた。
小さなチョークの周りはだいたい青空マーケット。地面にビニールシートなんかを敷いた上に野菜やスパイスを置いている。
肉屋は店の横の道端でつぶして、そのまま常温で店の外に置いて売られていた。皮の剥がれた丸鶏(まだ鶏より鳥か)とか山羊の頭が店頭に並んでる。これは色んな国でよく見る光景だけどインドとかみたいに暑くもないし、蝿もそんなに飛んでないからまだ安心感はある。
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タメル地区から歩いてちょっとだけど、アサンはほとんど現地の人しかいない下町。
アメ横みたいな雰囲気で活気があった。
インドラチョーク沿いにいくつかラッシー屋がある。
だいたい1杯40ルピー(40円)くらいで飲めるうえに、今まで飲んだラッシーの中でもベスト3に入るくらいに美味しかったから毎日通った。
ちなみに今までのベストラッシーはバラナシにあるブルーラッシー。
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カトマンズで特に興味があったクマリの館。
クマリはネパールの密教の生き女神。
家柄、カースト、満月生まれ、菩提樹のような身体、子牛のような睫毛、身体に傷がないこと、動物の頭部が並べられた暗い部屋に閉じ込められて耐えられる、みたいなたくさんの条件によって国民の少女の中から選ばれる。
クマリに選ばれた少女は神として扱われ世の中と完全に隔離されて暮らす。
首都カトマンズのクマリはロイヤルクマリといわれていて、国内の他の町にもローカルなクマリがいたりするらしい。
ロイヤルクマリは年に数回の祭りの時以外の時間を全て館の中で過ごし、自分で歩くことも許されないらしい。
ネパールの人たちからは、とにかく神聖な存在として扱われていて、クマリ様と目が合うと幸せになれるという。
だいたいのクマリは出血(乳歯が抜けたり初潮がきたり)があると神としての力を失ったということで退任する。
そのあとはほんのちょっとの援助金みたいなものがもらえるだけで、急に一般社会に戻されて一般人として生活をするらしい。
やっぱり現代では、いろんな意見があって、国内でも人権問題とかにもなっているらしい。
おれは宗教もないし、現地人の感覚はわからないから特に否定とかでもないんだけど、純粋に物心ついた頃からたくさんの人に拝まれるクマリ自身や、小さな娘がクマリに選ばれた親はどんな気持ちだろうみたいなことにすごく興味があった。
クマリが暮らすクマリの館では1日に何回かクマリが上の窓から中庭に顔を出す時間があるらしかった。
広場にいた自称ガイドにクマリは16時くらいに顔を出すと聞いていたのでそれに合わせて行く。
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館の中庭。3階の窓からクマリが顔を出すらしい。当代のクマリは5歳とからしい。
待っている間、館の中から小さな女の子の声が聞こえてくる。
その声は紛れもなく普通の女の子の無邪気な笑い声でなんかほっとした。
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16時くらいになるとどんどん人が集まってきた。海外や国内からの観光客が多い。
どこかのツアーのガイドが場を仕切り始めて、そろそろクマリが顔を出すから写真は撮るなとか手を合わせ待てとか説明をしてる。
なんとなく張り詰めてきた空気の中で5分くらいか、手を合わせて待っていると窓からひょこっと想像していたよりもさらに小さな女の子が顔を出す。
みんなでクマリに向かって 「ナマステ!」と挨拶をする。
なんかリトルリーグの子どもたちが監督に「こんちわぁ!」とか言ってるみたいでおもしろかった。
クマリが顔を出していたのは30秒もなかったと思う。決してこっちを向かないし、すこし虚ろな目で黙って目の前を真っ直ぐに見ていた。
赤い伝統衣装、黒く長いアイライン、額には第三の目。クマリとその場の雰囲気からよそ者のおれもクマリがただの女の子ではないという強い意識を感じた。本人が持つものか、周りが創り上げたものか。
でも顔を出すまでの緊張感からクマリが顔を出してからゆるやかに、その場がとてもふわっと温かい空気になった。
挨拶をしてからはみんな黙ってクマリを見つめてお祈りをしたりしていた。
賛否いろいろあるだろうけどこの小さな女の子がクマリという生き女神という役割として人々になにかハッピーなものを与えているのは確かだと思った。
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カトマンズの2大仏教寺院
ネパール国民の多くはヒンドゥー教徒。
チベットとインドの交易の中継地点であったこと、そしてなによりブッダが生まれた国としてヒンドゥーと仏教が混在しているカトマンズは "人より神が多く住む町"といわれている。
カトマンズの町の外れには大きな仏教寺院があった。
カトマンズの仏教はチベット仏教系。
仏教の施設は色んな国でたくさん見てきたけど、多種多様で、今回初めて味わったチベット仏教もまた新鮮なものだった。
ネパール最古の仏教寺院
スワヤンブナート
カトマンズ、タメルから西に少し、
タメルの外れからタクシーで15分くらい。100ルピー(100円くらい)
大きな川を越えて急な丘を上る。
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![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/18897584/picture_pc_3fcd891e6384807e5e4a657256a50f1d.png?width=1200)
寺院まで急な階段を登る。
階段は見た目よりも急で、途中からだいぶしんどくなって息があがる。
それはカトマンズが盆地とはいっても1200メートル以上の高地で酸素が薄いせいか、ただシンプルにおれの老いなのか。
仏教寺院って丘の上とか高いところにあることが多い。
何年か前にミャンマーのマンダレーヒルの頂上の寺院まで汗だくになりながら登ったことを思い出した。
汗を滲ませながら頂上まで登り切ると大きなストゥーパが見えた。
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ストゥーパには ブッダアイ
世界を見渡す第三の目 ということらしい。
ネパールの町中でもこのブッダアイのステッカーやTシャツなんかをよく見かけた。
他の国では見たことない。
チベット仏教特有のものだろう。
それにチベット仏教らしかったのがストゥーパの周りにずらっと並ぶ 摩尼車(まにぐるま)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/18898209/picture_pc_0f9a0640e8d29fda28178f135d237928.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/19998500/picture_pc_f3672bff3b691f9342c039df210edef9.png?width=1200)
チベット仏教では摩尼車を回すと回した数だけお経を唱えたのと同じ徳があるらしい。
識字率が低い地域とか、お経が唱えられない人にも信仰を、ということだということはどこかで聞いた。
ストゥーパの周りを現地の人に混じって、みんなで1列になって摩尼車を回して歩く。
高台の風が気持ちよかった。登ってきてかいた汗もすぐに乾いた。
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ネパール最大のストゥーパ ボダナート
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/18898670/picture_pc_5809fb1d66a956942a223f19576989d5.png?width=1200)
今度はカトマンズの反対端。タメルからタクシーで20分くらい東に行った所にあるボダナート。
スワヤンブナートと違ってこっちは町中、大通りからちょっと入った所にあった。
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ストゥーパの周りを丸く広い歩道になっていて、お土産屋とかカフェが360度囲んでる。
外国人よりは国内の観光客で賑わっている感じ。
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ストゥーパの周りは一段高くなっていて、その上を歩けるようになっていた。
上に登ってみるとそこは、現地の若者たちの撮影スポットと化していた。
東南アジア以上にネパールの若い子はとにかくどこでも自撮りばっかりしてるかも。
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おれがカメラを持ってるのを見て恥ずかしそうに1枚撮ってと声をかけてきた3人組の女の子たち。
お決まり的なポーズで決めてくれた。
撮った後には「撮った写真みせて」と厳しくチェックされた。
「ちゃんと可愛く撮れてるじゃん」というと、彼女たちは満足そうに照れ笑いをしていた。
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ネパールのバラナシ 火葬場 パシュパティナート
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ボダナートの近くにあるヒンドゥー教の火葬場、パシュパティナート。
ネパール人の大半はヒンドゥー教徒。
ヒンドゥー教の火葬の光景は前に、バラナシのガンジス川沿いのマニカルニカーガートで見たことがある。
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![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/18899594/picture_pc_c01696d723d20542a74d622b3131101a.png?width=1200)
町中からそう離れていないけど、火葬場に近づくとどこか空気がすっとした。
外で火葬してるせいかすこし煙っぽい空気。
日本のような厳かな空気はあまりなく、がやがやと賑やかだけど、信仰を感じる神聖な空気が確実にあった。
入り口で観光地名物、いんちきガイドにルールを教わる。
川沿いのガートには親族しか入れない。
寺院の中にはヒンドゥー教徒しか入れないということだった。
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ガートには親族の男性しか入れないはずだけどちらほら女性の姿もあった。
ヒンドゥー教徒の火葬では泣き崩れたり、お別れを悲しむようなムードはあんまりない。
近い親族であろう男性たちが担架のようなものでサフラン色の布で巻かれた遺体を担いでくる。
木組みの上に乗せられて、パチパチと音をたてながら燃やされていく。
2時間半もすると遺体は完全に灰になり、その灰を目の前のバグマティ川に撒く。
バグマティ川はインドのガンジス川の支流。
ネパールのヒンドゥー教徒も聖なる川、ガンガーに還るのだ。
ヒンドゥー教徒は基本的に墓を持たずに、ヒンドゥー教の主神、シヴァの体を伝った水が流れているとされているガンガーに還ることで、罪業が浄化され肉体から解き放たれた魂は、苦しい輪廻転生から解放されて、永遠の幸せを手に入れられると信じられている。
ヒンドゥー教徒じゃないおれには彼らの気持ちをしっかりと掴まえることは到底できないけど、とにかく彼らにとって "聖なる川に還る" ということは最高の喜びということだろう。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/18963161/picture_pc_81aee7ec1ab9b2e913f252482eef89ed.png?width=1200)
既婚の女性たちが身に纏う赤がとても綺麗。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/18963173/picture_pc_252948bce05050176ba0f9da9ba96434.png?width=1200)
カトマンズにも慣れて、少しずつ日常ができてきた。
やっぱり旅人の聖地カトマンズ。
沈没しようと思えばいくらでもできそうだけど、腰が軽いうちに動こうと思った。
喧騒のカトマンズから旅人のオアシス、ポカラを目指す。
後半に続く↓